第36話 あなただから、許せなかった


「……よお」


 喉がカラカラに渇いていて張り付きそうだ。鼓動の速さを誤魔化すように口を開けば、シャルルは表情を消したままルカを見返した。癖のある髪とローブが風に揺れていた。


「一応訊いておきますけど、先生はまだ僕のことを説得できるとでも思っていますか?」


 鮮やかな青色の視線がルカを射抜いた。ルカは瞬きをする。


「いいや、まったく。おまえが耳を傾けてくれるつもりなら話が早くて良かったんだけどな」

「勘違いされていないみたいで嬉しいです」


 シャルルはにこりと微笑んだ。胸にはやはり花のブローチが輝いていた。もう彼が自分のもとに戻ってくるつもりがないことはよくわかっていたから、ルカは剣を持つ手をぶらさげたまま力をこめる。ここで退くわけにはいかなかった。


「なあ、シャルル。質問ついでに俺からも一つだけ訊いていいか?」

「どうぞ」

「……おまえの家族を殺した教会の実行犯はその場で捕らえられている。直接の仇はもう何年も前に牢獄の中だ。それでも、おまえは人生すべてを捧げて教会に復讐をするのか?」


 ルカは唇を一文字に結んだ。星の明るい夜で、互いの顔ははっきりと見えていた。月が地平線の向こうにぽっかりと浮かんでいた。彼はかぶりを振る。


「ああ、それは……ちょっと違いますね」

「違う?」


 ルカが思わず訊き返すと、彼は静かに唇を動かした。


「これは、先生への復讐なんです」


 ルカは喉を震わせた。


「――――?」

「なんてことはない理由ですよ。僕、あなたのことが好きだったんです」


 シャルルは困ったように笑う。


「あなたを師として尊敬していました。あなたに憧れていました。あなたの背中だけを見ていました。あなたを唯一の人だと思っていました。だから、だからこそ、僕はあなたが好きで、大好きで――――ずっと裏切られていたたことが許せなかったんです。どうしても。他の誰でもないあなただから、許せなかった」


 ひゅっと喉に風が通った音がする。言葉を失ってルカは口を開閉させた。


「先生と一緒にいることが耐えられなくて、大好きだったのに大嫌いで、苦しくて……。あなたが僕を想っていてくれたのと同じだけ僕はあなたのことが憎い。憎くて憎くて仕方がない。こんなのもう、あなたの敵になるしかないじゃないですか。あなたの敵じゃなきゃ、この気持ちにどうやって整理をつければいいんですか。――――だからこれは僕の先生に対する復讐です。あなたが身勝手に祈った僕の幸福ってやつを、全部ぶち壊してやりたい」

「……そんな、シャルル、だったら」


 だったら、もう一回だけやりなおさせてはくれないか。もうおまえに嘘を吐いたりはしないから。ルカが口を開くのを制するように、シャルルは肩をすくめた。


「僕の信じたルカ・アレヴィはどこにもいない。あなたの弟子シャルル・セローもいない。駄目なんです。もう何もかも遅いんですよ。だからそろそろ決着をつけましょうか」 


 シャルルはふっと笑みを消した。右手でローブの裾をはらう。彼の腰にもルカと同じように長剣が差されていて、彼はゆっくりと引き抜いた。


「……なぜ、剣を……?」


 ルカは小声で呟いたが、すぐに剣を構えなおした。ルカやシャルルの持つものはほとんどが魔術具なのだ。何か小細工をされる前に仕留めてしまわなければならない。


 そもそも剣術を身に付けているルカとは違って、彼は近接戦闘の技術をほとんど持たない。つまり――――。


「距離さえ詰めてしまえばこっちのものだ。……観念しろ、シャルル!」


 話し合いは完全に決裂した。弟子とはいえ剣術を仕込まなかったことがこんなときに役立つとは、とルカは皮肉に笑う。


 ルカは大きく一歩を踏み出した。シャルルが逃げるように数歩下がるが、逃げ場の少ない不安定な足場では間合いから抜け出せない。ルカは急所を避けるように太ももに狙いを定めた。姿勢を低くして、重心を前に傾けると駆けだす。一気に間合いに入りこんで剣先を下げる。


