四年に一度、俺は女になる。

66号線

一日限りのシンデレラ

「しばらくインフルエンザで休みなんだって? お大事に」


 クラスメイトで作られたグループLINEの画面をそっと閉じ、俺は頭を枕に埋めて唸った。大きなため息ひとつの後に、「インフル移したくないから絶対にうちに来るなよ」と指先で嘘を送った。


 この日がまた来てしまった。閏年の二月二十九日の一日だけ、俺は女になる。


 俺の特異体質が判明したのは四歳の時だ。急に女の子になった自分の息子を見て父親は腰を抜かしていたが、母親は「ついに来たわね!」と手を叩いて喜んだ。母方の遺伝が原因のようで、こうなることを知っていたのだ。彼女は「女の子が生まれたら一度でいいからこれを着せたかったのよね」と俺を姿見の前に立たせ、ウキウキしながら桐たんすの奥に大切そうにしまっておいた七五三用の赤地に束のし柄の振袖を引っ張り出す。一切の迷いのない手つきで俺に当てる。気がついたら俺は写真室でカメラレンズを前に、ぎこちない笑みを浮かべながら立っていた。そんなわけで我が家には、三歳と五歳の男の子の七五三写真の間に、いるはずのない振袖姿の四歳の女の子がアルバムに挟まっている。誰かに見せる時はいちいち写真を外す手間が面倒だ。ただ一人、幼なじみのチコを除いて。


「あんたって男にしておくのもったいない。せっかく可愛いのに」


 歴代の女の子バージョンの俺の写真を見ながら、チコは大袈裟に肩を落とした。このやりとりも四年に一度のお約束だ。そう、自慢じゃないが、俺は女の子になると結構可愛い。似ている有名人を強いてあげるなら、ディズニー映画に出てくる「シンデレラ」みたいにくっきりとした彫の深い顔立ちをしている。一方、普段の俺ときたらニキビがひどくて、むさ苦しい、一般的な容姿の男。神様はつくづく意地が悪い。


 四歳、八歳、十二歳と、俺は変身するごとに幼女から少女へと着実に成長を遂げていった。


 十六歳の美少女になった俺がベッドの上で寝そべっている冒頭へ戻る。アディダスの黒いジャージに身を包んだ俺は、せっかくの休日に閏年のせいで友達と遊べない我が身を呪った。こんな姿、あいつらに見せられるか。盛りのついた雄ライオンに生肉を放り込むようなものだろう。


「仕方ない。チコに漫画でも貸してもらおう」


 いよいよ退屈に飽きた俺は、秘密を知る唯一の女が暮らす隣の一軒家に駆け込んだ。チコは俺をまじまじと見つめ「あら、またそんなに可愛くなっちゃって」とからかう。


「漫画貸してくれ」


 アディダス女を頭のてっぺんから爪先までじっと見つめた後、チコはニヤリと笑った。


「もっと楽しいことして遊ぼうよ」


 言うや否やチコは俺の腕を掴んで駆け出した。



 渋谷。原宿。表参道。人がゴミゴミしていて、おしゃれなアイテムで溢れかえっている街。ここなら女二人で歩いていても誰も気にしない。ましてや俺が見た目はシンデレラでも本当はむさ苦しい男子高校生だなんて、知る由もない。それなのに、さっきからバシバシと視線が刺さるのはどういうわけだろう。心なしか、すれ違う野郎どもが次々と熱い視線を投げかけている気がするのだ。たった一日で王子様のハートを射止めた絶世の美女シンデレラに激似なだけはある。さすがは俺だ、いや、私と言うべきか。それとも皆の注目の的なのは、たった今チコ行きつけの美容院でセットしてきたピンクのメッシュ入りゆるふわパーマと、ガーリーなブルーのワンピースだろうか。我ながら恐ろしくなるほど似合っている。いつぞやの母同様に、ロリータファッションを両手いっぱいに持ったチコにあれもこれもと首から下に押し当てられ、好き勝手に顔にお絵描きされ、物を言わぬ着せ替え人形と化した結果のコーディネートである。「こうなったら楽しんだもの勝ちさ」と心の中で開き直るしかない。どうせ今日もあと数時間で終わるのだから。



 夕暮れの朱に染まったラフォーレ原宿の前を通り過ぎて、俺とチコは表参道ヒルズ内に入っている人気のアイス店を目掛けて進んでいく。


「今宵、一筋縄ではいかないツワモノ揃いの審査員に見初められ、アイドルの夢を掴むのは一体誰でしょうか? まだまだ挑戦者をお待ちしています」


 表参道ヒルズ本館に足を踏み入れた瞬間、男性アナウンサーの声が俺たちを出迎えた。好奇心から俺とチコは、吹き抜けの手すりに群がる人だかりの隙間から下を覗き込んだ。B三階のイベントスペースに設営されたステージと、それに続く階段を埋める無数のカメラが見える。何やら民放による特番が中継されているようだ。「ワナビーアイドル サプライズ」と書かれた看板がかろうじて読めた。


