これは私の悪い癖

エド

これは私の悪い癖

 強いて言うならば朝焼けが眩いこと以外には特に大げさな変化もない、いつも通りの朝七時半。

 そろそろ新調すべきかと思いながらもなかなか実行出来ずにいる程には愛着が湧いて久しい薄型テレビから、今日も今日とて物騒極まりないニュースがいくつも流れている。

 強盗、殺人、詐欺、放火。他にも他にもエトセトラ。

 幼い頃に母から教わったのだが、私が住むこのセカイ――加えてこの一帯は特にそうだという――は、惨たらしい事件が次々と発生する極地と化して久しいらしい。

 突如として公的機関がウドの大木と化したのか、それとも国民が一斉に理性を投げ捨てたのか。もしくはその両方か。理由は知らないし知るつもりもないが、まさに〝世も末〟と表現しても差し支えない……というのが、私の知るこのセカイの現状だった。

 事実、ニュース番組では現在〝男性ばかりを標的にする連続殺人犯〟の情報を積極的に発信し、同時に視聴者からの情報提供を呼びかけている。

 それが終われば今度は、先日銀行を襲撃した強盗団の一人がようやく捕まっただとか、いただけない草を吸った男が妻と無理心中を図って失敗しただとか、コメントに困ったり困らなかったりするニュースが雨後の竹の子の如く湧いてくるばかり。

 これが末法でなければ何だというのか。私では特に思いつけない。


「毎日こうだと、笑ってしまうな」


 新調したばかりのノートパソコンを起動させた私は、砂糖とミルクをドバドバ放り込んだ温かいコーヒーに舌鼓を打ちながら無意味に嘘をついた。

 別に笑ってしまったりなどはしない。生憎と、私の知るこのセカイは生まれたときからこの有様なので、穏やかではないニュースを見聞きして自分のことのように心を痛めるだのといった感性が、全くと言っていいくらい芽生えなかったのである。

 とはいえ私は、無感動な薄情者でもなければ、感情のない自動人形に例えられるような女に育ってしまったわけではない。それどころか普通に仕事をこなす傍ら、裏では様々なメディアで犯罪者達の情報を漁り、自己流で細かくまとめ上げ、そして条件さえ揃えば犯人を追い詰めるという……映画の登場人物じみた日々を送る人間になっていた。

 当然だが、富と名声の獲得にばかり執着するあまりに呆気なく返り討ちに遭うような、そこいらのへっぽこ自警団と一緒にされては困る。

 私は彼らのように軽々しくは動かない。知るべきことを深く知った上で静かに行動する慎重派だ。映画の登場人物じみた日々を送っているとは言っても、実際のところ私はどこまで行ってもただの人間なのだから、至極当然の話である。

 だからこうして今も五体満足のまま、コーヒー片手に日課となった情報収集を続けられているのだ。諸君も富と名声を得たければ、私の真似をするといい。

 右手に納まるコーヒーカップへと三度目の口づけを果たすと、ワードソフトの機能を余すことなく使い、テレビから得た情報を事細かくまとめる。曰く、昨夜も裏路地で一人の男性が殺害されていたとのことであり、とある理由で〝同一犯であることが確定している〟そうだ。

 この情報に間違いはないだろう。何故ならば、この男性の遺体もまた〝件の連続殺人犯が必ず行う儀式じみた行為〟によって辱めを受けているからだ。

 念のためにと、お堅い国営ニュースサイトから低俗なゴシップ系サイトに至るまで一切の区別無く閲覧するが、やはり先程テレビから得たばかりの情報に間違いはないらしい。


「相も変わらず趣味が悪い……」


 これまでと同じく、男性は殺害された後に男根を切り取られていた。

 そう、連続殺人犯が行う儀式じみた行為とは、雄が交尾をするために必須となる部位を遺体から切り取り、傍らに放り捨てるというものなのである。

 それを繰り返した結果、センセーショナルな見出しを好む雑誌やWebサイトで付けられたニックネームは〝コック・ザ・リッパー〟……こちらもまた、趣味の悪い話である。それと、頭も悪い。この下卑た名前を見る度に、心中で「人間の知性や倫理観とはここまで下がるものなのか」と独りごちたくなって仕方がなくなるばかりだ。