 ルカは短く息を吸いこんで真横に薙いだ。この位置からでは確実に避けることのできない一閃だ。


 たった一撃が勝負を終わらせる――――。


 だが次の瞬間、キンと甲高い金属音が耳を貫いていた。


「は――――?」


 シャルルの顔はすぐ目の前にあって、不敵な笑みを浮かべていた。痛みに顔を歪めていなければ苦悶の声も上げていない。彼の手に握られた剣は、ルカの一撃を完璧なタイミングで防いでいた。


「な……っ!?」

「どうかしましたか、先生?」


 剣同士がぶつかり合って激しく摩擦を起こす。ルカが力を抜いたのを見て、シャルルは剣を弾き飛ばした。続けざまに上段から一撃。ルカは剣先を返してとっさに防いだ。


「……っ、なぜおまえが近接で戦える!? 俺はおまえに剣術なんて……!」

「ええ、ちっとも教えてくれませんでしたよね。剣術は魔術師には必要のない技術だからって言い張って。なのでこれは目で盗むしかありませんでした」


 シャルルは一歩足を踏みだして剣に体重を乗せた。彼も身体強化の魔術を使っているらしく、二人の剣は拮抗しているばかりか、むしろルカが押し負けそうだ。ルカの足がずりっと音を立てながら後ろに滑った。歯を食いしばって堪えるが体勢が悪い。ルカは声を絞り出した。


「目で……盗んだって、おまえ……!」

「そんなに驚くことじゃないですよ。僕が何年、先生と一緒にいたと思っているんですか?」


 彼は自ら口に出しておきながら、苦々しく顔を歪めた。素早く柄を握りなおすと口を開いた。


「魔術式、起動! 出力最大に再調整!」


 シャルルの手元が光を放った。彼の持つ剣もやはりただの武器ではなく魔術具だ。何の魔術が飛んでくるかわからない以上、このまま彼の近くにいるのは危険だ。


 ルカは剣を払うとすぐさま後ろに飛んだ。防御の構えを取りながら距離を取った。シャルルの足元に魔法陣が描かれて、剣が紫色の閃光をまとう。


「逃がしません!」


 シャルルは剣を一振りすると地を蹴った。迷うことなく壁の上を全力で駆けた。今度はシャルルの方から距離を詰めてきて、ルカが逃げるように後退している。追いつかれるのはあっという間で、シャルルは突きを繰り出した。


 正体不明の攻撃を正面から受けるわけにはいかず、ルカは寸前で剣を傾けた。剣が重なる瞬間、ルカは斜めに入った。力を抜いて刃を滑らせる。


 ルカの剣は火花を散らしながら、彼の一撃を受け流してみせた。


「!」


 立ち位置がくるりと入れ替わる。シャルルを追い抜きざまに一撃仕掛けるが、彼は腰をひねる。ギリギリのところでかわされて、剣先が宙をひっかいた。ルカもまた身体を半回転させて次の攻撃に備えた。案の定シャルルはすでに踏みこんでいた。


 真横から脇腹を叩きつけるように飛んでくる。二度目は避けられないと判断して、ルカは剣を立てて受け止める。シャルルが瞳を小さくして口の端を吊り上げた。


 展開、と唇が動くのが見えてルカは全身を強張らせた。距離を取ろうにも遅すぎた。彼の術式はすでに起動していて発動までの時間はごく一瞬だ。ルカは剣を弾いて、せめて一撃でも食らわせようとするが、彼の方が早い。光が剣先を伝ってルカの身体にまとわりついた。


「いっ……! なんだ、これ……は!」


 ルカは思わず声を上げていた。手足に刺すような痛みが走って顔をしかめる。遅れて、この痛みが冷たさによるものであることに気が付いた。皮膚より深いところが凍ってしまったようだ。無理やり筋肉で動かして剣を振るうが、力が入らない。シャルルは真上から剣を振り下ろした。


「先生の戦い方ならよく知っています。先生の強みは魔術具を使った戦闘――――なんて言われていますけど、本質は機動力そのもの。わかっているなら先に潰してしまえばいい」

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