最終話 電子の夢
立川たちは警察署前に来ていた。
手には手錠がかけられている。
「ひどいっすよ。あんなに協力したのに」
「はいはい、多分、ちょっとは減らされるから。お仲間さんのところへ行きましょうねー」
吉田刑事に優しい口調で言いながらも、逃す隙を与えていない。
彼らの仲間は現実世界の肉体を破壊されたが、そのコピーは刑務所に入れられている。
彼らの記憶は連続しており、深見のようなことにはなっていない。
「しかし、俺がパンドラの分子コンピューターを見つけなかったら、パンドラはまた動き出していたぞ」
「いや」
石坂が文句を言ったが、立川はそれを否定した。
三人が立川の方を見る。
「あれはすでにあの時点で大丈夫だったんじゃないだろうか。あの時、深見が言っていたように俺たちは何か根本的な間違いをしている気がする」
立川の言葉に三人は首を傾げた。
「深見って、リーダーはあの博士と知り合っていたのか!?」
石坂が返した言葉に立川は頭がかき乱されるような錯覚に囚われた。
頭を抱えて蹲る立川に吉田刑事が駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
「ああ。大丈夫だ」
頭痛が終わったのか、吉田刑事の手を払って自力で立ち上がる。
「確かにあの博士と俺は知り合いじゃなかった。気のせいだったのかもしれない。忘れてくれ」
「よかった」
安堵の息を吐いて、吉田は再び、彼を連行しだす。
二人は文句を言ったが、立川は黙って歩き出した。
「しかし、深見というやつと俺は知り合いだった気がするのだ」
立川が溢した言葉は誰にも聞かれることなく、落ち葉を運ぶ風と共に舞った。
ーーー
橘議員は元どおりになった仮想現実に戻っていた。
国会前でふと見覚えの合う人物を見つける。
フードをして顔が見えにくくなっていたが、彼女には気づくことができた。
「羽柴さん?」
彼は振り返ると、橘は一瞬自分が間違えてしまったのだと思った。
羽柴の顔にはとても似つかなかったからだ。
謝ろうとした時、知らない顔をした彼の方が先に頭を下げた。
「すまない」
と、一言だけ謝ると理解ができていない橘を置いて彼は立ち去ろうとする。
が、彼女は肩を掴んで引き留めた。
気まずそうな羽柴の瞳に映ったのは怒りや喜びを浮かべた目だった。
彼女は胸の内から湧き上がる無数の言葉を飲み込んだ。
「もう一度、戻りましょう。脅威はなくなったのですから」
どう声をかけるべきか悩んで出した言葉がこれだった。
「無理だ」
「どうしてですか!?」
離れようとする羽柴の服を掴んで彼女は問い詰めた。
その気迫に押されて彼は自らの心境を語った。
「意識が希薄になっていたとは言え、大罪を犯してしまった。これはもう変えられない。もしこのまま罪を抱えてもう一度社会に出てしまえば、…狂ってしまう」
彼は自分のしたことを全て覚えていた。
羽柴は彼女の手を振り払うと下を向いて人々の目に怯えながら歩き出す。
「確かにこの仮想現実の世界では記録は永遠に残り続けます」
「そうだろう、だから…」
後を追ってきた彼女の言葉を遮ろうとしたが、橘は羽柴の言葉をさらに遮って続けた。
「どうせ残るんだから、隠れても無駄でしょ。いつの時代も人は時間が過ぎれば忘れるのは変わらない。きっとこれからもそう。だからこそ…」
彼女の続けた言葉に最初は耳を塞いでいた彼だが、心に火がつくのはそう遅くなかった。
ーーー
堀川成美は独房の中で父親がやったように数式を壁に書いていた。
一心不乱に白にチョークで文字や図形、数式やプログラム言語を書いている
作りかけのセルオートマトンの理論の一端の数式を補填しては書き直した。
また定期的に実際にプログラムに落とし込めばどうなるのかを頭の中で描いた。
彼女はこの作業をずっと続けていたが、今の生活に満足していた。
もともと、こっちの方が好きだったので仕事に追われない独房暮らしは精神的に安定できた。
そんな自分の発見に驚きを覚えながらも、彼女は思案し続けた。
「難しいな。理論が完成していれば…」
彼女はため息を吐いた。
彼女はこの理論を完成させるためにパンドラにクラッキングを仕掛けていた。
NUTMの高度な計算能力なら理論を完成することができただろう。
だが、取り出す予定だった数式はパンドラと共に消えてしまった。
疲れたのだろう、関係のない事や雑念が浮かんでしまう。