「相変わらず呆れるな。可愛らしい顔が台無しじゃないか。酷いものだね」


 黄金色に輝く髪をショートカットにした――惰性で黒のロングヘアを維持している私とは正反対の――活発そうな印象を与える女性の画像を相手に、私は同情の念を口にする。

 そう。コック・ザ・リッパーは女性なのだ。汚名返上だとばかりに警察が目を皿にして情報に目を通した結果、とある場所に設置されていた防犯カメラに一瞬だけ姿が映っていたことが確認されたために発覚したのである。

 残念なことに、レンズが捉えたのは僅かに返り血らしき液体が頬にかかった顔のみであったため、詳しい身長や体格などは特定出来ぬものの、必ず男性の象徴を切り落とすという高い残虐性に似合わぬその顔立ちはあらゆるメディアを興奮させ、その果てに下卑た連中から下品なニックネームを押しつけられるのも無理からぬことではないかと一瞬でも錯覚させるほどに愛らしかった。

 私だって驚愕したし、とてつもなく魅力的だと思う。

 まぁ、追い詰めるべき相手なのだが。

 顔が割れてもなお逮捕に至らないのは、賄賂狂いの腐った警官が捜査を攪乱させているためだろう。もしくは金ではなく色仕掛けにやられたか。また、仮に不意打ちであったとしても〝男性を殺害する〟ことをし損じていない――ただの一度もだ――ことから見て、そこいらの自警団が動いたところで逆に刈り取られるのが関の山だろう。


「他は、どうかな?」


 ここで私は、コック・ザ・リッパーへと思いをはせるのを一旦中断し、ニュースサイト巡りを再開した。彼女とは無関係の話にも目を通しておかなくては、いざ何か起きたときに出遅れてしまう。情報の収集と整理には初速の確保も必須なのだ。

 とはいえ出勤までの準備を疎かにするわけにはいかないので、件数は少なめに留めておくことにするが。


「連続殺人犯〝クラースナヤ〟の最後の犯行から二週間経過。未だ足取りは追えず」


 クラースナヤ。コック・ザ・リッパーと同じ連続殺人犯ではあるが、こちらは彼女とは真逆の〝女性のみを殺害する〟という特徴を持った犯罪者だ。

 おまけに〝全ての遺体が右首の頸動脈を切り裂かれ、血にまみれた状態で発見されている〟ため、過激な事件に餓えたメディアにとってはある意味で大好評のようだ。コック・ザ・リッパーよろしくニックネームを付けられているのが何よりの証拠と言える。

 性的なスラングを用いず、お上品な意味を持つ単語を当てられているという違いこそあるが……私としてはとてつもなくありがたい話だ。何しろ、目が腐るようなド下ネタで構成された単語を眺め続ける羽目にならずに済んだからである。

 実に幸運だった。


「政治資金流用疑惑を問われている与党議員、拘束中の特殊工作員〝ギムレット〟との関与を強く否定」


 一方、こちらはどこの国でもありがち――私の主観でしかないが――な話である。

 問題なのは……このギムレットという男性工作員が、隣国から送られてきたスパイであるというところだ。彼の祖国は随分とこの国にご執心であり、何かにつけて敵対行動を取るトラブルメーカーである。

 そんな国のスパイに対し、仮にこの議員が政治資金を〝流していた〟ともなれば大事件だ。彼一人が売国奴と呼ばれるだけでは済まないだろう。間違いなく、今以上に国会が荒れる。

 私は自国のニュースを勝手に蒐集する人間でありながら、人が口論している様を眺めるのが割と苦手なタチなので、本当に関与していないことを強く願うばかりだ。


「警察本部へのサーバー攻撃の容疑者に、クラッカー組織〝アラクネ〟のメンバーが浮上」


 アラクネ。女神によって蜘蛛へと変じさせられた女性の名を冠したこの組織は、見出しに書かれたようなことをしでかす者達の集いだ。

 政治に不満を抱く者達がクラッキングという行為をメッセージに見立てているのか。それとも単純に、ただ悪戯を楽しみたいだけの刹那的な者達が結託したのか。

 組織の設立理由が未だに判明していないため、ネットに繋ぐだけでも様々な推理や憶測が交錯し続けている。陰謀論を好む一部のメディアに至っては〝現政権の失脚を狙う野党が指揮している集団〟という説を嬉々として流布する有様だ。気楽で羨ましいものである。


