大穴の乙女

小早敷 彰良

大穴の乙女

「母さん、来ちゃうよ。準備はまだー?」

「少しかかるから、待ってなさい」

「早く早く」

その15歳の少女は褐色の肌を紅潮させながら、待ちきれない、といったように、部屋の外に走り出る。

彼女の母親は微笑ましく、外に出る少女を見送る。

ドアを開けた途端、潮風がうねった髪を撫でた。

少女は一瞬潮風に目を細めると、空を見上げた。

吸い込まれそうな快晴だった。

「おーい、ペテ、そっちは準備できたのか」

ペテと呼ばれた少女が目をやると、千切れんばかりに手を振る少年が、柵から身を乗り出していた。

ペテの視力は特別良いために、その少年の弾けるような笑顔をよく見ることができた。

「ゲン!」ペテは手を振り返す。

「私たちは荷物を箱に詰めたらおしまい! そっちはー?」

「こっちもあらかた済んだ! あとは来るのを待つだけだ」

「楽しみだねー。あんまり身を乗り出すと落ちるよー!」

「大丈夫大丈夫。おっと」

「ゲン!……ゲン?」

「はは、冗談だ馬鹿」

「馬鹿はそっちだわー!」

海に落ちる真似をしてみせたゲンに、ペテは本気で怒りを露わにする。

「これからどんな海流になるかもわからないのに、今海に落ちたらどこに流れ着くか、どれだけ危ないかー」

「わかったから、ごめんな。

これから島が顔を出す海域だ。

海に落ちたらどうなるかくらい、親父から嫌ってほど教わってるって」

ペテは隣接する船の上で、ゲンがきちんと立っていることを確認するまで、怒りの表情を隠さなかった。

「おいゲン、手伝ってくれ。ペテちゃんにあまり迷惑かけんな」

「あ、親父が呼んでる。じゃあまた浮上後、港でな。お互い稼ごうな」

ゲンはこれ幸いにと手を振って、船室の方へ走っていった。

ペテは息をついて、大きく伸びをした。

周囲には、自分たちやゲンたちが乗る小型船の他に、大型の貨物船や軍艦、空母が、各々距離を保って周遊していた。


彼女らの前に広がる大海原は、群青で穏やかな流れを保っている。

専門家と近隣諸島に住む商人でもなければ、もう数十分も後に巨大な島が現れる海域には見えないはずだ。


4年に1度、北方にあるこの海域には、1つの島が浮上する。

島の名前はノース島。

北、とだけ島名に名付けられたその島は、平常時は海底深くに沈んでいるが、4年に1度の夏季にだけ、海上に姿を表す。

数時間もあれば、踏破できるその島は、浮上時、緑生い茂る熱帯性の島だ。

浮上直後から、生き物も豊かで、鉱石も豊富、数分前まで海の底にあったとは考えられない。

幾度となく派遣された調査団によれば、地下深くまで続く洞窟もあるという。


そして、夏季が終われば、浮上してきたのと同様、唐突に水没する。

そこに何人取り残されていようと、どんな対策をしようと無意味にただあるがまま、ノース島は沈む。

島をどれだけ人が傷つけようと、また4年後には、自然豊かな美しい姿で、再び島は現れる。

得体の知れないその島は、好奇の目と訪れる人を惹きつけてやまなかった。


「つまり俺らは稼ぎ時、てわけだ。」

「はい、ビア80本、お待ちどうさまですー。…なんか言ったゲンー?」

「俺たちにとって、ノース島様々だ。こうして人が集まる機会なんてそうないだろ?」

ペテとゲンは忙しなく周囲の船に接舷し、用意していた食べ物を販売してまわっていた。

先ほどまでペテの母やゲンの父が用意していた料理や酒のビンは、世界各国から集まった研究者や調査団に、歓喜をもって受け取られる。

「島に上がってからが本番でしょー。早いとこ、拠点を確保しなきゃー。」

「良いところは早い者勝ちだものな。毎回港や建物は作り直しってのは、不便なものだ。」

4年前、島が沈む直前に出来ていた港を、ペテたちは懐かしく思い返す。

「前回は特別立派なものだったねー。ちょっと外装が派手だったけどー。」

「そうか? 俺はあれくらい祭り感ある場所が好きだな。

今回はそうもいかないかもしれないが。」

ペテとゲンは、ちらり、と島の浮上予測範囲ぎりぎりにいる一際無骨な軍艦を見た。

「4年も経てば、この島の調査の主導権を握れるほど強い国も変わるー。

今回も前回と違う国だねー。お祭りはあまり好きじゃなさそうー。」

「イズルパニアだろ。食べ物買ってくれるし、俺たちの立ち入りを制限しなかったから、最低限のノース島のルールは守るつもりはあるみたいだけれど。」

「観光客の立ち入りは禁止―。イズルパニアの指定する国以外も禁止―。良い感じじゃないねー。」

砲台を隠しもしない軍艦で、睥睨されているような気分となり、ペテは身を震わせた。

「親父たちが言ってたんだけど、今回は良い場所を取るよりも、イズルパニアの機嫌を損ねないよう動いたほうが、良いだろうって。」

ゲンは神妙に言う。ペテは頷いた。

彼はぱん、と手を叩き、無理に笑顔を作った。

「ま、先のことはなんとかなるさ。そろそろ浮上時間だ。親父たちのところに戻ろうぜ。」

「うんー。」

2人はボートを自分たちの船へと向けた。


そのとき、1発の砲撃の音が、平和な海面に響いた。

「なんだ?」

ゲンが咄嗟に、ポートの揺れを制御する。

ペテは砲弾の先、水柱の立つ向こうに必死に目を凝らした。

「イズルパニアの軍艦だ。撃ったんだ。なんでこんな時に?」

ゲンはオールを漕ぐも、手応えはない。

「砲撃のせいか、海流がおかしい?

