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学内説明会は、学生棟の隣に位置する学生ホールの中で催される。春夏の採用で優秀な学生を取り零した企業がめいめいブースを組み、やはり春夏に採用から取り零された学生を待ち構えているのだ。てっきり中小、零細企業ばかりだろうと俺は高を括っていたが、ここ数年の売り手市場の煽りか、この季節になっても、名前を聞いたことがある企業のブースがちらほらと見受けられた。
特に興味がある企業があるわけでもない。興味を持つ努力もしていない。わけも無くブース内を一周し、どこにも行き着く場所が無いことを悟ると、無性にくたびれ果ててしまうのだった。
三ヶ月前も、こうだった。確固たる信念も無くレコード会社ばかりに狙いを定め続けた挙句、敢え無く全てに落とされた。頼みの綱もこればかりと学内説明会へ行けど、今更別の業界を志望する体力も気力も無く、漫然とブースの看板が連なる様を眺め、俺は一体どこに流れ着くのだろうかと考えていたら、突然漆喰が溶け始め、全てが崩れたのだ。
あれから俺は、何一つ変わっていやしなかった。それどころか、俺はどこにも行けやしないのではないかという疑念は、日を追うごとに強まるばかりだった。
ホールの隅に設置されたベンチに座っていると、その向こうで、見知った顔がブースとブースの間を右往左往している。よく目を凝らすと、やはり廣川だった。彼もまた濃紺の背広を着て、所在無げな表情を浮かべている。
今に気付くだろうと俺が廣川の顔を凝視していると、彼は案の定、数秒も経たないうちにこちらに気付き、おぼつかない足取りでこちらの元に寄って来る。
「その気になったか」
廣川は仲間を見つけて安堵したのだろうか、だらしのない笑みを浮かべている。
「いや、これはポーズだ」
「ポーズ?」
「スーツ着て適当な会社のパンフだけ貰ってりゃ、とりあえず今日は凌げる」
その言葉に廣川は呆れを隠せないのだろう、口をあんぐりと開け、何とも形容し難い間抜け面を俺に見せつけた。だが、俺もその顔を見て笑えるほど、肝が据わっている男ではなかった。どうにも居た堪れなくなり、ベンチ横のテーブルから、企業パンフレットを何部か適当に掴み取り、ホールを離れることにする。
「部室か」
廣川が俺に続く。この男も、ホールを抜け出したいらしい。
「少なくともここからは退散だ、終わり終わり」
ホールのドアを開け、学生棟へと続く廊下を歩く。途中、スーツの男女二、三人とすれ違ったが、やはり彼等も俺達と同じ境遇に立たされているのだろう。皆が皆、憂いの雲に取り巻かれたような表情を浮かべている。
去年の今頃、似たような説明会に、似たような面持ちで参加する先輩方を傍から見て、まさか俺が、同じような立場に置かれるとは思ってもいなかった、むしろ、こうはなるまいと固く決心したはずだったのだが、今となっては何も言うまい。
俺達は顔を見合わせたが、言う言葉は互いに何も無かった。階段を黙々と上がり、部室に入り、なるべく下級生と距離を取れるよう、隅のテーブルを選び、腰掛ける。場所が変わったことで少しだけ居心地は良くなったが、またしても逃げ道を選んだことに対する罪悪感も無いわけではなく、俺は誠に理不尽かつ無根拠な苛立ちを覚えるのだった。
「なんかこう、もうダメなんだよね」
無茶苦茶な怒りをよそに、俺がぼやく。
「何がどうダメなんだよ」
「面白くない、何もかも面白くない、ビーディ・アイのセカンドくらい面白くない、ハロパにでも行かないともう俺は面白くなれない!」
「ハロパ?」
廣川が怪訝そうに聞き返す。
「あれだよ、ハロパってほら、ハロウィンパーティー」
ビジネスバッグの奥から、先程マーベルから貰ったジャック・オー・ランタンの仮面を探り出し、廣川に見せつけた。
「学生街でやるらしい」
「なんだ、俺も配られたわ。いらねえって言ったのに」
廣川が、やはりビジネスバッグの奥から例の仮面を取り出した。俺は拍子抜けしてしまったが、気を取り直し、こう言った。
「仮装するんだよ、そんで皆でワーッてやるんだよ、やるぞ、ワーッと」
「何に?」
「キャプテンマーベル」
「何言ってんだお前」
所詮冗談半分、やけ半分の突発的な思い付きである。廣川は非情なもので、俺のろくでもない戯言に耳を貸す気は一切無いようだった。