「突発的なオーディション企画らしいよ」

「ここにくれば誰でも受けられるみたい」

「一曲歌って、審査員に最後まで減点されなければいいんだって」


 ギャラリーがヒソヒソと囁いている。

 

「すごーい。この番組知ってる。審査員がみんな辛口で、今まで誰もラストまで歌わせてもらえないんだよね」


 チコが身をよじって興奮する。

司会者である男性アナウンサーがこう言った瞬間、会場にどよめきが起こった。


「今回の賞品は大手芸能事務所との専属契約に加えて、賞金100万円と、さらにあのミランダ・カーがデザインを手掛けたサマンサタバサの限定バッグです」


「はい、ここにやりたいって人がいます!」

 俺の右手を掴んで高く挙手させた女の名前はチコ。欲に走った我が幼なじみだ。

「チコ、お前何考えてるんだ」

「お願い、サマンサのバッグどーしても欲しいの」

「お前が歌えばいいだろ」

「私じゃ無理、音痴だから」

「ふざけんな」

「じゃあ貸したままの5千円返して」

「やります」


 あれよあれよという間に人の群れをかき分けて、俺は階段踊り場中央の特設ステージに押し上げられた。「あのピンクの子、超可愛い〜」と黄色い悲鳴が聞こえてくる。買い物で訪れた客や観光中の外国人も立ち止まって野次馬に加わる。表参道ヒルズ内のすべての意識が俺に向けられた。緊張をはらんだ空気が俺の肌を刺激する。


 ここから先は正直言ってあまり記憶がない。見守っていたチコ曰く、俺は言われるままにテープで示された位置に立ち、希望の選曲を伝えた。大きく吸い込んだ息をひとつ吐き出してから、俺の唇は緩やかに、しかし確実に最初の音を放った。率直に言って、歌は得意だ。中学の学芸会で披露したグリーではリードボーカルを務めたほどだ。ましてや今、俺はシンデレラ似の美少女だ。物語のプリンセスはいつも鈴を転がしたような声で接する人々を虜にする。そう決まっている。証拠として、当初、ひやかし半分で見ていた野次馬どもはたちまち感嘆し、歌い上げる俺に瞳をうるませて釘付けになっている。それは審査員とて例外ではない。俺は突如として世に現れた美少女で、全国のオーディエンスを沸かせ、魅了したのだ。


 やがて鐘が鳴り響き、番組初となる合格者の誕生を告げた。


 感動のあまりハンカチで目頭を押さえた審査員たちはウンウンとうなづいた。ぐすぐすと鼻をすする音があちこちから響く。霞んだ俺の目が、群衆の中で泣き笑いの表情を浮かべひたすらに拍手するチコを捕らえた。「やったね」と口を動かしているのが辛うじて読み取れた。


「おめでとうございます。とても素晴らしい歌声でした」

 袖から現れた司会者が「賞金100万円」と書かれたボードと、我が幼なじみ念願のサマンサタバサのバッグを俺に手渡そうとしたその刹那、


ちろちろりーん


 タイムリミットを知らせるチャイムが無情にも轟いた。


 俺は獲物をひったくると、チコの手を掴んで踊り場からイベントスペースに連なる階段を転がるように駆け降りた。騒然となる買い物客。ロマンスグレーが印象的な司会者が慌てて追いかけてくる。カメラマンもその後に続く。このままいては、衆人環視の中で美少女からニキビ面の男に戻るイリュージョンまで披露してしまう。俺は死ぬほど急いだ。


 賢明な読者ならもうお分かりだろう。

 

 履いていたサンダルのストラップが切れたのだ。俺は階段から大理石の床にダイブして全身を強かに打ち付けた。チコは抱えていたサマンサのバッグを死守してなんとか踏ん張ったようだ。


「だ、大丈夫……?」


 追いかけてきたロマンスグレーも若干引いてた。動揺しながらもカメラマンは俺の転倒する姿をレンズにしっかりと捕らえていた。

 奴らが怯んで足が止まった隙に俺は再び猛ダッシュして、ようやく表参道ヒルズという名のお城から抜け出した。後にサンダルの片方だけ残して。




「そこにいるんでしょ」


 茂みに向かってチコは話しかける。

タイムリミットを過ぎ、男の身体にサイズが耐えられなくなってボロボロに破れたワンピースを貼り付けた俺はうずくまり、こくんと頷く。


「帰ろっか」

 チコは羽織っていた自分のトレンチコートを俺にかけて、ゆっくりと立ち上がらせてくれた。



 翌日のテレビは、オーディションの最中に消えたミステリアスな美少女の騒ぎで持ちきりだった。「このサンダルの持ち主は名乗り出てください。情報お待ちしています」と、番組スタッフは画面を通じて「現代のシンデレラ」の存在をこんこんと視聴者に訴えかけた。「テレビ局総出で全国を探し回った」という噂もまことしやかに流れた。

 

 しかし、彼らがどんなに捜索に手を尽くしても、淡いブルーのサンダルにぴったり合う美少女はついに現れなかったのである。


 

 

 


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