少女かえで

茅田真尋

第1話少女かえで

 最初にその少女と出会ったのは、六歳の時だった。友達とけんかをして泣きべそをかきながら帰宅した僕の前に突然あの子は現れたのだった。


 当時の僕は嫌なことがあると、自宅の地下室に一人閉じこもることが習慣になっていた。地下には、父が収集していた骨董品が貯蔵されていた。繊細な文様が描かれた陶磁器の壺や秀麗な景色の描かれた掛け軸、子供にはちょっと魅力の分かりづらい茶道具なんかが所狭しと置かれていて、当時の僕はそんな雑然としながらもどこか品のある空間が好きだった。怖いという感覚は不思議となかった。


 地下室の骨董品の中でも、僕は洋風のお屋敷を象った木彫りの置物がお気に入りだった。単純にきれいでかっこいいというのもあったけれど、手にしているだけで、ささくれだった心をそっと撫でてくれるような優しさが感じられたのだ。


 友達とけんかしたその日も、僕はいろんな骨董品に囲まれて屋敷の置物をいじっていた。


「綺麗なお屋敷だねぇ」


 突如頭上から降り注いだ声に、僕はびくりと後ろを振り向いた。その拍子に手から置物が滑ってしまった。地面に衝突するギリギリのところで、とっさに差し伸べられた手が置物をキャッチしてくれた。

「ごめんごめん、驚かせちゃったね」

 置物が壊れずに済んでほっとした僕は改めて声の主へ視線を向けた。


 見たこともない少女であった。少女と言っても外見は中学生くらいだから、当時の僕にしてみれば立派なお姉さんだったのだが。すらりと伸びた黒髪が肩のあたりで切りそろえられていて、柔らかな笑顔をこちらに向けている。なんだか幼稚園の先生みたいな人だと思った。

「お姉さん、だぁれ?」

 幼児に特有の舌足らずな声で、僕は彼女に問いかけた。少女は置物を元の場所に戻すと、今度ははぐらかすような笑みを浮かべた。

「ごめんね、お姉さんには名前がないんだ」

「えっ、名前のない人なんているの?」

「うーん、でもほら、生まれたばかりの赤ちゃんは名前がないよね? お父さんとお母さんが名付けてあげなくちゃ」

「でも、お姉さんは赤ちゃんじゃないよ」

 幼稚園児の頭でも変な人だってはっきり分かった。だけど、怖いとか逃げ出したいとは全然思わなかった。それはひとえに、あの人の全身から醸し出される優しげな雰囲気のせいだったのだろう。

「君の言う通り、私は赤ちゃんじゃないけど……」

 少し言いよどんでから、彼女は嬉しそうに顔を輝かせて両手をたたいた。

「それじゃあ、私の名前は君に決めてもらおうかな!」

 突然の提案に僕は戸惑ってしまった。どうかな、と彼女は人懐っこい笑顔をぐいと僕に近づけてきた。

「えっ、えっと、それじゃ………………かえで……」

「かえで?」

「うん……ダメ?」

 不安が滲む僕をよそに、彼女はふるふると首を振った。

「ううん、ぜんっぜん。それじゃ、私はかえでね。でもなんでかえでなの?」

 恥ずかしさに口籠ってしまって、その質問にはまともに答えられなかった。正直に告白すると、かえでは当時少しだけ気になっていた女の子の名前であった。


 頬を赤らめてうつむく僕を見て、彼女はきっとおおよその事情を察したのだろう。それ以上質問を重ねることはなかった。大人に隠し事はできないのであった。


 そのあとは、口下手な僕に対するかえでの質問に答える形で会話が続いた。かえでとのおしゃべりが終わると、けんかで沈んでいた気分はすっかり直っていた。次の日も僕はかえでに会いに行った。だけど彼女の姿はどこにもなかった。その次の日もその次の日も結果は同じであった。



 かえでとの再会を果たしたのは十歳の時だった。場所は前回と同じ地下室。四年前と同じく、彼女の出現は唐突だった。


 四年ぶりに会うかえでは、なぜかあのときと変わらず、なめらかなショートヘアの中学生のお姉ちゃんだった。

「大きくなったね!」

 かえでは、やはりあの頃と同じ笑顔を見せてそう言った。だけど、そこから受ける印象はだいぶ違っていた。あの時は幼稚園の先生みたいで優しく頼もしく見えたけど、今見るとそんなでもない。きっと歳が近づいてしまったからだ。

「四年も経ってるんだから当たり前だよ。それより、かえではなんで変わってないの?」

「ふっふー。私は永遠の美少女なのだー」

「そんなことあるわけないでしょ」

「うう、君もまだまだ子供なんだからちょっとくらい夢を信じようよ!」

 やっぱりかえでは変な少女であった。突然現れるし、名前もない。だけど、気味の悪さのようなものはどうしても感じられない。得体が知れないのは間違いないけど、僕に害をなす存在ではないと本能的に悟っていたのかもしれない。

