最低な夜にさよなら

幻典 尋貴

最低な夜にさよなら

 「最低な夜に、さよなら」

 咲人さくとの歌声を聴きながら、ギターを弾く。相変わらず意味不明な歌詞だなと思いながら、良い曲だなとも思う。アイツの曲はいつもそうだ。意味不明だけど、何故かスカッとしてワクワクして、それで大好きになる。

 自分がアイツの曲のギターをやっているからというのは少なからずあるだろうが、それでも自分が全く知らなかったとしても同じことを思うんじゃないだろうか。他の二人もきっとそうだ。

 俺はアイツの曲が好きだった。


 ――だから盗んだ。


 俺らがまだインディーズの頃、録音帰りのマックでドラムの竹下が言った。

「なあ、俺らってさ、咲人の足手まといなんじゃないか」

 その頃は少しずつ知名度も上がって来ていて、そろそろメジャーレーベルからのオファーがあるかもしれないと言われていた時だったから、そのもどかしさとメジャー行きという少しの恐怖が、竹下にそんな事を言わせたのだろう。

 その時の俺らはそんな事は分かっていたが、それでも竹下と同じように不安定だった。

 その場に咲人がいたら、この後の状況は変わったかもしれないが、そもそも咲人がいたらこんな話は出なかっただろう。それぐらい、俺らは咲人に恩を感じていた。

 マックを出禁になるほどの喧嘩をして、その日はそれぞれ家に帰った。


 翌日、何処から聞いたのか、咲人に昨日のことを叱られた。

 大事な話があると集められた俺たちは、咲人の一人暮らしのアパートのベッドの前に正座をさせられた。いや、実際には何故かみんなが勝手に正座をした。

 同級生に叱られているという構図は、側から見たらかなり滑稽だが、その場には俺ら四人しか居なかった。「なぜ、そんなことになった」という咲人のその質問に答えられたメンバーも居なかった。

 「メジャーになったとしても、俺たちのやる事は変わらない」咲人は言った。「俺たちは世界を救うために音楽放つんだ」

 “世界を救う”というのは、ある日咲人が言い出したこのバンドの目標みたいなものだ。

 歌って、それで誰かの心が動かされて、自殺やら人殺しやらいつかは戦争さえ止められるバンドにしよう、という風に咲人は言っていた。寒いかもしれないが、俺らはそれをかっこいいと思った。

「そうだよな。俺が馬鹿だった」

 俺は謝る。こんなときに世界を救うなんて言うのはやっぱり馬鹿らしい。少し笑ってしまって、何をしてるのか分からなくなった。

 竹下とキーボードの中溝も同じく、笑いながらみんなと握手をした。

 その後、「本当の大事な話をしよう」と言って、咲人がメジャーレーベルからのオファーが来た話をした。

 帰り際、夕日の差し込む部屋の中で咲人は部屋を出ようとする俺らを呼び止めて言った。

「とにかくさ、なんか嫌なことあったら俺の部屋にあるこのペンでも盗みにこいよ」

 そう言って彼はよく見るような形のボールペンを見せた。

「これは俺が最初の歌詞を書いたペンだ。なくなったらすぐ気付くからさ」


 手に持ったペンを見る。ボロボロで、ペン先の接続部にはテープが巻かれている。大事に使われている、とは言えない見た目だが、咲人がずっとこのペンを使っているのは確かだった。

 盗んだからといって、俺は走ってなかった。普通の速度よりむしろ遅いくらいの速度で歩いていた。なぜなら、早く見つかりたかったからだ。

 胸ポケットに入ったスマホが鳴ったのは、その時だった。


 「それで、どうした健吾」

 昔出禁になったマックに、咲人と二人で座っている。ポテトはもうしなしなで、食べ終わったハンバーガーの包み紙がだんだん広がっている。

 「大知、ヒューマンズのライブでドラム手伝うって」頑張って俺は口を開く。

「アイツなら大丈夫だろうな」

「信二、ピアノのソロアルバム売れてるって」

「そりゃそうだろ」

 当たり前のことのように、彼らの成長を褒める咲人はすごいと思った。バンド以外の活躍をする彼らに対して、少し嫌な気持ちを覚える俺が間違っているのだろうか。それとも、これはこの気持ちのせいだろうか。

「俺は、何ができる」

 バンドメンバーが一人ずつで認められるようななった中、俺だけが何も無い。Twitterを見ても、俺だけが置いてけぼりと言うように書いている人もいる。

 少しの沈黙の後、咲人は言った。

「何も出来ないよ」

 やっぱりか、と思う直前咲人はニヤッとした。

「そんな事考えてたら、何も出来ないよ」

「え?」

「無心でギター弾いてさ、それで、『あ、成長したな』って思えるようでなくっちゃ」

 咲人はしなしなのポテトを二本ばかり食べてから、続ける。

「だって、一回で成長できるのってほんのちょっぴりでしょ。それを毎回毎回前の演奏と比べてたら、変わってないように見えるじゃ無いか」

「そうかも、しれないけど…」

「大丈夫だ、健吾は成長してる」

 彼の大丈夫ほど信じられる物は存在しない。だからきっとそうなのだろう。

「今度、市の祭りでのミニライブあるだろ」

 夏祭り恒例のミニライブのことだ。いつも何故か割と有名なバンドが来るために、他の地域の人のよく来る。俺のギターを始めたきっかけでもある。あの舞台に立てると言う事は、俺たちもそれなりに有名になったのだろうと思うと、感慨深い。

「その一員に、健吾は居るんだ。自信持てよ」

「そうだな。ありがとう、咲人」

 頭を下げ、盗んだペンを返す。


 「だからさ、俺たちの手で、最高の祭りにしようぜ」

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