第35話 そこで待っていろよ馬鹿弟子


「おまえは物じゃないし、俺は一人じゃない。今からそれを証明しに行くんだ。────覚悟はできているか?」


  ルカは口角を上げた。アリスは大きく頷く。


「はいっ!」

「いい返事だ」


 ルカは笑う。視線を交わらせて頷きあった。


 城壁の向こうで何かが光ったような気がして、ルカははっと目を凝らした。数秒後、大量の氷の矢が放物線を描きながら空に飛んだ。ずいぶんと見慣れた攻撃にルカは声を張り上げる。


「遠距離、正面からくるぞ! アリス!」

「いけます!」


 アリスはルカを庇うように前に立った。赤いリボンが風に揺れた。ルカが瞬きをして、次に目を開いたときには足元に魔法陣が広がっていた。


「……弱く、弱く……」


 アリスは小声で呟きながら腕を振るう。威嚇に使ったのと同じ火炎魔術だが、今度は空を覆うように薄く燃え広がる。


 アリスの魔術が発動したのと同時に、矢が空から一斉に降り注いできた。避けることはほとんど困難だが、ルカもアリスも微動だにせず空を見上げていた。矢は炎の壁に突っこんでは音を立てながらあっという間に溶け消えた。


 ルカは震えそうになる指を握りこんで正面を睨みつけた。まだ形を残した城壁の上――――ルカの背丈の何倍もある高さに彼は立っていた。腕をだらんと下げたままだ。


「元がつくとは言え、弟子が師を見下ろそうとはいい度胸だな」


 ルカが言葉を投げかけると、シャルルはぼんやりとした視線を向けてきた。


「……こんなに早くにまた会うことになるとは思ってもいませんでした。前よりは顔つきがマシになっていますね。何か心境の変化でもあったんですか」

「まあ、それなりにな」

「そうですか。先生もしぶとい人ですね」


 シャルルの顔は陰になって下からではよく見えなかった。男にしては高めな声は淡々としていて、どこか冷ややかだった。


「それで、先生は僕に殺されに来たんですか? それともアリストロシュを渡しに来てくれたんですか?」


 彼は小首を傾げる。ルカは笑い飛ばした。


「冗談! 俺がおまえを捕まえに来たんだよ!」


 ルカは素早く腰のベルトに手をやった。ローブに隠れているが、ベルトには一本の長剣が差してあった。柄を掴むと一気に引き抜く。いつも使っていたステッキ・ソードと同じ魔術式を刻んであるそれは純粋な武器だ。ルカは大きく振るって手に馴染ませると、足を肩幅に開いた。


「アリス、守りは任せたぞ」

「はい! でもあの人の近くにいるときは巻き込んでしまうので、わたしじゃ何もできません。先生、気を付けてください」

「わかってる。おまえこそ、危ないと思ったら自分を優先しろよ」


 ルカは重心を前に傾けた。右足に体重を乗せたままふっと息を吐いた。アリスと視線を合わせて互いに後悔がないことを確かめる。次の瞬間、ルカは地を蹴って勢いよく駆けだしていた。


 ルカは壁めがけて真っ直ぐに突っ込んだ。右手はしっかりと剣を握っていた。躊躇なしに距離を詰めるようにひた走る。シャルルは口を薄く開けた。


「……っ、魔術式、起動」


 短い詠唱に応えるように、欠けた城壁の上で魔法陣が浮かんだ。ところどころに覚えがあってルカは足を止めた。革靴が音を立てながら石畳の上を滑った。


「お、わ――――!」


 シャルルの魔術が発動して、ルカの足元は激しく揺れ始める。立っていられないほどの振動に足がとられて、バランスを崩してしまう。ルカは地面に手を付いた。すぐに立ち上がろうとするが、今度は後ろに引きずられて尻餅をつきそうになった。


「これ、は……!」


 石畳――――正確にはその下にある大地――――が盛り上がって形を変えていく。


 ルカは前後左右に揺さぶられながらも体勢を保とうと必死になる。手足はもがくようによりどころを求めているが、一方で頭はやけに冷静だ。先ほど見たシャルルの魔法陣を思い浮かべて、あれは昔ルカが教えたものだということを思いだしていた。一部がアレンジされていて、シャルルがより戦闘向きな魔術へと変えたらしい。


 気が付けばルカは土と石の壁に囲まれていた。花瓶の中か井戸の底にいるような気分で、ルカは真上を見上げた。星の輝き始めた夜空しか見えなかった。どうやら閉じ込められたらしい――――とルカはすり足で後ろに下がる。


 身動きの取れなくなったところを見逃してくれるはずもなく、唯一の出口である天井からはシャルルの攻撃魔術が注がれている。アリスが防いでくれているから下まで届くことはないが、彼女も迂闊に壁を壊せないのか膠着状態が続いた。脱出するためには自分で動くしかない。