「ダメか、ダメだよな」
これを使う機会も無いだろうと、もう一度、ジャック・オー・ランタンの仮面に目を向ける。すると突発的に、先週のある日の朝のニュースで耳にした、あることを思い出した。
「あのさ、ジャック・オー・ランタンって何者か御存知?」
「知らんよ」
廣川の反応は鈍い。
「こいつね、天国にも地獄にも行けないからずっとこの世をさまよってんの」
俺は、仮面を人差し指で軽く叩きながら言った。そう言いながら改めて仮面を見ると、両目と口の部位に刳り抜かれた空洞の向こう側には、果て無く空虚な空間が広がっているのではないかと思えてならなかった。
「親近感持つじゃない、そう考えると」
「どこに?」
「俺もお前も行けないんだから、天国も地獄も」
俺はそう言いながら、東山が「てつやん」でクダを巻いていた、あの日のことを思い出した。彼が留年と言う名の「地獄」を引きずってこれからの一年を歩むとするならば、俺達は一体、何を抱えて暮らして行くのだろうか、とも少しばかり考えた。
「何に対しての天国と地獄なんだよ」
廣川が面倒そうに返す。
「そりゃ地獄ってのは留年だろ、東山の言うあれだよ」
「じゃあ、天国ってのは内定か、内定して食い扶持が保証されたってところか? そんな単純な話か?」
廣川が吐き捨てるように言う。俺は彼の物言いに些か不快感を覚えたが、その言葉はもっともだった。
「まあ、天国かってなると語弊がある」
「だろ」
「でも、今どこにも行き場が無いのは、そうだろ。ここには留まれない、新しい居場所も見つけられない」
しかし俺は一体何の為に力説しているのだろうか、つくづく情けなくなる。そう思えば思うほど、それを誤魔化すかのように、自然と声が大きくなる。
「はあ」
「ジャックなんだよ、オーランタンなんだよ、カボチャなんだよ」
「分かった分かった、分かった分かった分かった、だから要するに何だって」
次第に強まっていく俺の興奮を抑えるかのように、廣川が早口で喚く。その言葉に、俺も漸く落ち着きを取り戻し、ジャック・オー・ランタンの仮面を机に置き、言った。
「だからさ、俺達が何の仮装をするかってこと」
「これ?」
「そう、それ」
俺は仮面を折り畳んでポケットにしまい、顎を部室の外へとしゃくった。
「これを被って、俺達はハロパに殴りこむ」
学生街は、盛況だった。露店が並び、少し目を向けただけでも、ハーレイ・クイーンの仮装、マリオの仮装、夢の国のネズミの仮装、遠く向こうでは、先程のマーベルが何者かに向かって大手を振っていた。
「もうちょいお通夜な感じになると思ったんだけどな」
廣川が言う。この賑わいは想定外だった。運営側がしくじって、しけた雰囲気になるのではないかと少しばかり期待していただけに、複雑な気分だ。
「背に腹は代えられん」
ここまで来たならば、食い下がれまい。俺は、謎の信念を胸に抱いていた。つくづく、一一下らないことにばかり拘る男だな、こればかりは自分でも笑うより他は無かった。
廣川が仮面を手に取り、呟く。
「こんな安っぽいお面を被っただけで仮装しましたなんて、許されんのかね」
「違う、それは違う!」
俺は、自分でも驚くほどの大声を上げた。その瞬間、周囲の人間という人間が俺達を凝視したが、それでも俺は構わなかった。
「外見じゃない、中身が本物のジャックなんだよ。俺達もジャックも天国にも地獄にも行けないんだよ、そこら辺の格好だけ真似してる奴らと次元が違うんだよ、分かるか」
俺の言葉は最早出鱈目でしかなかったが、あまりの剣幕に不意を打たれたか、廣川は後ろに引き下がった。
「分かった、分かった」
「よっぽどヘマしなけりゃ留年できないし、でも他に行きつくあてが無いんだよ、どこにも行けないんだよ、行けないからこうやって被るんだろうが」
俺は輪ゴムを伸ばし、いよいよジャック・オー・ランタンの仮面を耳にかけた。両目や口元を動かす分に支障は無いようだが、鼻元をくり抜くところまでは流石に気が回らなかったのか、少しばかり息苦しさを覚える。
仮面を付けた俺を見て、廣川は嘲笑混じりの薄ら笑いを浮かべている。
「お前、変だぞ」
「そりゃそうだろ」
「映画泥棒っているじゃん、スーツにカメラの被り物してるやつ。あれはちゃんといいスーツ着てるから様になってるんだろうけど、就活スーツにちゃっちいカボチャのお面じゃ、まあみっともない」