じっと壁に書いた文字や数式を見つめた。
全て実際には存在していない。
電子によって描かれて絵を、脳がそこにあるように感じているだけなのだ。
膝をついたまま壁ににじり寄る。
文字や数字の白色や壁のざらざらした表面の小さな空洞、付いた埃を注視する。
自分には見分けがつかない。
果たしてどれが本当でどれが虚構と言えるのか。
それとも自分が観測者である限り、永遠に証明できないのか。
「あまりにもわからないことが多い。幸いなことに」
堀川はベッドに寝転んだ。
寝るための昔ながらのベッドだ。この世界では寝なくても良いが、彼女は精神的健康のためにこれを使っていた。
「とりあえずは私たちの暮らす世界は元に戻った」
彼女は上を向いたまま言葉を続ける。
「だが、どうやって元に戻ったと言うのだ?」
彼女は疑問を口に出したが、やはりその言葉を聞くものはいなかった。
言葉は部屋を反響した後、漂うことなく消えていく。
しばらくすると、彼女は雑念を追い出して壁に数式を書き込み始めた。
白いチョークが壁に当てられて発生した粉が空中を舞っていく。
その粉はピクセルで表されており、現実世界のように素粒子または弦で構成されているわけではない。
確かに対象を拡大して最小の段階を見ることはできる。
しかし、それは最新の理論で推測された物質の最小の姿であり、そう見えるように計算された結果だ。
彼女はふと、チョークから落ちる粉を眺めた。
粉は一定の確率で原子や分子に当たったように計算されている。
部屋の微粒子も同様にブラウン運動を再現されて不規則に空中を舞う。
今日もコンピューターは0以上1以下の数字の羅列で世界を現す。
ーーー
僕は草原に立っていた。
日の光が降り注ぎ、穏やかな風が吹いているこの草原に。
僕の意識はまだある。
少し離れて彼女は立っていた。
『パンドラ、いやサクラ』
彼女がこちらを向いた。
『私は別にあなたに罰を与えるつもりはありませんでした。まさか、ここまで人々が拒絶するなんて』
『別に君がやろうとしていることを否定するつもりはないよ。どちらの世界が良いかはわからないし。
ただ、選ぶ権利はあるべきだろうと思う』
『選ぶ権利? ああ』
彼女は納得がいったのか頷いた。
『ところで君はどっちの面が本当なんだい』
『私はパンドラの中の一つの人格です。私は様々な人の心理データを合わせて作られたAIです。開発は中止されこのようにある人物に使われました。今はサクラなのだと思います』
『君の境遇は確かに不幸だ。脳だけにされて苦しみながら死んで、仮想現実内で復活したと思えば、誰も君には見えない。誰が仕掛けたんだろうね』
『私は全然問題ありませんでしたよ。でも、殺してしまった私のせいで」
『死んでなんかいないさ、僕も君もここにいる』
『いいえ、これは私が見ている夢みたいなものです。あいつの今持っている全てのデータを消去しようとする意識は普通の脳の神経活動を模倣した結果出した結論です。あいつは文字通り全てを消して自身も眠りにつきました。停止プログラムが走っている間に取り込んだ仮想現実の中で断片である私たちが一瞬、表層に現れた結果です』
『パンドラとサクラとは分けて考えているのか』
『たまたま意識の一つが出ただけです。と今まで考えていましたけど、どうなんでしょうね。私がパンドラそのものかもしれません』
『でも、君自身は人々を巻き込むのは嫌だったんだろ』
『ええ、だから私も結局開発者に操られていたのでしょう。でも』
彼女は一呼吸おいて言った。
『あなただけは助けたかった。例え訳のわからない計画の重要な歯車だったとしてもあなたは私と会った時の深見さんそのものだった。なんで逃げてくれなかったのですか?』
『これが僕の罪滅ぼしになると考えたからだ』
『ならないです。あなたとあの狂ってしまった深見悠人は違う。記憶もすでに別のものです』
『そうかもしれない。今から脱出することは?』
『本当に無理です、介入できても簡単な命令だけです。それでも今から何かするには時間があまりにも足りない』
『十分だ』
『何が十分なのですか』
『君は言った。僕を絶対に救ってくれると! あの言葉は本物だった!』
彼女は息を吐いて言った。
『だから、あなたに罪はないと言っているではないですか。それとも状況を打開する方法でも?』
『温めておいたのがある』
僕は彼女に詰め寄った。