「ふむ、私には手の出しようのない話ばかりか……っと、おや? これは……ほう、ほう……よし、彼女の一件を終わらせたら、こちらの調査に移るとしよう」


 マウス操作のみならず、随分前に後輩から「ピアノの早引きか何かです?」と驚かれた……というより少し引かれたキーボード捌きで、ここまでの情報を素早くまとめる。そして最後に、自分が動くべき事件とそうでない事件をそれぞれのフォルダへと収納したところで、コーヒーを全て飲み干した。

 そろそろ、動くか。

 まずはワードソフトの文書を保存し、ノートパソコンをシャットダウン。続いてテーブルに置いたテレビのリモコンへと左手を伸ばすと、心温まる微笑ましさ十割の話題へと切り替わった番組を映しているテレビの電源を消した。

 私の調べでは、相手が犯行に及ぶ日には一定の法則性が存在している。あらゆる手を駆使して様々な情報を手にした上での結論だ。十中八九、今夜もまた一人の男性が狙われるだろう。そして警察も自警団も頼りにならないというならば、今夜は〝私の時間〟だ。

 仕事を終え次第、急いで準備をせねば。

 心中でそう呟いた私はキッチンに向かい、食パンをトースターへと突っ込んだ。



◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 結論から言ってしまえば、見事に推理は的中した。

 満月と外灯によって照らされた裏路地の向こうから、しゃくり上げながら許しを請う男の叫びが微かに、だが確かに聞こえてくる。

 追い詰められた人間というものは、本当にフィクションの登場人物と同じような言葉を紡ぐものだ。現に今も、被害に遭っている真っ最中であろう男が「妻がいるんだ!」だの「金ならいくらでもある!」だの「俺が何をしたって言うんだ!」だのと叫んでいる。

 しかし悲しいかな、体力が限界を迎えたのだろう。叫び声が小さくなり、喋る感覚が長くなっていった。それでもどうにか命乞いをしているようなので、私は最期の言葉がどのような内容なのかを確認するため、事件現場へと真っ直ぐ歩みを進めた。

 だが判断が遅かったらしい。私が辿り着いた頃には、男は既に事切れており……加害者によってスラックスのジッパーを外されているところだった。

 私は持参したリュックサックから取り出したLEDライトを左手で掴むと、ごついサバイバルナイフを手に片膝をついている人物へと光を向ける。最後の仕上げに取りかかることに夢中でこちらの気配に気付けなかったらしい相手は、私に対して「な、何よ!?」と声を荒げ、遺体から男性の象徴を切り取る儀式を中断してすっくと立ち上がった。

 あぁ……と、私は吐息混じりに声を上げた。

 光に照らされた彼女の相貌が、これまでずっと追っていた連続殺人犯のそれそのものだったからだ。下卑たニックネームを付けられるのが惜しい美女と同一であったからだ。

 短い金色の髪は、私の闇色のそれとは違って夜の風景によく栄えている。ドングリを思わせるくりっとした丸い瞳、小鳥のように小さな口、そのどれもが人畜無害そうで可愛らしい。そして写真よりも生で見た方が、より幼さを感じるように思えた。

 ああ、やっと見つけた。やっと眼前に立てた。やっと私は辿り着けたのだ!

 興奮からか、気付けば私は何度も舌なめずりを繰り返していた。


「初めまして、コック・ザ・リッパー。私は……」

「そう……見ちゃったのね、あんた。あたしの秘密……見ちゃったのね……!」


 犯行現場を見られたことへの焦りや怒りからか、コック・ザ・リッパーは鈴を転がすような声を震わせ、私の自己紹介を中断した。

 私は相手に強い関心を抱いているが、相手の方は私に何の関心も抱いていないらしい。残念だが仕方のない話であるため、私は自己紹介を諦めることにした。

 代わりに、訂正だけはしておく。


「見てしまったのではない。私は〝意図的に見た〟のだよ。間違えないでくれ」

「あんた……自警団? それとも何? 私服警官? 私立探偵?」

「それも違う。悪人に狙いを定めている、というその一点だけは同じだけどもね」

「だったらインタビュアーとか? まぁいいわ。本当は男以外に手を出したくなんてないんだけど、見られたからには……ね」


 眉をつり上げたコック・ザ・リッパーが、ナイフを構えてにじり寄る。

 ならばと即座にライトを右手に持ち替えた私は、再びリュックへと手を伸ばした。

 取り出したるは、つや消し加工を施した真っ黒い刃物だ。マチェット、またはマチェーテと呼ばれる代物である。私が好むのは反りが少なく刀身が長いタイプであるため、リーチという点ではサバイバルナイフを凌駕している。そこに〝年期の違い〟が加われば、決して後れを取ることはないだろう。

