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人々の繋がりが薄くなった世界で

昨日更新した【飛ぶコーヒー】(https://kakuyomu.jp/works/1177354054889154565 )
簡潔に言うと、死んだ友人のクローンを回収する男の話だ。
彼の友人は妻や娘の為に死の瞬間をクローンの使用によって偽装する。
それはまるで、SNSで初めて人の死を知る様な物だ。

僕らは今、SNSを使ってやり取りをする事が一般的だ。
SNSならば実際に会わなくても会話が出来る。
楽だし、便利だ。
SNSに他の便利なサービスがくっ付いている事も多くなって来て、ますます手放せなくなって来ている。
そんな中SNSで友人を作る人もいる。
ただ、SNSでおはようを言って、おやすみを言う様な仲でも、実際に会うという事は少なかったりする。
それでも、現実世界で作るよりもSNSでの方が「友人」は増えていく。
だからSNSで「友人」を作ることをやめない。
一人、二人、十人、百人と会話相手が増えて行き、僕らは人との繋がりが強くなったと錯覚する。
細いゴムを増やして行くと力が強くなって行く様なイメージだろう。
SNSでの会話相手が、一本のゴムバンドだ。
ただ、そのゴムは割と脆い。
いつの間にか切れていたり、無くなっていたり…。
僕らはその相手が例え死んでも、その瞬間を知らない。知る事は出来ない。
「友人」が死んでいたとしても、その相手がツイッターもラインも更新なんてするわけが無い。
その人の親や兄弟や友人が、伝えなければ知る事は出来ない。
それを考えると、僕らの繋がりという物がどんなに脆く、薄いものかがよく分かる。
そして今はそれを現実世界の友人でもやってしまう。
実際に会わずに、SNSだけで会話をする。
今回の小説に出て来た富田が明野の死を手紙で初めて知ったのも、そのせいだろうと思う。
僕らが生きているのが死に時差がある時代だと言うことに気付いて欲しい。
それは、人との繋がりが薄くなったと言うことである事にも。


※この文章は決してSNS(Twitter、LINE等)を批判する物ではありません。

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