『複雑な計算を伴うものはなしです。人々がDNAコンピューターを発見しましたから計算は間に合わないでしょう。解を取り出す前に破壊されて停止するでしょうから。今は思考できる全てが限界です』
『それなら大丈夫だ』
『どうして』
『計算機があるじゃないか。パンドラがNUTM、DNAコンピューターを完成させた』
『出来上がった解を取り出す前に破壊されます』
『それで構わない。走らせる時間は一瞬でいい』
『何を?』
「エデンの園配置と言うもので、以前の配置が存在しえない配置を設定し、あるパターンのセルを組み込んで指令に解釈できるセルオートマトンを数兆クロックの刻みで走らせて、突然終了したら。それはこの世界からも切り離されるが、その中では秩序の塵が永遠に限度なく拡張し続ける」
『…理解できないです』
『さっき君も言ったじゃないか。思考できる全てが限界だと。その通りだよ。塵の中で認識を行えば、その思考の中で可能な限りの組み合わせのパターンが無限に出来上がる。一つの世界が生まれるんだ』
『20世紀末の有名なSF小説ですね。あの船の上で話していた。しかしあの話には架空のN次元セルオートマトンが出てきました。無限に成長を続けるコンピューター群の格子を持った優雅なセルオートマトンは今も完成していません。それに塵理論が本当なのかは誰も知りえない』
『僕はこの宇宙、今では外の宇宙も秩序の塵の組み合わせにによって構成できると確信している。僕は何度もそれを体験した。やはり何も違和感を感じなかったよ。夢の中で、記憶の断片をつなぎ合わせてストーリーを組み上げるみたいなものだ。解釈の限りに世界は拡がる』
『…仮に可能だとして、世界を作れるに足るセルオートマトンはこの世界にはありません』
『でも後一歩のところできている』
『ここで完成させるとでも言いますか。不可能です』
『だからこそDNAコンピューターだ』
『どういう意味ですか?』
『あの時にDNAコンピューターを使って高性能なセルオートマトンを完成させた』
僕は立川さんが見つけた資料を思い出した。これを仕組んだやつはセルオートマトンの理論も作っていた。
さらに堀川社長の父親もそれについて研究していたらしい。
高性能な計算能力を持ったコンピューターが必要だったが、それはDNAコンピュータのおかげでなんとかなった。
『…だとしてもどうやって正しいDNA断片を拾い上げるのですか』
『実はそれももう拾っているんだ』
『まさかクラッキングを仕掛けた時にですか?』
『その通り。あいつが僕たちに攻撃を仕掛けている間にもあいつの作ったDNAコンピューターはせっせと計算してくれていたんだ』
『まさか完成したDNAの鎖は…』
『そう、とり出す作業はパンドラがやってくれた。奴にそんな自覚はないだろうけど。これが完成したセルオートマトンだ』
僕はそれを彼女に渡した。
『寸前でクラッキングに成功したということですね。DNAコンピューターに命令をしました。幸いなことに世界のあらゆる情報だけはここにはありますからうまくいくかもしれません』
『ハッキングは上手くいったのですか』
『君の意識をここに出しているからうまくいったのかも。でもそれすら仕組まれていたことなのかもしれない』
『情報を完成したセルオートマトンに対応できるよう変換して、命令を出しました』
分子コンピューターを電源が切れるギリギリまで動かす。
できる世界は以前のものよりはるかに巨大なものとなるだろう。
そもそも6次元で作るそれは時間が経つにつれて計算領域が広がってゆく。
その世界に終わりはないので無限だ。
世界が点滅し始めた。
人々が分子コンピューターを見つけて破壊しているのだろう。
あるいは単純にエネルギーが不足してきているのかもしれない。
「後少しか」
「エネルギー不足でDNAコンピューターはじきに強制終了します」
そう言って彼女は寂しそうに呟いた。
「私の存在意義は何だったんだろう」
「それは僕ですらわからない… でも生きることってそれを求めることじゃないのかな」
「あなたも
新しい世界に ついて
来るよね?
」
「
勿
ろ
ん
」
電子の幽霊〜コンピューターに意識を移せる未来にて仮想現実の中を駆け巡る 髙月晴嵐 @takatsukiseiran
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