雪原の一本桜
ろくごー
雪原の一本桜
「今回も最後の登場だね。もう遅いよ!」
どうやらフォークに刺さったチーズケーキが、杏璃の口に消えるのを救出したようだ。
「まったくだぜ、せっかくの『牛乳ラーメン』が伸びちまうよ」
レンゲに煮卵を乗せたまま、勝也は言った。
小岩井農場の隠れ名物「牛乳ラーメン」のスープは、外の雪景色に呼応するように真っ白だ。そのスープを喉に勢いよく流し込む勝也を見る限りは、麺が伸びるのを待つ様子はない。
「まぁ、色々と野暮用でね。積雪の影響もあって東京駅で新幹線に乗り遅れたし」
肩を軽くすくめながら、リュックをテーブルの下に降ろし、二人の向かいの席に座った。
この「サイロ喫茶室」も4年振りか…
小岩井農場で唯一の喫茶専門店で、隣接する牧場で採れた新鮮な牛乳を元にした本格的なチーズケーキが珈琲と共に味わえる。
「それにしても変わらないな、二人共」
珈琲を注文した後、幼馴染達の顔をまじまじと眺めていた。
「あらありがとう。でも、流石にそうもいかないわよ、もうすっかりオバサンで、ふふ」
「まったくだよ、昔はあんなに可愛い、ブッ」
杏璃の肘打ちを食らった勝也が、口から「何か」を吹き出しそうになる。
そんな昔ながらのやり取りを見ながら懐かしい思い出が蘇っていた。
四年に一度の「2月29日」の閏日
高校の卒業式を間近に控えた頃。これから閏日が来る度に、必ずこの故郷で会う約束を三人でしていた。
「これで会うのって何回目だっけ?」
淹れたての珈琲で身体を温めながら聞いてみる。
「そうねぇ、高校卒業以来だから、随分な回数になったわね」
「三人で決めた時に、正直、こんなに続くとは思わなかったぜ」
「ああ、二人も同じように思ってたんだ」
高校卒業と同時に、三人はそれぞれ別の進路に進んだ。
杏璃は仙台の大学へ進学し、そのまま就職し結婚。
勝也は観光農場の手伝いで地元に残った。
そして、自分は東京の大学に進学して、そのまま研究者の道を歩んでいた。
メッセージのやり取りはたまにしていたが、それぞれの生活に追われ、次第に疎遠な関係になっていく。それを定期的にリセットし旧交を温めるのがこの閏日の再会だった。
「だから高校の時に、杏璃は何でこいつに告白しなかったのかだよなぁ」
酒が入っているかのような勝也の無遠慮な発言に、杏璃が噛み付いた。
「うるさいなぁ、会う度に毎回毎回、いい加減飽きたのよ、その話!」
四年振りの再会で、ひとしきり昔話に花が咲いた後、「いつもの場所」へ移動することにした。
三人は喫茶室を出て、緩やかな農道を下っていた。
「その場所」までは、徒歩で20分ほど。雪かきはされているので、存外歩きやすい。
農場の建物を過ぎると、雄大な岩手山が姿を表す。明日で3月になるが、まだ残雪をたっぷりとたたえている。
不思議と三人の会話が途絶えていた。四年振りの再会で募る話もお互いにあったはずだが、顔を合わせた途端、何か通じ合ったのかもしれない。
「あ、見えてきたね」
杏璃のその言葉の先を勝也と一緒に目で追った。
「小岩井農場の一本桜」
広大な牧場に降り積もった雪、その「雪原」に岩手山を背景に備えながら、たった一本の桜の樹が凛としてそびえ立っている。
その絶景を見たさに観光客が普段は少なくないが、平日のせいか今は三人だけだ。
「もう何十年も前になるなんて信じられないわね。三人で閏日の再会を約束したの」
一本桜の樹肌に触れながら、杏璃は遠い日々を懐かしく思い出しているようだ。
「私ね、もう何年も見てないんだよね。この『一本桜』が満開に咲くのを」
「ああ、そうか。俺は小岩井の地元に残ったけど、お前らはこの日だけだもんな」
この桜が咲くのは、4月下旬の頃だ。満開になるのは、まだ二ヶ月近く先になる。
「満開」という言葉で、二人に伝えるべきことをふと思い出した。
ずっと心に思っていたことだ。
二人にも、もちろん誰にも伝えたことがないことを
(今こそ、それを二人に伝えなければ)
一本桜の下で、静かに語り出した。
「東京の大学に進学して、研究者の道に入った時から、この『一本桜』がずっと心の中にあったんだ。自分の研究が中々人からは理解されずに落ち込んだ時にも、この孤高に立ち続ける姿を自分に重ねててね。そして、長い年月を掛けてようやく研究成果が認めれてからは、この一本桜が満開に咲いていた子供の頃をよく思い出すようになったんだ」
二人は黙って聞いていた。
「私もね、仙台で働いている時に知って、とても鼻高々だったよ。こんな凄い研究を成し遂げた人が幼馴染だってね」
「俺も、農場に観光客が来る度に、聞かれてもないのにお前のことを自慢気に話してたぜ」
「そうだったんだ…」
閏日の再会の時に一度も研究の話をしてこない二人だったが、ちゃんと気にかけていてくれたことに感極まった。
(満開の一本桜、やはりもう一度観たい)
不意に、ひとひらの雪のようなものが目の前を通り過ぎた。
雪?、いや、これは…
桜の花びら?
