ズレた僕と彼女の普通の逢瀬

あきふれっちゃー

2月29日

 深夜0時。2月29日が来た。

 部屋のカーテンを開けて、窓を開け、小さなベランダに出る。町にはぽつぽつと灯りが灯っているが、全体的に暗い。おかげで冬の星がよく見えた。

 2月29日。それはズレる時間を正すとき。四年に一度の――正確には四年に一度じゃないらしいけど――大切な日。

 「ふぅ」と小さく息を吐くと、白く色づいてすぐに闇に溶けて行った。コーヒーとミルクのように混ざり合って柔らかな茶色になることもなく、僕の吐いた息は暗闇に溶けていく。



「元気?」

「ぼちぼち、かな」

「そっかそっか」



 いつの間にか僕の隣に女の子が立っている。僕と同じように、ベランダの柵に腕を乗せて、暗闇を見つめている。

 閏年。季節と時間のズレを正すために存在し、その年は2月29日が現れる。彼女はその時だけ、僕の前に現れる。

 女の子と僕は実に四年ぶりの挨拶を交わす。それでも、そんな月日なんて存在しなかったかのように振舞う。努めて、冷静に。



「中、入ろうか」



 女の子を部屋の中に入れ、窓を閉める。そうしたら、エアコンを付ける。部屋の中は冬の空気で満ちていたけれど、たちまち機械の温かさがそれを塗り替えていった。



「じゃあ僕は寝るよ」

「うん、また朝に。 ありがとうね」

「おやすみ」

「おやすみ」



 短い挨拶を交わして僕は布団に横になる。電気は消さない。彼女がいるから。

 次第に微睡んでくる。こんな時でも、眠くなる。四年に一度の特別な日でも、四年に一度だからこそ僕はいつも通りを演じる。彼女の為に、僕の為に。そして眠りに落ちる。




***




 朝が来る。女の子は相変わらずコタツの中にいて、違っているのはその両脇に僕の本棚から取り出した大量の漫画の単行本が置かれている事だ。四年も経つと色々と読みたい物も溜まるだろう。



「おはよう」

「おはよう~」



 生返事が返ってくる。まだ漫画の世界に夢中らしい。僕はいつも通りに起き出して、顔を洗い、歯を磨き、キッチンに立って朝食を作る。今日だけは二人前。だけど作る物は変わらず。いつも通り。

きつね色のトーストと、半熟の目玉焼き。薄いベーコン二枚とアスパラを少し。ミニトマトは僕の皿にだけ。彼女はとてもとてもおいしそうに、僕のなんでもない朝食を食べる。

 朝食を並んで食べて、その後彼女はまたもくもくと漫画を読む。僕はそれを眺めたり眺めなかったりしながら、僕もいつも通りの日常を過ごす。スマートフォンで暇つぶしのゲームをしたり、ノートパソコンでインターネットサーフィンをしたり。


 閏年。季節と時間のズレを正すために存在し、その年は2月29日が現れる。彼女はその時だけ、僕の前に現れる。13歳の僕が、不登校になったその年から、彼女は僕の前に現れる。僕が、世間的にズレているとされてから、彼女は僕の前に現れる。

 17歳、21歳、そして今、25歳。今年で四回目。たった四回の逢瀬だけど、僕は彼女に惹かれていた。

 彼女の見た目は僕に合わせて変化しているように見えた。始めに会った時は中学生。次は高校生、大学生、社会人。大学生から社会人は僕の気持ちの程度かもしれない。僕自身がそうなったから、そう見えたのかもしれない。

 彼女が僕の事をどう想っているかはわからない。僕も確かめたことはない。彼女は初めて現れたときから、何を望むわけでもなかった。だから僕は、普通の一日を彼女と過ごすようにした。僕は彼女を求めるから求めない。特別な事なんてしない方がいい気がした。そうして四回目が来ている。


 一日が過ぎていく。夕方が過ぎ、やがて夜になる。街の灯りが少なくなっていく。唐突に、彼女は何でもない事のように言った。



「もう、とは会えないかも」

「え?」



 。確かに彼女はそう言った。僕の頭が急騰していく。会えない? 何故。曲がりなりにも就職し、定職についてしまったから? 社会のレールの上に乗ってしまったから、ズレていない事になってしまった? それでも僕は人生を諦観して生きてきたし、それこそが彼女に会う為の唯一の道だと信じて生きてきた。ここでそれさえも取り上げられてしまったら、僕は本当に人生を諦める他ない。僕の心が生から死へズレていく。