能書きばかり長い男だった。
「うるせえ、いいからお前も被るんだよ、早くしろ」
俺に急かされ、廣川はしばらく何事かをぶつくさと呟いていたが、やがて腹を括ったかのように仮面を取り出し、顔にかけた。彼が言うように、地味な就活スーツに粗末な仮面が合わさった姿は不格好で、滑稽極まりない代物であることは確かだった。
「ひでえ」
「言っとくけど、お前もこれだぞ」
互いをひとしきり嘲笑った後、しばし、沈黙が流れた。いざカボチャの仮面を付けたからと言って、これから何をどうする、という目標があるわけでは無かった。
「これで、どうするのよ」
廣川は言う。
「そりゃ、とりあえず歩くしかないでしょ」
兎にも角にも商店街をあても無くさまよい歩き、辿り着くはずの場所の在処さえも朧な我々の悲哀を、ジャック・オー・ランタンになぞらえて再現する、それだけが俺達の使命だった。
「できるだけ威圧感を与えろ、できるだけ恨みのオーラを放ちながら歩け」
俺達は緩々と歩き始める。仮面越しの視界は非常に悪く、人を避けながら移動するとなると、至難の技だった。右によろけ、左によろけ、とうとう俺は、サンタクロースの格好をした女集団にぶつかった。
「あっ、すいません」
そのうちの一人が慌ててこちらへ振り返り、小さく会釈をしたが、仮面を付けた俺の全身を見るや否や、瞬時に表情が強張り、見なかったことにしよう、とでも言わんばかりに、そそくさとその場を離れて行った。
「サンタは気が早すぎるだろ」
俺がせせら笑っていると、隣で一部始終を見ていた廣川が、切り出した。
「クリスマスまで内定決まってなかったらさ、どうすんの?」
「いや、取れないでしょ。こんなんして」
俺は言いながらも、この言葉が間違いであってほしい、そう願わずにいられなかった。一方で、俺達は年が暮れようとも明けようとも、どうせその辺りをさまよい続けているのだろう、という呆けのような諦観も、少なからず持ち合わせていた。
「そうか」
廣川が、まるで何かを悟ったかのような、落ち着いた口調で応えた。
学生街の隅から隅までを歩き終わり、もう一周。厚紙の仮面に就活スーツ。奇天烈な格好で練り歩くだけの俺達を警戒しているのか、或いはその先、その真の意味を薄々なりとも勘付いているのか、ともかく道行く人間という人間が、俺達をじりじりと避け始めていた。それは痛快であり、物悲しくもあった。
廣川の顔を覗き込む。その顔は仮面に隠れ、奥の表情は読み取れない。
この男が一体何を思って、俺が咄嗟に考えた低俗な思い付きを呑んだのかは定かではないが、彼もまた俺のように、どこにも行けやしない、辿り着けやしない宿命であることを甘んじて受け入れているのだろうかと考えると、それはあまりにも虚しく、侘しい話ではないか。
俺達はそれきり何を話すこともなく、ハロウィンで一面華やぐ学生街の、遥かその先を見つめ、黙々と歩き始めた。
夕暮れを過ぎたあたりで廣川と別れ、アパートへと帰った。俺は用済みと化したジャック・オー・ランタンの仮面を力任せに丸め、ゴミ箱へと捨てる。煮え切らない気分で床に突っ伏し、キッチンの向こうへ目をやると、件の深緑色のカボチャが飛び込んできた。目が合ったような気がした。
「分かったよ」
俺は立ち上がり、諭すように呟いた。このカボチャを煮付けにして、俺の腹の中に収めてくれよう。来るべき時だと思えた。俺は何としてでも、カボチャを倒さなければならなかった。
「お前の煮付けをするからな、してやるから待ってろ」
カボチャの煮付けのレシピを検索し、適当なページを開く。ざっと読んでみると、どうやら我が家の小さな鍋でも作れるらしく、ほくそ笑んだ。
まな板の上にカボチャを置き、その艶めく深緑の球体に包丁を当て、真二つに切る。予想以上の強い手応えに面食らった。こいつ如きに切らせまいと、カボチャが逆らっているようでもあった。取手を持つ指先に鈍い痛みを覚え、俺はたじろぐも、包丁の峰に左手の掌を強く押し込むことで、漸くカボチャは音を上げる。俺は黄色く熟れたカボチャの断面を軽く撫で、静かに笑った。
更に、一口サイズに切り刻む。不器用ながらも辛うじて指を切り付けることも無く、無事サイコロ状に切り分けた。それを鍋の中に入れ、在り合わせの砂糖、みりん、料理酒と醤油を続け様に投入する。途中、大匙と小匙を間違えたり、みりんと酒の分量を間違えたりしたが、食べられないことはないだろうと、特に気にせず、鍋に火をかけた。
