アナベルの踊り子

きざしよしと

アナベルの踊り子

 皓皓と降り注ぐ月明かりの下、踊る白い影があった。

 それは透けるように白い衣装を纏った踊り子だ。

 ひらりひらりと蝶のように優美で、それでいながらふとした瞬間の足運びは牡鹿のように雄々しい。動くたびに衣装に散りばめられた細やかな宝石が星影のごとく瞬いた。


 木の影からその様子を見守っていたドロシーは、ほう、と熱い溜息をもらす。

 町はずれにある小さな広場の片隅。

 野花の上、月光に照らされて夜風と踊る。

 この踊り子を盗み見るのが、彼女の最近の日課だった。


   ■


 ドロシーの住む島では4年に1度、遠い祖先の鎮魂祭が催される。

 国花でありこの島の特産品でもある白い紫陽花アナベルの花びらに因んで、4年をかけて準備し遠く離れた本国の国賓をも招いて4日に渡って開催する盛大なものだ。

 ドロシーも含め、島の誰もが楽しみにしていた。


「あんた、また夜に出掛けたわね」

「ひょ」


 朝食の席で母に睨まれてドロシーは肩を跳ねさせた。口の中に入れたスクランブルエッグが喉に詰まりそうになって変な声が出る。


「好きな子との逢引は結構なんだけど、ほどほどにね」

「そ、そんなんじゃないもん!」


 顔を真っ赤にして反論した。

 ご執心なのは確かだなのだが、逢引ではない。

 ドロシーは踊り子の名前も顔も知らないのだ。わかっているのはあの踊り子が祭で舞台に立つだろうということくらい。それも祭の予定表を見て予想しただけで、言葉を交わしたわけではない。向こうもこちらの事には気づいてもいないだろう。

 気づかれていたら、それはそれで恥ずかしいのだが。


 そんなドロシーの心も知らず、母は「いいのよ。年頃だもんね」と微笑むのだ。ちっとも良くない。

 抗議を重ねようと口を開くが、「でもねぇ」という母の声に遮られた。


「本当は黙っててあげたかったんだけど、最近物騒な話があったから……祭も中止になるんじゃないかって言われているし」

「えっ」


 唐突に告げられた事実に思わず声を漏らす。あっけにとられているドロシーが二の句を告げる前に「あんまり遅くまで外にいちゃ駄目よ」と言い残して働きに出てしまう。

 ドロシーは呆然とその背を見送る事しかできなかった。


 祭が中止になったらあの踊り子はどうするのだろうか。

 ドロシーはまず考えたのはそれだった。中止になる原因だとか、それほどまでに物騒な事が起きたのかという不安よりも、祭が中止になることで、踊り子の晴れ舞台が見れなくなる事を危惧していた。


 だって、あんなに綺麗なのに。

 1か月前、初めて踊り子を見た時は思わず呼吸をするのを忘れたものだ。少し空想癖のあるドロシーからみれば、あの踊り子はまさに天上からの使いか、アナベルの妖精のように思えた。

 毎夜繰り返し見ているうちに人間だとは気が付いたが、こんどはそのひたむきさに惹かれるようになった。雨の日だろうと風の強い日だろうと1日も欠かさずに練習する姿に、強いあこがれを抱いたのだ。


 ――この人の晴れ舞台を早く見たい。きっと皆、口をぽかんとあけて見とれるだろうな。そしてこの人がこんなに努力しているなんて誰も知らないの。


 でも知らなくていいとも思った。

 それを知っているのは自分と、踊り子自身だけでいいのだというちょっとした独占欲のようなものすら湧いていた。


 それほどまでに楽しみにしていたのだ。


   ■


「はぁ……」

 土を踏み固めただけの道を歩きながら、鉛のような溜息を吐き出した。

 今朝の一件から立ち直れぬまま、悶々とした気分で1日を過ごすことになった。幸いにも友達から祭が中止になるなんて話は聞かなかったが、逆に話題に挙げることもできなかった。万が一にも肯定されたら恐ろしいからだ。


 帰ったらもう1度確認してみよう。もしかしたら思い違いかも。

 そんな風に言い聞かせながらもノロノロと歩を進めていると、ふと近くの林から話し声が聞こえて来るのに気が付いた。


 こんな所に人がいるなんて、と自分の事を棚に上げて思う。なんせドロシーの家は陶芸家の両親の工房があるために市街地からはかなり外れた所にあるのだ。家の近くで家族以外の人間を見かけるというのは実に珍しいことだ。


 好奇心に駆られて声のする方へ進む。

 声は2つ。どちらも大人の男のようだった。

 足音を立てないように近づいていくと、やがて神妙な顔で何かを話し合っている禿頭の男と、眼鏡をかけた中年の男が見えた。

 木陰にひったりと潜みながら聞き耳を立てる。心持ちはちょっとしたスパイ気分だ。


「祭の初日、国王を暗殺する」


 聞こえてきた言葉に思わず声をあげそうになった。

 両の手で口を塞ぎ息を詰める。氷の手で心臓を握られたような気分で言葉の続きを待ってしまう。突然の事に頭はついていかないし、聞き間違いかもしれないと思っている自分がいた。


