奇跡の花に捧ぐ歌

若槻 風亜

第1話


 誰が呼んだか「花の渓谷」。季節ごとに色とりどりの花が咲き誇るそこは、年中訪れる者が絶えない有名な観光地である。騒がしさを嫌う花の竜――花で出来てるのではなく、背中が平らに近いため土が溜まりやすく、そこに花が咲くことからこう呼ばれる――たちが闊歩するために、人の多さに反して穏やかな場所だが、この時期に関しては例外だった。

 渓谷を為す一番高い山。その山頂にそびえる大樹の雪が完全に払われ、枝葉の全てが鳴った時、山の春は訪れる。春の訪れが告げられると、妖精や精霊たちは夏の知らせが来るまで、こぞってとある場所に祝福を与えにやって来るのだ。その光景は大変に幻想的あり、昼はもちろん夜にも人が訪れ眺める春の風物詩である。

 ではその場所とはどこか。それは、渓谷にある一番大きな湖の、そのほとり。そこにあるのは、四年に一度だけ咲く奇跡の花。その種だ。

 種が芽吹くまで一年。茎を伸ばすまでに一年。つぼみを付けるまでに一年。開花までに一年。実に四年をかけるその花は、開化すると新たな精霊を生み出す。生み出された精霊はそれまでに与えられた何倍もの加護を山へ、渓谷へ、それらに住まう者へ、あるいは誕生の瞬間に立ち会った者たちへと分け与えるのだ。

 そうとあれば群がり来るのが人間だが、この時ばかりは人ならざる者たちは誰も彼もが協力し合い、人間を一定の距離より内側に入らせない。如何に腕の覚えのある者たちでも、山全てを敵に回すような愚かな真似をするはずもなく、賑やかながらも秩序ある集まりとなるのだ。その内に、それは四年に一度の祭りとなり、近隣の町や村、あるいは旅の者たちがあちらこちらに屋台を出したり出し物をしたりするようになった。

 旅の歌姫トウ・トヒもその内の一人である。臙脂の長い髪をなびかせ吊り目気味の目をした少女は、賑やかな周囲を楽し気に見回していた。

「いいねいいね、人いっぱい。精霊様とやらは興味ないけど、この人数は最高」

 にっと歯を見せて笑うと、トウは近くにある木にするすると登り、枝を渡った先にある大岩に飛び乗る。眼下の人々の何人かがトウに気付き顔を上げ始めた。ある程度の視線を集めたのを確認してから、トウは大きく息を吸い込む。

 直後、彼女の口から放たれた大きな歌声は、それまで以上に人の視線を集めた。単純に大きな音がしたから、ではない。その、圧倒的な歌唱力に驚いたからだ。一音一音重ねるごとに、その声の厚みは膨れ上がるかのようで、見上げる者たちは感嘆の声を上げていた。

 しかし、彼らの視線は一瞬後に恐怖のそれへと変わってしまう。

 歌うトウの頭上から差す巨大な影。はっとした彼女が顔を上げると、一頭の花の竜がトウが立つ岩の後ろの岩壁からトウを見下ろしていた。サイズとしては小さい方だろうが、あまりにも間近で見た爬虫類独特の目に、流石にヤバいとトウは思わず笑みを零す。逃げるべきか動かざるべきか。迷った刹那、花の竜は太い前足をトウに向けて下ろして来る。地上から悲鳴が上がる中、トウは大きな爪に貫かれることなく、むしろそれに守られるように掬い取られていた。

 一体何だ、とトウは目をぱちくりとさせる。すると竜は、腕を持ち上げ、トウを斜め上へと放り投げた。投げ捨てられた、と思ったが、比較的すぐに背中が何かにぶつかる。固まりかけた首を動かすと、土色の虎がトウを背中に乗せていた。サウンドタイガーと呼ばれる、この地に住まう生き物の一種だ。今度は何だと混乱する間に、トウを乗せた虎は竜の背中に着地する。

 途端に放り出されたトウだが、身軽に転がり受け身を取り、怪我をすることだけは何とか避ける。虎はまるで「竜が拾えと言ったから拾っただけ」とばかりにトウに興味を向けず、竜の頭に向かって駆けて行ってしまった。

「……え、いや、え? 何?」

 トウは普段、何があっても動じない女、と評されるほど怖いもの知らずだ。とはいえ、こんな野生動物に攫われるという状況は驚かざるを得ない。混乱して周りを見回していると、竜が動き出す。段々と近付いてくるのは、人間が近付くことを許されない、あの湖。

 向かう中、何度か別の竜に止められた。唸るような声に、トウが乗る竜もまた何かを鳴き返す。すると、別の竜たちはその度に訝むように鳴いてから道を開けた。

 ややあって、トウは遂に件の花の前まで連れてこられる。

 竜の背に乗って丁度の高さにくる、夏の空のように鮮やかで青い花弁がぎゅうっと閉じたつぼみ。その周りには精霊たちの祝福なのか、金色の優しい光がふわふわと浮いていた。精霊の誕生、そのものには興味がないが、これはとても綺麗な光景だと、トウは素直にそう思う。