沸騰が始まったら、鍋の大きさに合わせたアルミホイルをかけ、更に十分かけて、丁寧に煮る。醤油と砂糖が合わさった、香ばしくも甘ったるい匂いが、ワンルームに染み渡るように広がっていく。
アルミホイルを取ると、湯気が俺の首を包み込むように立ち込め、その向こう、濃いきつね色をしたカボチャの煮付けが、鍋の底に転がっていた。勝ったような気がした。確かに俺はこの瞬間、勝ってしまったのである。
そう、俺はジャック・オー・ランタンに勝ったのだ、と。
食器棚の中でも最も綺麗な皿を取り出し、煮付けをよそっては呆れるほど丁寧にラップをかけ、冷蔵庫に入れた。まだ食べない。まず朱音に食べてもらおう、どう考えた。彼女は一体何を言うのだろうか、俺は根拠不明の期待に心を躍らせ、彼女を待った。
何十分と経たず、待望の朱音は部屋にやって来た。彼女はいつかと同じように部屋をくまなく見渡したが、丁寧に畳まれている布団を見て、満足気な表情を浮かべた。
「合説はどうだった?」
朱音の言葉で、そんな話もあったなと思い出した。あまりにも印象が薄く、何日も前の話かのように思えた。
「ホールのベンチは固いんで嫌いです」
「え?」
俺は早く、カボチャの煮付けを朱音に食べさせたかった。
「そんなんどうでもいいんですよ、レンジのカボチャで煮付けを作ったんですよ。凄くないですか?」
「あっ、本当だ。無くなってる」
冷蔵庫からカボチャの煮付けを出し、朱音に差し出す。加熱でほぐれ、柔らかくなった繊維は再び冷えて固まってしまったが、それを差し引いても、感心させられる自信が俺にはあった。
「多分うまいですよ、どうですか一口、食べてみて」
俺は無理矢理カボチャの皿を朱音に押し付けた。朱音も仕方無しと、カボチャのサイコロを一つ、指で掴み、口に入れた。彼女はしばらくの間、もごもごと口の中でそれを転がしていたが、やがて飲み込み、こう言った。
「まずい」
「え?」
彼女の顔に笑みは無い。
「いや、まずい」
「マジっすか?」
残酷な一言に、俺はたちまちに打ちのめされた。
俺の期待を、何と非情なまでに切り捨てる女だろう。これで俺が二度と立ち直れなくなったら、どう責任を取ると言うのだろうか。この俺がとうとうカボチャのお化けを、ジャック・オー・ランタンを倒したと言うのに。この秀逸なメタファーを、俺が明日への活路を僅かに繋げたことを、この女は何一つ分かっていないのだ。
「もうちょい気を使ってくださいよ、頑張ったんだから」
「いやだって、これ、お酒とみりんの分量間違えたでしょ」
思わず、手を挙げてしまった。
「よく分かりますね、そんなん」
「まだカボチャ残ってるでしょ? 私がもっといいの作るから。キッチン空けて」
朱音は俺を押しのけ、コートを着たままキッチンの前に立つ。その横顔を見るに、どうも彼女は満更でもない様子だった。
朱音に全てを否定されたカボチャの煮付けが、テーブルの隅に置かれている。試しに一欠片、口の中に運んでみた。砂糖を入れ過ぎたか、やけに甘ったるい。それでいてアルコールが抜けきっておらず、絶妙な臭みが後に引く。なるほど、お世辞にも美味いとは言えない出来だ。
こういうことなのだ、と俺は痛感した。
カボチャの煮付けすら満足に作れない男だ。やれ先が見えないだの、やれさまよい続けるだの、結構なご身分ではないか。笑わせてくれる。
「朱音さん」
「何?」
朱音は、今にカボチャを包丁で切り付けるところだった。
「俺、職に就く前にとりあえずカボチャを倒したいんです。だから、ちょっとそこをどいてください」
「はあ?」
呆気に取られる朱音をキッチンから追い出し、包丁とカボチャを強引に奪い取る。
今に、この女を一口で唸らせるようなカボチャの煮付けを作ってやる、俺はハロウィンに誓った。さすれば、今度こそ俺の勝ちだ。お前を倒すことで、俺が着実に積み上げた閉塞感をかなぐり捨てた向こう、その向こうに滲む新たな光線をおびき寄せられるような、そんな気がしてならなかった。
鈍くも白く眩しい光沢を放つカボチャを前に、俺は思わず笑みを零した。
了
ワンダリング・ジャックへ捧ぐ 中洲エスア @nakasuesua
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