 敢えて付け加えるならば、包丁が相手でもその事実は揺るがない。

 今でも鮮明に思い出せる〝初めての瞬間〟が、その何よりの証左だ。


「あ、あ……あんた……まさか……まさかっ!?」


 左手首のスナップを効かせて軽く素振りをしていると、不意にコック・ザ・リッパーの表情が歪んだ。さながら幽鬼の類でも目撃したかのような具合だが……なるほど、どうやら彼女は私のことを知ってくれていたらしい。喜ばしい限りだ。


「ニュースで、いつも聞いてたっ! 警察に捕まってない犯罪者を……それも、女だけを狙って殺す美人がいるって! 名前は、ニックネームは、えっと、クル、カラ……っ」

「〝クラースナヤ〟」

「そうっ、それっ! それぇっ! 前に、親友と〝出たら怖いね〟なんて話しててっ、そしたら、その子がそいつに殺されて……あの子、ジュードーで黒帯だったのにぃ!」

「あぁ、ドラッグを売りさばいていたあの子か。二週間前だね。あの子もまた美しかったし、妙にあちらから密着してきてくれていたからよく覚えているとも。なるほど、ジュードーとは。どうりで……」

「無理、無理……無理無理無理無理ぃっ! あの子が勝てないんでしょ!? だったらあたしが勝てるわけないじゃんかぁっ!」


 薄い化粧が剥がれるほどに涙を流しだしたコック・ザ・リッパーは、歯をカチカチと鳴らしながら「こいつが、こいつが、こいつが、こいつが」と繰り返している。震えている両の太ももへとライトを向けると、股から透明な液体がダラダラと垂れ流されていた。

 それほどまでに、私に恐怖を抱いているのだろう。

 とてつもなく、嬉しい。

 口角が上がっていくのを止められぬまま、私はライトの角度を元通りにすると「逆に尋ねたいんだが」と話を切り出した。

 コック・ザ・リッパーの両肩が跳ね上がる。涙声で「何よぉっ!?」と叫び返してきた。会話が成り立たない程には混乱しているのではないかと思っていたが、なかなかどうして肝が据わっているらしい。たった一人であらゆる男を殺害してきただけのことはある、ということか。

 安心感から僅かにため息をついた私は、相手の気が変わらない内に問いかけた。


「男だけを殺して、男根を切り取る……そうした行為に勤しんだ理由は何かな?」


 きっと〝この期に及んで何を〟とでも思ったのだろう。両目を見開き、口を半開きにした相手はしばしの間ぽかんとする。だがすぐに〝眼前に殺人鬼がいる〟という状況を思い出したのだろう。歯を鳴らしながらも、声を震わせながらも、呼吸を荒げながらも、彼女は私の疑問に答えてくれた。


「去年、従姉妹が……無理矢理ヤられたの。相手は大勢で、ビデオまで撮られて、脅されて、騒ぎにしたら友達もヤるぞって追い詰められて……っ!」

「ほう」

「急に首を吊ったって話が飛び込んできてっ! 水滴の跡がいっぱい付いた遺書に、全部書かれてて……しかも、襲ってきた奴らの中にはっ、難関校の受験を頑張る真面目くんみたいなのまで交じってたって書いてて……っ!」

「なるほど。復讐か」

「それであたし、プツンってなったの……男は皆こうなんだって思ったの……だから、だから、せめてこの町の男だけでも全部殺そうって考えてたのに! それなのに、なんであんたが出てくるのよぉっ!」


 話し終えた彼女は、両手で握りしめたサバイバルナイフの刃先をこちらに向けて逆に問い返してきた。柄を握る力を強めながら、彼女は「ねぇっ! あんたは何!? あんたはどうして殺してるの!?」と吠える。