「世間っていうのは変わるんだよ。 昔はズレていたとされても、今はそうじゃない」



 確かに、最近は多様性がなんだとよく言われている気がする。でも、いつも僕は疎まれてきた。それはズレているということじゃないんだろうか。



「そういう人もいるっていう認識になって来たのかな?」



 彼女は、まるで僕の心の声が聞こえるかのように言葉を続けた。僕の心はひどく乱れている。今まさに、唯一の生きがいを失いそうになっている所で、平静を保てるわけがなかった。

 けれど、暴れ出しそうな僕とは対照的に、彼女は至極穏やかな表情と声色で話し続けた。僕をあやすみたいに。



「あるいは、あなたは最初からズレてなんていなかった。 ズレていたのはわたしだった。 だって、そうでしょう。 どこからともなく現れる女の子だなんて。 だけどね、今日来てわかった。 わたしのズレは



 それは、四年に一度の呪縛から解放されて、消えてなくなってしまうという事なのだろうか。僕は力なく彼女に向かって手を伸ばしたが、それは空を掴んだ。触れることができない。だけど彼女は慈しみを以て僕を見ていた。自分のズレが正されることが、字の如く正しいみたいに。

 支えを失った僕の手は自然落下し、床を強く打つ。こんな時でも痛みが来る。痛みは僕を少し冷静にしてくれた。



「でも大丈夫、わたしは覚えてるから。 あなたはただ、ここで待っていて。 必ず来るから」

「来るって、君が?」

「それは」



 空気がしんとした。目の前にいた彼女が跡形もなく消え去った。ひとつの残滓すら残さず。スマートフォンの時計は0時きっかりをさしていた。

 僕は項垂れて呆然とする。そのまま床に倒れこむ。考えるのをやめる。そうしているうちに、意識は溶けた。




***




 夢を見た。

 閏年。季節と時間のズレを正すために存在し、その年は2月29日が現れる。僕はその時だけ、彼女の前に現れる。

 13歳の僕は、父親がローンで買った家の僕の部屋で、彼女を迎え入れた。ただ二人でもくもくと漫画を読んだ。最後に少しだけ感想を言い合った。

 17歳の僕は、やはり僕の部屋で彼女を迎え入れた。違っていたのは、ローンが完済していたことだろうか。僕は彼女のためにお菓子を用意して、やはり漫画を読んだ。少しだけ一緒にビデオゲームもした。

 21歳の僕は、一人暮らしの部屋で彼女を迎え入れた。それは見慣れていた景色で、僕が今住んでいる部屋と同じだ。いつもと同じように、彼女はどこからともなくやってきて、僕の隣にいた。そして、僕のいつも通りを一通り体験していった。

 25歳の僕は、同じように一人ぐらしの部屋のベランダで彼女を迎え入れた。この体験は、さっきまで僕の部屋で実際にあった事だ。ベランダから来た彼女に、紅茶を振舞い、一日を過ごした。

 そして彼女は消えた。

 でも夢の僕には確信が合った。

 現れた。




***



 そして朝が来る。僕の心とは無関係に僕の身体は目覚める。目を閉じて、世界に目覚めることを拒否しても意識は覚醒する。諦めて薄目を開ける。いつもとは違った景色。床で寝たから、視界が違うだけだ。彼女は、もういない。

 スマートフォンの画面を見る。午前7時。3月1日。僕は動かない。意識を殺して、人形のように横たわる。ただ、無意識的に息だけをする。


 ピンポン。


 不意にドアベルが鳴った。こんな朝早くから。だけど僕はどうでもよかった。無視をした。何度か鳴ったドアベルをすべて無視した。すると、ドアががちゃりと空く音がした。鍵を閉め忘れてしまったらしかった。なんて不用心だろう。だけどどうでもよかった。空き巣や強盗が入ってきて殺されるなら、それでもいい気がした。僕は横たわったままだった。



「おはよう」



 僕は耳を疑った。上半身を、バネ仕掛けの人形のように飛び上がらせた。声の主は紛れもなく彼女だった。

 ライトベージュの病衣に身を包み、僕を見下ろしている。



「病院、抜け出してきちゃった」

「病院……?」



 彼女は、記憶の中の彼女より痩せこけている気がした。



「あなたは私を知っている」

「あぁ……」



 僕は頷く。



「私もあなたを知っている。 だけど、こちらでは初めまして。 私があなたに出会ったのは、私の夢の中。 だけど私は確信があった。 夢は私だけの夢じゃないって、会うたびに大きくなる君を見て、の生活をする君を見て」



 彼女は、座ったままの僕に手を差し出した。



「ねぇ、おはよう。 初めまして、久しぶり。 私の名前は――」



 後日、地方紙の一面をある記事が飾った。「閏年の奇跡。 10数年の時を経て目覚める患者。 患者を支えたのは眠りの中で見た夢」

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ズレた僕と彼女の普通の逢瀬 あきふれっちゃー @akifletcher

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