いや浮上だ。何時もより早い。

ペテ、どこでも良いから捕まれ。」

ペテは呆然と水柱の根本を見ていた。

そこにいたのは、数人の老若男女だった。

今まさに、海中から顔を出したのだ。

「どうしてー、沈むとき島にいた人は誰も帰ってこないはずなのにー。」

おねえちゃん、とペテは呟いた。

ゲンは海流と戦いながら、ペテの呟きに答える。

「お前の姉貴は島に残っていなくなっただろ。」

沈むときに島にあったものは、すべてなくなる。

そう、ペテも思っていた。

老若男女の存在が、彼女の今までの想いをひっくり返していた。

彼らはどこからきて、なぜあそこにいるのか。

先ほどまで、あそこに何者もいなかった。

そもそも浮上直前のこの海流では、泳いであそこまでたどり着くことは難しい。

彼らは突然現れた。

まるで、海中から浮上しつつある島から、海面に泳いで、顔を出したように。

「ゲン、お願い、あそこまで行ってー!」

「はぁ?」ゲンは呆気にとられている。

「おねえちゃんがいるかもー!」

「イズルパニアもいる。行っちゃ駄目だ。」

オールを奪おうと手を伸ばすペテに、身をよじって止めようとするゲン。

「危ない!」


ペテの視界が反転した。

身体の左側が冷たくなったかと思えば、あっという間に海中に引っ張られる。

目が海塩で痛みを訴え、視界は青く、海底がかき回されて浮かんだ藻が全身まとわりつく。

海面の光がみるみる遠のいていく。

(あ、やっちゃった)

ペテはどこか他人事のように思った。

(あれだけゲンに言ったのに。自分がやった)

空気を肺にとどめておけず、彼女は激しく咳きこんだ。

手足をばたつかせるのを止めて、ペテは思う。

(母さん、ゲン、ごめんなさい。)

ペテは、暗くなっていく視界を受け入れた。



まず初めに感じたのは、頭痛だった。

それは酸欠による体調不良であったが、ペテにはわからないことだった。

ただ彼女は、自分が生きていることに困惑していた。

「クワーエーッ!」

「なにー?」

言い表しづらい鳴き声に、ペテは飛び上がる。

ペテの横にいたのは、細長い4本足の鳥だった。

「クエック」

もうひと鳴きすると、その鳥は口から半透明の赤い水袋を吐き出した。

「フシハキ鳥―。」

見覚えのある鳥から水袋を受け取って、ペテは言った。

「くれるのーありがとうー。」

フシハキ鳥の吐き出す液袋には、痛み止めの効果を持つ液体が入っている。

ペテは液袋を一気に飲みこんだ。

「クエッ」

撫でてやりながら、ペテは言う。

「フシハキ鳥はノース島にしかいないはずー。どうしてここにー。」

そこで、自分がどこにいるのかもわからないことに、初めてペテは思い至った。

彼女が目を覚ましたのは、どこかの河原だった。

「街だー。」

河原には道路へとつながる階段があり、道路はレンガづくりの街へとつながっていた。

遠くに大穴があいた赤茶色の山がそびえている。

「ここはー。」

「ねえ、きみ大丈夫?」

かけられた声に、ペテは弾かれたように立ち上がった。

彼女に声をかけた青年は気味悪そうに見つめていた。

「あれ、きみのペット? ペットだとしてもフェニークの水玉を飲むのは、衛生的に止めたほうが良い。」

「フェニークー? フシハキ鳥じゃなくてー?」

ペテの言葉に青年は、困惑の色を深める。

「どうしたんだ。ずぶ濡れだし。」

青年は、ペテに声をかけたことを後悔してるようだった。

「フシハキ鳥なんて、大穴の乙女の伝説にしか出てこない名前さ。」

「大穴?」

青年は遠くの山、火口だと思った付近を指差した。

「あの山、見えるかい? トルレコ山山頂に夏季になればあく穴、あれをこの街ではただ、大穴、と呼んでいるのさ。

大穴は夏の間開いてる。遠すぎて何があるかはわからないけれど、ロマンを感じるだろ。

大穴の乙女とか、きみも1回は絵本で読んだことあるはずだ。」

「夏が終わるとどうなるのー。」

「ふさがる。土も戻ってくる。謎の恵みを携えてね。去年はすごかった、未知の原子でできた塗料に船、噂だと兵器もあったとか。」

そうかー、とペテはうなずいて、立ち上がった。

そのまま、歩き始めようとする彼女に、面食らった様子で彼は言う。

「どこに行くんだ。あの時期ピリピリしてるぞ、あそこは。

恵みを奪われないよう、イズルパニアが陣取ってる。」

「イズルパニア、かー。」

ペテの歩みはより力強くなり、青年をより呆れさせた。

「知っている国、聞いたことのある現象、きっとあそこに答えがあるはずー。」

青年は呟いた。

「まるで大穴の乙女の冒頭みたいなことを言う女だ。外見は最高にタイプなんだが。」

しばらく逡巡した後、彼はペテを追って走り出した。

「道案内を買って出てやるよ。大穴の乙女のフロドみたいにな。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大穴の乙女 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