「このまま理不尽に殺してくるくらいなら……こっちにも教えてよっ! トラウマの一つや二つあるんでしょ!? 選んで殺してるってことはさぁ! 話してよっ! ほらっ!」


 トラウマ。

 その四文字を前に、私は「んん……」と小さく唸った。そして記憶をさかのぼり、過去の映像を余すことなく再生した後、


「いや、別に?」


 特にそういった類の何かに思い至らなかったので、正直に答えた。

 この返答は想定外であったらしく、彼女は静かに「は?」と呟く。だが、無いものは無いのだ。ここでありもしない話を捏造するのは失礼極まりないし、そうなればこう答えるしかないだろう。

 しかし、トラウマはなくとも動機はある。それは教えてあげよう。

 殺す前にはいつもしていることなのだし。


「私はね、恐怖に歪む人間の顔と、死ぬ瞬間の人間が浮かべる表情でしか興奮出来ない女なんだ。ああ、当然ながら性的な意味でね」


 刃先を向けられたまま、私は自分語りを続ける。


「しかもレズビアンな上に重度の面食いだ。だから女性犯罪者が好みの顔をしていると……情報を集めて追いかけて、間近で見たくなってしまうのさ」


 再び震えだした相手へと、私は「そう。そういう顔をね」と付け加える。


「おまけに私はとても惚れっぽいものだから、殺した後もまたすぐに誰かを好きになってしまう。そうなればいくら殺しても果てがない。時には自分でも呆れるが……これは私の悪い癖だね」

「じゃ、じゃあ……っ! あの子も……あたしも……っ!」

「そう。手出し可能な犯罪者の中でも、顔がとてつもなく好みだから選んだ。それだけだ」


 場を和ませようと常に笑顔を絶やさぬ職場の上司を真似て、穏やかに目を細める。

 すると相手の顔が更に青ざめた。いい、とてもいい。合格も合格、大合格だ。

 これで恐怖に歪む表情は堪能出来た。ならば後は、最後のお楽しみに移るだけである。左手に力を込めてしっかりと柄を握った私は、蚊の泣くような声で「そんなの……」と呟くコック・ザ・リッパーの懐に入り込み、その細くて白い首筋に突きを放った。

 マチェットの刃が、彼女の右首を、その奥に隠れる頸動脈を音もなく切断する。

 間欠泉よろしく傷口から鮮血が吹き出し、身体が仰向けに倒れ込む。最期の表情を目に焼き付けるため、私は急いで彼女の顔に光を浴びせた。

 己の鮮血によって顔の一部を染め上げられた彼女の眼球はぐるりと上に向き、半開きになった口から涎を垂らしながらしばし痙攣する。だがそれも長くは続かず、すきま風にも似た頼りない音を口から三度ほどはき出したところで動かなくなった。

 コック・ザ・リッパー、遂に死す。

 私にとってはどうでも良いことだが、これでしばらく世の男性方は安心して日没を迎えられることだろう。当然、無関係の事件に巻き込まれる可能性も非常に高いわけだが……それは置いておくとして。

 ああ、しかし、それにしても、


「最高だ。想像以上だ」


 本当に、最高だった。


「ありがとう。濡れたよ」


 これでしばらくオカズには困るまい。

 血を拭ったマチェットを鞘に収め、リュックサックへとしまい込んだ私は胸ポケットからスマートフォンを取り出す。

 とあるニュースサイトを開くと、今日の早朝に私を惚れさせた女性犯罪者の顔写真が数を増やしていた。不用心なのか知能が足りないのか、別の場所に設置されている監視カメラに捉えられてしまったようだ。


「背は……私と同じくらいか。中性的な顔立ちが実にいい。たまらない。そそるよ」


 こちらの表情も、警察や自警団に手を出される前に堪能せねば。

 彼女は絶対に渡さない。必ずや、美しい赤に染め上げてみせる。


「今年はきっと当たり年だな」


 独りごちた私は、スマホをしまって家路を辿る。

 天に鎮座する満月は、当時学生だった私が初めて罪を犯した日……幼なじみの大親友を殺めたあの夜と同じように、じっとこちらを眺めていた。

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