「そんなことより! そろそろ好きな子とかできてくるころじゃないの?」

 容姿にたがわず、かえでは他人の恋に興味津々なのだろうか。うきうきとしたにやけ顔で僕の肩を小突いてきた。

「そんなのいないよ!」

 僕はとっさに否定した。本当はいたのだ。だけれど、それをこの少女に話すのは無性に恥ずかしかった。思春期に片足を突っ込んだ少年の心理としては当然のことだと思う。

「かえでちゃん?」

 少女はくすくす笑いながら問いかける。

「昔のこと掘り返さないでよ! 好きな子なんていない」

「そっかそっかぁ。……じゃあさ、君の初めての彼女に私はどう?」

 一気に顔が紅潮したのが感覚で分かった。この人は突然何を言い出すんだ。

「もういい!」

 久しぶりの再会にもかかわらず、むきになった僕はすぐさま地下室を飛び出した。顔のほてりはしばらく収まらなかった。小学生なんて、ちょっと意識するタイミングがあればどんどんいろんな子が好きになってしまう。恋の何たるかなんて微塵も知りはしないのだった。


 頭が冷めてから再び地下室に戻ったが、かえでの姿はすでになかった。案の定次の日もその次の日もかえでは姿を現さなかった。



 次にかえでと遭遇したのは十四歳の時だった。なんとなく予感はあった。かえでは四年周期で我が家の地下室に現れるのだ。前回の邂逅から、彼女の存在がうっすらと心の片隅に引っかかっていた僕は、あの子の登場をどこかで心待ちにしていたかもしれない。


 四年ぶりに出会ったかえでは相も変わらず中学生のままだった。気が付けば、僕と彼女は同い年になっていた。

「久しぶりだな」

「あの時の事まだ怒ってる? 変にからかってごめんね」

「もういいよ、そんな前のこと。それよりも教えてほしいんだ」

「何をかな?」

 両手を後ろで組み、朗らかに笑う。

「かえでは、一体何者なんだ? いきなりここに現れて、それも四年にたった一度なんて」

 かえではしばらく口を開かなかった。聞いてはいけないことだったのだろうか。一抹の不安に僕はかられた。やっぱりいいや。そう言いかけたとき、かえではそっと傍らにあった骨董品の一つを手に取った。あの屋敷の置物であった。

「覚えてる? あの時私が急に現れて、君を驚かせちゃったんだよね」

 あの時の記憶をじっくりと味わうように、かえではしみじみと語った。

「……私の住処はこのお屋敷。正確にはこの置物に宿る精霊みたいなものかな」

 これまでにも不可解な点はたくさんあった。精霊なんて超自然的な概念を持ち出されても、今更驚くこともなかった。

「物に宿った精は四年に一度だけ神様の力をもって受肉の機会を与えられる。一日だけ自由の身になれるのよ」

 そう言って差し出されたかえでの白く細い手を僕は握った。初めて会ったときに、落とした置物を支えてくれた手と同じものだとは思えなかった。あの時はずっと大きく見えたのに、今じゃあまりに儚げで心細い。

「いつもは、断ってたんだけどね。受肉なんてどうでもよかったから。だけど、君がいつもさみしそうな顔してやってくるようになって、少し外の世界に興味がわいたんだ」

 幼時の頃の癖を話題にされて、決まりが悪くなった僕はかえでの手を振り払ってそっぽを向いた。実年齢は知らないけど、見た目が同年代の女の子に自分の昔のことを語られるのはどうもむず痒い。

「……名前がなかったのは、他人に呼ばれることがなかったからなんだな」

「そういうこと。なかなか鋭くなったねぇ」

 感慨深そうにうなずくかえではちょっと憎らしく思えた。もう子ども扱いはやめてほしかった。

「今日が終われば、またお前は帰るのか?」

「もちろん、それがお約束だからね」

 こともなげにかえでは言う。だけど、こうして自由になれるのが四年に一度だけなんてすごく不憫なことだ。人間と精霊の感覚は違うかもしれないけれど、それはとても寂しいことのように僕には思えた。

「どうにかして、とどまる方法はないのか?」

 でもきっと、そんな相手の都合云々ではなく、単純に僕がこの子ともう少し一緒にいられる時間が欲しかっただけなのかもしれない。

「残念だけど私は知らないよ。ありがとう、心配してくれてるんだね。それじゃあ、一つだけ約束をしてくれないかな?」

「約束?」

「うん。また四年がたったら私に会いにきて」



 四年の月日が経過し、十八歳になった僕は彼女との約束を果たすため地下室を訪れた。あれから、かえでを解放する方法を調べてみたけれど、あまりに非現実的でどこからも情報は手に入らなかった。当然といえば当然の結果である。

 この春先に僕は一人暮らしをすることになった。長年親しんだこの家を出ていくのだ。

 すっかり大人になった僕を、かえではやはり中学生の姿で出迎えた。最初は立派なお姉さんに見えたその姿は、今となっては僕が面倒を見るべき後輩のように映った。

 ここ四年間のことを一通り話し終えた僕は引っ越しの旨を伝えた。そして、かねてから心に決めていたことを口にした。

「一緒に来てくれないか?」

正確にはかえでの宿る置物を転居先に持ち出すことを提案したのだ。どこにいようと、かえでと会えるのは四年に一回だ。それでも、あの置物が身近にあれば、彼女の存在を色濃く感じることができる。


 かえではしばし逡巡したのち、熱っぽい笑みを浮かべてこくりとうなずいた。

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少女かえで 茅田真尋 @tasogaredaru

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