第27話 LIMBO


「サクラ」


「生きていたんですね!」


僕が声をかけると彼女は喜びを声に出した。


「ああ、でもすぐに行かなくちゃ」


サクラは僕の言葉に元気をなくす。

いつの間にか大切な存在になっていた。


「どこへ…」


「ベータ版LIMBOへ」


彼女は引き留めずに言った。


「絶対に戻って来てください」


僕はLIMBOへと再びテレポートした。

LIMBOは半ば、パンドラが支配し始めている場所だ。

放っておけばLIMBOに依存していた僕も危なかっただろう。


最初に見た草原の上に立つ。

草の動きが少しずれていた。

パンドラが計算領域を食っているのだろう。


空に真っ黒な点ができる。

その点は広がり、中心から黒い煙が地上へと落ちて来た。

僕はそれを避ける。


触れてしまえば、どうなるか知っているからだ。

と言うかおびき寄せるためにわざと何も防御するプログラムは持っていない。


黒い煙は地面の重力に沿って溜まり、泥のように振る舞う。

その泥は大きくなっていき、逃げる僕のスピードよりも速くなる。


「ここまでか」


僕は草原から街へとテレポートした。


再び降ってくる黒い煙を見て僕は石畳の上を走った。

黒い泥は異常に速く、すぐに僕の後ろに追いつき始める。

僕は自らが立てたこの作戦をいまさら後悔した。


『奴の本命は個人データを入手することだ。幸いなことにほとんどの人の計算が停止されているせいで、時間が多くかかっているはずだ。そこで全住人の個人データを圧縮した状態で僕に渡してくれ』


『おびき寄せて奴を檻に閉じ込めると。檻はどこにある』


『以前、博士の実験に使用された非常に出にくい構造をした世界があった。あれをLIMBO全体に適用させる。奴が僕を捉えようと、LIMBOを奴のコンピューターで計算し始める時点で、檻が自然と出来上がる』


思えば、あの歪な世界は博士が作ったのではなくて、パダーロク関連で入手した者だったのだろう。

開発者はちゃんと対策も用意してくれていたのだ。


僕はパンドラに追われながらテレポートしまくった。


噴水のある広場や、森へ続く道がある門の前に出てはパンドラは空から降ってくる。

街全体をテレポートして、ついに立つ場所もないほどに黒い泥に埋められた。

僕は赤レンガの屋根の上を走ったが、これ以上は難しい。


僕はまた別の場所に転移した。


目の前に巨大な木が現れる。

あのトリックアートの世界に入ったような森だ。

木の葉を枯らして黒い泥が僕を追って降ってくる。

丸太を飛び越え、クコの実を食べた場所を通った。

結局、あれは実装されたらしい。

なぜか、倒木の上に数個転がっていた。


そのまま木と木の間をかけて行く。すぐ後ろでは積もった泥が洪水となって僕の方に押し寄せていた。


水の澄んだ池に来ると真っ黒な空が映った。

遠くには木の根に空いた巨大な空間に家がハマっているのが見えた。


それから走り回ったが、ここでもパンドラは全計算領域を投入しなかった。

僕は砂漠へとテレポートする。


あの乾いた空気が口に入って来たが、ちょっとシステムをいじって、僕は砂漠をかけた。

遠くに見える立方体は僕が作ったものだ。ピラミッドを覆って、パンドラを閉じ込めようとしたが、失敗した。


思えば、あのピラミッドにはいつもトラブルが潜んでいた。

博士のコピーもパンドラもあの場に現れた。


砂漠はもともと、パンドラが現れたところなので、逃げられる場所は少なかった。

パンドラの計算領域にされてしまったせいだろう。砂漠は明らかに狭くなっていた。風も吹いていないし、砂の鳴き声も描写されていない。


僕は海へテレポートした。

船の上で語ったことを思い出す。

馬鹿げた話を彼女とした。


降りてくる黒い煙の量が増えた気がする。

パンドラの計算領域は増えて行くが、この世界に投入される計算領域は確実に増えている。


僕は火山エリアへとテレポートした。

火山は危険な活動を停止していた。

ここでもパンドラの計算領域にされてしまったのだろうか。

岩の隙間を通って、噴煙の出ていない火山に近づいて行く。

後ろを見ると、黒い洪水が押し寄せて来ていた。

僕は走る速度を早めた。


麓に亀裂のない火山を登って行くにつれて視界が広くなる。

周りはすでにほとんど飲み込まれていた。

遠くで巨大化したパンドラが黒い津波となって火山に降りかかる。


僕は間一髪でテレポートした。


火山とは表情の違う岩だらけの場所に出る。

新しく追加されていた浮遊大陸だ。

周りの海エリアはすでにパンドラのものになっていた。

ここは散々な場所だった。未来の自分を殺した後でも嫌な気分になる。

入り口を塞ぐ岩を退けて洞窟に入った。

音がしたので振り返ると、パンドラが海からこちらへと向かっていた。

上空に浮かぶ黒い雲からも落ちてくる。

僕は洞窟の中を駆けた。

博士が壊して空が剥き出しになっているところに出る。

直してなかったのか。

上を見ると黒い空から大量に煙の筋がこちらに向かっていた。


『パンドラが計算領域を増やし出した』


僕の耳に音声が流れる。


「わかった」


僕が向かう方向からも黒い泥が現れた。

ここから逃げれる場所はこのエリアにはもうない。


僕は確信して港町にでた。


ベータ版では比べられないほど、舟が並んでいた。

パンドラは黒い波となってその船を飲み込んでいく。

僕は白い塔を目指した。


その塔は中が豪華に装飾されていた。

上に登る階段もあったが、僕はそちらには向かわず、壁のそばに向かう。

記憶を頼りに床の石の一つを持ち上げた。


「まだあったのか」


僕は現れた階段を降りた。

海からも来ているが、雲からも降りてくるので、高いところ逃げるのは得策ではないと考えたからだ。


地下空間に出て、変わらない青い柱を見た。

僕はそこに駆け寄って、一枚の画面を取り出す。


表示された文字を見て、思考を巡らせた。


『パンドラがついにLIMBO内に入った。閉めるから今すぐ脱出しろ』


通信が再び入る。

僕はそれを無視してパンドラが来るのを待つ。


『おい! 深見! 早く脱出しろ』


向こうの声が騒がしい。


「僕は脱出しない」


通信から聞こえる向こう側のざわめきが大きくなる。


『なんでだ。まだ脱出できるはずだ』


「違う、そもそも根本から間違っている」


『何を?』


僕はもう不要になったデータを送った。


「個人データを送った。もう必要ない」


『何を言っているんだ』


「あなたたちが巻き込まれることはない。これは僕の罪だった」


『深見!よせっ』


僕は通信を切った。

システムに干渉して構造をあの歪なものにして世界を閉じさせる。

階段から轟音が響き始めた。


僕は覚悟を決めた。

もし、僕の意識が永遠に失われることになっても、元の状態に戻るだけだ。

僕はもともと存在するはずがなかった。

深見悠人は恋人を自分のせいで失って失意の中、永遠に罪の意識に囚われるはずだったのだ。

彼が僕と同じ人物なのかは僕も納得がいかないが、僕に仕掛けられたこれはある種の慈愛なのだろう。

パンドラは階段から姿を現した。

瞬間、こちらを飲み込んでいく。


「サクラ」


僕はパンドラに分解されて、彼女に組み込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る