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妹と兄が少し長いやりとりを終えると、Aの祖父は、「ああ、疲れた」と言って、少しよろけた。疲れが足に来ているのである。
その様子を見て、Aの妹が心配して、祖父の体のからだを支えた。
「大丈夫ですか、おじいさま。もしかして、魔女を倒すために、力をお使いになったから、寿命が縮まって、明日死ぬなんてことは、ないですわよねえ?」
祖父は答えて言った。
「なに、心配はいらぬ。たいしたことはない。わしの寿命が、ほんの一秒短くなっただけだ。それより、わしの体力をいちじるしく奪ったのは、……列車だよ。ここまでの、おまえとの列車の旅が、わしには一番こたえた。わしが老体にむち打って、これから一戦交えようってときに、おまえというやつは」
「おじいさま、その話はもう、よしていただけません?」
祖父はAのほうを向いて言った。
「Aよ。列車の旅は疲れるなあ? おかげでわしは、いま立っているのがやっとだ。だからわしがあれほど、グリーン車にしようと言ったのに。おまえの妹がケチって、三等列車なんぞで来たもんだから、腰が痛くなってしまったではないか」
そのとき、妹が祖父に聞いた。
「おじいさま、さんとう列車ってなんですか?」
「え? わしらが乗ってきたやつだよ。ちっとは、わしに聞くんじゃなくて、自分で調べてみたらどうだ? その、スマホとやらで」
「あいにくわたくしのスマホは、電池が切れそうなので」
「ああ、そう……。よし、決めたぞ。わしらは、帰りの列車は、グリーン車に乗って帰ろう」
祖父はそう提案したが、娘はなぜか断固として反対した。
「いけません、おじいさま。考え直してください。駅の切符を売るところや、行きの列車の中でも、わたくしはおじいさまにご説明申し上げましたでしょう? あの鉄道のグリーン料金は高すぎます。鉄道会社にクレームを付けようか、わたくしは少々深刻に悩みぬいたほどです。けれどもわたくしはそれをしませんでした。わたくしがそれをしなかった理由は、言うと長くなるので割愛しますが、要するに、おじいさまがわずかな時間、多少窮屈な思いをしていただくだけで、わたくしとおじいさまのグリーン料金が浮き、そのぶんのお金がおじいさまの懐に残ります。そうです。なんて素敵なアイデア! ですから、おじいさまとしては、グリーン車に乗った気になって、おじいさまの言うさんとう列車の座席で、孫のために、ほんのわずかな時間、多少窮屈な思いをしていただくだけでよろしい。そうすれば、おじいさまがグリーン車に乗った気になって、鉄道会社に支払ったと仮定されるところの金額のうちいくらかが、この素敵な提案をした孫娘にほうびとして支払われることができます」
「おい、ちょっと待て」
「いいえ、待ちませんわ。だって、当然の話じゃありませんこと? おじいさまの懐に浮いたお金の、全額とはいわず半額くらいは、報酬としてわたくしにお支払いいただく気になっても、まったくおかしくありませんわよ。わたくしがおじいさまの立場なら、きっとそうしたでしょうに。わたくしはおじいさまもきっとそうすべきだと考えます。なぜなら、おじいさまにとって、おじいさまがグリーン車に乗った気になって支払ったと仮定されるところの料金は、わたくしの素敵な提案によって、おじいさまの懐の中で完全に浮いたお金とみなされ、譬えて言いますれば、わたくしが買うように言った馬券が見事的中し、おじいさまの懐に現金が飛び込んできたようなものです。わたくしの助言によって万馬券が当たったというのに、わたくしにいくばくかの謝礼を支払うのをためらわれるのは、人としてどうかと思います。それは人の道を踏み外した行いとすら言えないでしょうか?」
祖父はあきれ顔でAの妹に言った。
「まったくおまえってやつは。待てと言ったのに、長々としゃべりおって。わしには、おまえがしつこく繰り返す『乗った気になって』という言葉の意味がさっぱりわからん。――が、まあよかろう。おまえの頭の痛くなる話をえんえんと聞かされるよりは、いっそおまえに金をぽんと授けたほうが、わしに残された人生の時間を有意義にすごせそうだから。よし、わしはおまえに金を払おう。で、いくらだ?」
「二万円です」
「え? そんなにするのか……。いや、待て。おまえ、まさか帰りの列車のグリーン料金も、金額に上乗せしているのではあるまいな?」
「当然です。なぜなら、わたくしたちは、帰りの列車もグリーン車に乗った気になって帰るのですから」
祖父はAに言った。
「これ、Aよ。この、金の話になると途端に饒舌になる、がめつい娘はおまえの妹なのだから、おまえがなんとかしてわしを助けなさい。わしはおまえの命を救ったのだから、それくらいしてくれても、ばちはあたらんだろう?」
Aは答えて言った。
「祖父よ、それは無理な相談です。妹に金の話をやめさせることが不可能だということは、妹が兄に借りた金の件で、実証済みのことです。ついでに言いますと、わたしが妹とうまくやっていく自信が、たったいまなくなりました」
妹は兄に口をとがらせて言った。
「もう、お兄さまったら! どうしてそういじわるをおっしゃるのですか? わたくしは悲しいです。ところで、わたくしも少し疲れましたから、そろそろこの場所を立ち去りましょう。上の兄のむくろも、いつまでもここに放置しておくわけにはいきません。ところで、お兄さまにひとつ提案なのですが、この件が片付いたら、お兄さまもぜひ、わたくしたちと一緒に母の実家であるところに行って、しばらくわたくしたちとすごしましょう。お兄さまも少しお疲れの様子とお見受けいたしますから。それに、お兄さまが一緒に帰られたら、おばあさまもきっと喜ばれるはずです。そして、お兄さまも当然、わたくしたちと一緒に帰りの列車でグリーン車に乗った気になって行かれるのですから、おじいさまの懐に浮くお金がそのぶんふえることになり、そのことでおじいさまは喜び、わたくしも喜んで、みなが幸せになれるとわたくしは確信します」
妹の言葉を聞いて、兄と祖父はその場に倒れ伏した。
(『アザゼルの孫たち』・完)
アザゼルの孫たち 芳野まもる @yoshino_mamoru
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