 見惚れていると、トウを乗せた竜が急に鳴きだした。何度も何度も、まるで何かを急かすように。

「――あのさ、もしかして、あたしに誕生を祝う歌を歌えって言ってる?」

 大きめな声で問いかけると、返事をするように竜はゆっくりと鳴く。

 それを肯定と取り、トウは周りを見渡した。周囲には花を、そしてトウの動向を見守る人ならざる者たちが集まっており、時折妖精や精霊がふわりとトウの周りを飛び回る。

 彼らから、トウは期待を感じ取った。

 その途端、彼女から戸惑いは消え去り、挑むような笑みが浮かぶ。

「やるじゃんあたし。遂に人だけじゃなくて、竜だの精霊だのにも求められる歌になったんだ」

 彼女は昔から、今も変わらず、歌を愛している。この命は歌うためにあるのだと、この命こそ歌なのだと、公言して憚らない。もっと広い世界で歌うため、もっと多くの人に聴かせるため、故郷を捨て世界を旅するトウ。その結果のひとつが、今なのだ。

「あは。最高じゃん、いいね。いいよ分かった、歌うよ。これから多くの祝福を与えに行く、誰よりも愛されている精霊に、最高のバースデーソングを」

 軽やかな足取りで竜の背中の端まで向かう。ギリギリの位置で止まり、トウは先程よりも近くなった花に真っ直ぐに視線を注ぎ、大きく、大きく、息を吸い込んだ。込める思いは、祝福。

 明るい世界が待っていると、あなたの誕生を誰もが心待ちにしていると、幸せな命でありますようにと。優しく温かな言葉を紡ぐその歌は、一心に、純粋に、射抜くような声で、花へと、そこで眠る精霊へと、贈られる。

 やがてトウの歌が終わると、変化が訪れた。ふわふわとしていた光が全て花に吸収され、青い花弁がゆっくりゆっくりと綻び始める。近くにいる人ならざる者たちも、遠目から見ている人間たちも、それぞれの声で歓声を上げた。

 花が開くほどに強くなる光に目を細めていたトウが次にきちんと目を開けたのは、花が完全に開き切り、集まっていた光が天空へと舞い上がった時だ。それは高く高く上ると、その先で大きく弾ける。それはまるで、何倍にも膨れ上がった植物の細かい種子が飛び散るような様であった。

 光は山へ、渓谷へ、人ならざる者たちへ、人間たちへと降り注ぐ。さらに歓声が強くなる中、花の中で人影が揺れた。最も近くにいたトウが最初に気が付き、相手もまた、最初にトウに気付いたようだ。深い青の髪に、白に近い水色の肌をした女性。彼女こそ、新たなら精霊その人だ。

 精霊はトウに気付くと満面の笑みを浮かべ、ふわりと浮かび上がる。そのまま風に乗るようにトウの近くまで来ると、くるりくるりと彼女の周りを飛び回った。正面まで来ると、にこりとトウに笑いかけ、顔をその喉に近付ける。精霊からの、礼を兼ねた祝福だ。多くの者が羨み、大金をかけてでも欲しいと思うだろうそれを、トウは静かに受け入れ

「あ、待ってごめん。もしかして喉に祝福くれようとしてる? だったらごめん、いらない。あたしは自分の力だけで進みたい」

 る、ことなくあっさりと断る。身を引いて自分の喉と精霊の唇の間に手を差し込むとトウ。気の強い精霊であればこの時点で殺されかねないが、生まれたばかりの精霊は、きょとんとした後すぐさままた笑った。

「残、念。オ礼ガ、シタカッ、タノ、ダケド。デモ、ソレ、ナラ、仕方ナイ、ワネ」

 まだ発声に慣れていないたどたどしい言葉を紡ぐ精霊に、トウはごめんねと笑って首を傾ける。

「あたしの分もさ、みんなに分けてあげて? あ、みんなにあげる分の一なら欲しいかな」

 軽く提案するトウの悪びれなさは精霊には小気味良かったようだ。くすりと笑うと、彼女は両腕を大きく空に向かって伸ばす。続いて溢れた優しい光はふわふわと広がり、周りにいる人々の元へを向かった。続いた祝福に、大きな歓声がまた上がる。

 その中には、気付けばトウを称える声も含まれていた。それに気をよくしたトウは、再度息を吸い込み、軽やかな歌を歌い出す。その周りを精霊たちや妖精たちが踊る光景は、とても幻想的であり、多くの人々の心にその姿は焼き付けられた。

 やがて伝説と謳われる歌姫、トウ。これは、その伝説の一説として長く語り継がれることになる。

 

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