「一本桜が咲いているわ!」
「おいおい、嘘だろ!?」
ついさっきまで雪化粧をしていたはずの一本桜が、満開に咲いている。
あまつさえ冬の山おろしの風を受けて、桜吹雪まで舞っていた。
三人は一本桜を見上げながら、奇跡のような光景にしばし魅入っていた。
「神様のご褒美かな、はは」
杏璃がようやく言葉を思い出したかのように言った。
二人は黙って頷くだけだった。
「新幹線のホームまで見送らせちゃって悪いね」
発車時刻はもうまもなくだ。
「また次の閏日に会えるといいね」
少し涙ぐんている杏璃は、この後の新幹線で仙台に戻る。
「ああ、また会えるさ。それと勝也も元気でな」
「なんだよ、オマケみたいに」
笑いながら勝也も少し涙ぐんだ目頭を押さえていた。
「じゃあ、また四年後に」
発車した新幹線の中からホームの二人に手を振った。
そう、また何度でも会えるさ
それも永遠に
ただし、生身での参加はもう最後かもしれないけど…
「不可思様、プライベート・スペースからログアウトしました」
AIの合成音に促されるように、装着していた小型装置をベッドの脇に置いた。
「不可思様、長時間の『仮想空間』へのログインは健康に悪影響です。もう88歳になるというのに、学生のような夜ふかしはいけませんよ」
「分かっているよ、ファンシス」
いささかAIにしては人間的過ぎるように育ててしまったかな、そんなことを思いながら静かに苦笑する。
雫石 不可思(しずくいし ふかし)
AI研究の第一人者として世界的に知られるようになったのは、もう30年以上前になる。「ファンシス」は、その頃から研究対象として育てている「第8世代AI(人工脳)」だ。
杏璃と勝也
幼馴染の二人が共に亡くなって、もう20年近い。本来ならば、そこで「閏日の再会の約束」は終了しているはずだった。
だが、自分の研究を活かせば「約束の永続化」が可能なのではないか?と諦めれなかった。
そして、新たな研究を始めた。亡くなった人間と全く同一の存在をAIとして「仮想空間」に誕生させることだった。
開発は困難を極めて十数年掛かったが、遂に完成させたそれを「サクセサー(継承者)」と名付けた。
一般社会では「第9世代AI」と呼ばれるようになっている。
それからというもの「仮想空間」として作り上げた故郷の小岩井農場で、二人の「サクセサー」と閏日に会うようになった。
自分は「ファンシス」の処理能力を応用して、視覚と聴覚の神経に直接信号を送る特殊装置を開発して、仮想空間にログインしている。
だが、もう生身の自分も4年後までは持ちそうにない。
次は自分もサクセサーに…
「そういえば、ファンシス。満開の桜、お前の仕業だろ? ありがとな」
「どういたしまして」
表示されてはいない表情が、声だけから誇らしげに聞こえた。
「サクセサー」になった三人が、仮想空間で閏日に会う。それも永遠に。
その存在は、果たして人間の「命」と言えるのか?
そんなことを考えているうちに眠くなってきた…
「不可思様、脈拍数が低下しています、ナースコールを」
雪原に、満開の一本桜が咲いていた
雪原の一本桜 ろくごー @rokugou
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