「ばか、そんな言い方をするんじゃない」

「誰も聞いちゃいねぇよ。こんな大仕事を計画しておきながら小心者だな」

「なんだと」


 言い合う2人の声を聞きながら、ドロシーは四つん這いの体制のまま後ずさりした。

 えらいことを聞いてしまった。きっとここに居る事がばれたらタダでは済まない。早く、警邏の人に伝えなければ。

 呼吸を忘れながらも後退していたドロシーのお尻が何かにぶつかった。木や岩ではない。2本の棒だ。温度がある。

 恐る恐る振り返ったドロシーを見下ろしていたのは、ひどく冷たい目で自分を見下ろす見知らぬ男だった。


「い、痛い! 離してっ!」

 男に腕を掴まれて引きずられる。話し合っていた禿頭と眼鏡も気が付いたようで、ドロシーの姿を見て苦い顔をした。


「聞かれたぞ」


 男舌打ちした。ドロシーは怯えてしゃくりあげる。

 恐ろしくてたまらなかった。きっと祭が中止になるような物騒な事というのは、彼らのことだったのだ。ちょっとした好奇心でこんな事になるなんて。


「聞かれちまったならしょうがねぇなぁ」

 禿頭がドロシーに手を伸ばされる。もう駄目だ、とばかりにぎゅうと目をつぶった。

「ぎゃあっ」

「ぐえっ」

 しかし想像していたような痛みは訪れなかった。代わりに短い醜い悲鳴が2つ聞こえて来て、気が付けばドロシーは男の手から解放されていた。


 おそるおそる目を開く。

 視界に入ったのはひどく眩い、白。

 レースと刺繍をふんだんにあしらった布をすっぽりと被った人物は、ドロシーの前にふわりと降り立つ。金色に輝く腕輪と足輪がちりちりと鳴った。

 見まごうわけもない。

 ドロシーの焦がれたアナベルの踊り子がそこにいた。


「何だお前!」

 眼鏡の男は突然の闖入者に狼狽えながらも短刀を取り出した。むき出しの白銀の刃を踊り子に向けるが、こちらには焦る様子はない。男よりも頭2つは小さな、少年あるいは少女といった体躯であるというのに、歴戦の戦士のような異様な貫禄があった。

 勝敗は一瞬だった。

 どんっと音がして、踊り子が踏み込んだのだと思った時にはもう遅い。左側頭部につま先を打ち込まれて眼鏡の男は昏倒した。


「た、たすかったの……?」

 ドロシーは地面んにへたり込んだまま倒れる男たちと、彼らを赤子の手を捻るように打倒してしまった踊り子を呆然と見ていた。

 色々な事がいっぺんに起こりすぎて理解が追い付かない。そして極度の緊張状態から解放された事も相まって、糸が切れるようにぶっつりとドロシーは意識を失った。



 目を開けると見慣れた家の天井が見えた。

 なんだ夢か。そう思って起き上がろうとしたドロシーに、

「おう起きたか」

 見知らぬ少年が声をかけた。

 島ではあまり見ない毛色の少年で、ドロシーよりも少し年上に見える。上質なシャツの制服に身を包むその様は、どこかの貴族か軍人のようだと思った。


「俺はザカライアってんだ。普段は本土にいるんだが、祭の間だけこの島の警備をすることになっててな」


 ザカライアが言うには、彼ら3人は特に脅威にもならないゴロツキだという。けれども無関係の島の人が巻き込まれたりすると危ないので行方を追っていたらしい。


「……祭は中止にならない?」

 ドロシーは1番聞きたかった事を訊いてみた。ザカライアは目を瞬かせた後、一拍置いてから「がっはっはっ」と豪快な笑い声をあげた。


「あんな目に遭って一声が目がそれか!」

「だ、だって楽しみにしてたんだもん! 祭の舞台で、踊り子さんが躍るの!」

「へ? お、踊り子?」

「毎日一生懸命練習してるのずっと見てたの! いつも凄く綺麗で、格好良くて……。そりゃあ話したことも声をかけた事もないけど、ずっと応援してたんだから! さっきも助けてくれたし……」

「ま、まて」


 ザカライアが待ったをかけた。心なしか顔が赤い。

「祭は中止にならないから、だから落ちつけ」

「本当!?」

「ほんとほんと」

 ドロシーにしがみつかれながらもザカライアは頷く。それから何故か照れくさそうに笑った。


   ■


 祭の夜に鈴の音と太鼓の音が響く。

 宵闇を照らす様に浮かぶアナベルを模したライトの中を踊るのは真白の踊り子だ。ふわりふわりと可憐に舞いながら、時に力強く足を踏みならす。この島では見た事のない美しい民族衣装と不思議な衣装。


 その洗練された動きの流麗さに、観衆たちは息を呑む。小さな子どもも赤ら顔の中年も、皆声を忘れたようにして踊り子の一挙一動にくぎ付けになっていた。そんな中でもドロシーは最前列で胸を高鳴らせていた。母が作ってくれた白いワンピースは握り締めすぎて裾がくしゃくしゃだ。


 憧れが形になったような。あるいはずっと熱中していた本を読み終わった時の様な。そんな高揚感と寂しさが静かに心に降り積もってくるような気がした。


 ふわりとひときわ大きく踊り子が宙を舞う。

 衣装が舞い上がってその容貌が露わになる。

「あ」

 ドロシーは思わず声をあげた。


 声が届いたのかドロシーが見ている事に気が付いたらしい踊り子―—ザカライアは、彼女の方を見て小さく唇を動かす。


『ありがとな』


 その意味を正確に読み取ったドロシーは、嬉しさと恥ずかしさの混じり合った顔を隠す様に顔を覆うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アナベルの踊り子 きざしよしと @ha2kizashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