「魔術式、起動。出力最大」


 ルカは柄を強く握りながら詠唱した。体内から魔力が一気に吸い上げられて寒気がした。身震いしながらもルカは刃を指でなぞる。


「っ」


 痛みが走って指の腹が裂けた。じんじんとした熱とともに血の玉が浮かぶ。だがすぐに光となって刃に吸い込まれた。対価である魔力を取りこみ赤く染まった刃をきらめかせながら、ルカは剣を構えなおした。


 息を止めたまま繰り出したのは突きだ。一切重心のぶれない、華麗な一撃だった。


 土と石でできた壁に細身の剣をぶつけたところで剣が折れるだけだが、これはルカの作り出した魔術具である。魔力をともなえばそれだけ切れ味も鋭くなる。今の剣先はルカの魔力をたっぷりと吸いこんでいて兵器にも等しい。剣先がめり込んで壁に穴が開いた。最初は小さな穴だったが、大きな亀裂が走って音を立てながら崩れ去った。


 抜け出したルカはすぐさま剣を構えて防御態勢を取った。壁が崩れ去るときはほとんど死角だらけで何も見えていなかった。そんな隙をシャルルが見過ごすはずもない。


「アリスはそのまま上空に魔術を展開! ライアン、聞こえているか!?」

「聞こえています!」

「エマに連絡、俺に強化魔術をかけてくれ! 一回分でいいから数倍の出力でと伝えてくれ!」

「あの先生、さっそく想定外なんですけど!? エマは今二人の支援をしているのでいつもの数倍は難しいかと……」

「大丈夫だ。とりあえず言ってみろ、エマなら何とかしてくれる!」

「ちょ、先せ――――」


 ルカは早口にまくしたてたあげく、返事もろくに聞かずに通信を切り上げた。靴で大地をならし、視線は真っ直ぐ前を睨みつけて逸らさない。シャルルはすでに魔術具を振るっていた。


「あいつ、容赦がないな……!」


 正面から弾のような半透明の何かが高速で飛んできた。ざっと見回して数は約三十。どれも小さいが、当たれば身体に風穴が開きかねない速度だ。


 ルカは剣を身体の前に構えると、ふらりと駆けだした。


 一歩、二歩と足を前に出して速度を上げていく。重心は低い。土がむき出しになった石畳の上を滑るように動く。半透明の物体はルカを捉えると勢いよく向かってくるが、ルカは足を止めない。身体をひねると軽やかにかわした。物体は速度を落とさないまま目のすぐ横を通り過ぎていった。


「水でできているのか……?」


 ルカはじぐざぐに軌道を変えながらシャルルとの距離を詰めていく。軽快な足取りでいくつめかの弾をかわしたところで足元がふらついた。数歩ふらついただけですぐに立て直すが、大きな隙だ。心臓めがけて飛んでくる水の弾を避けきれない。ルカは剣を握る手に力を込めた。


 刃が弾に触れた瞬間、ルカは左斜め下から切り上げた。寸分狂わない正確さで垂直に力をかける。水は真っ二つに分かれて、断面には凹凸一つなかった。


 斬れるとわかった瞬間、ルカの足はますます速くなった。下手に避けるくらいならばこのまま突っこんだ方が早い――――剣を持ち替えながら何度も振るった。進みこそすれ一歩も下がらない。シャルルの立つ壁まであと5メートルだ。


 不意にルカの身体に熱が走った。思わず足を緩めるが、嫌な感じはなく、芯からじんわりと温もってくるような優しい熱だった。エマに頼んでいた強化魔術だと気が付いて口角を上げた。


「エマ、助かった!」


 今頃彼女は「無茶をおっしゃらないでください!」と顔をしかめているのだろう。だがその無茶にもきっちり応えてくるあたり、彼女は律儀で優秀だ。


 壁のすぐ真下まで来たルカは勢いを殺さないまま突撃した。壁の上に立っているシャルルは冷たい瞳で見下ろしてきた。手を真下に向けてルカを狙い撃ちにしようとする。


「的が近いと狙いやすくていいですね」

「はっ、高みの見物か? そこで待っていろよ馬鹿弟子!」


 ルカは大きく一歩を踏み出した。足を叩きつけるようにして地面につけ、軽く膝を曲げる。身体をばねのようにして一気に飛び上がった。人間離れした跳躍力だ。エマの魔術によって強化された身体は、一瞬とはいえ超人じみた筋力をみせた。


「っと、と……」


 ルカは壁の上に着地する。足場の幅は一メートルしかなくて軽くよろけるが、すぐに顔を上げて身体を半回転させた。瞳を広げて笑みを浮かべる。


 真正面にシャルルが立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る