センターバック襲撃事件

庵字

センターバック襲撃事件

「襲われたブラジル人の被害は足の骨折だけで、命に別状はない」

「それはよかったですね」


 警部の報告に探偵は安堵の息を漏らしたが、


「これで二件目だ」


 警部の表情は険しいまま。探偵も表情を引き締めて、


「そうですね。前回は半月前。やはり同じようにプロサッカークラブの選手が襲われた」

「そちらも足の骨折だけで済んだが……」

「どんな状況だったんです?」

「それがな、どうもおかしいんだ。というのも、今回犯人は、被害者自宅マンションに侵入して犯行に及んでいる。半月前の被害者が、夜道をひとりランニングしていたところを襲われたという状況とは対照的だ」

「前の事件は無差別通り魔の仕業だと見られていましたよね」

「ああ。だが、今回は明確に被害者を狙っている」

「計画的な犯行ということですね……で、警部、その二人に共通点はないんですか?」

「どちらもプロサッカー選手だ」

「それは知っていますよ。それ以外」

「……ないな。所属しているクラブも別だし、プロ入り前に既知だったということもない。おまけに、聞いてのとおり、前回は日本人で、今回はブラジル人と国籍も違う。サッカー選手全般に恨みを持っていて、プロ選手なら誰でもよかったというのも考え難い」

「マンションに侵入してまで、ですからね」

「そのマンションは、被害者が所属しているクラブの選手があと何人か入っていて、そのうち二名はランニングに出ていた」

「無差別にサッカー選手を狙おうと思えば、もっと楽なターゲットはいたわけですか。ちなみに、今回の被害者も犯人のことは……」

「ああ、駄目だな。俺が聴取したが、犯人は帽子にサングラス、マスクをつけていて、声も発していないから特徴を捉えることは無理だそうだ。前回の被害者が証言した犯人像と全く一緒だよ」

「でも、それゆえ、二件の犯行は同一犯である可能性が極めて高いわけですね」

「そういうことだな。何かいい知恵はないか?」

「通り魔事件は探偵とは相性が良くないんですが……まあ、調べてみましょう」探偵はスマートフォンを取り出して操作を始め、しばらく画面を眺めてから、「……警部、ありました、被害者の共通点」

「なに?」


 警部は色めき立ったが、


「二人とも同じくらいの年齢です。最初の被害者は二十二歳で、今回は二十三歳です」


 探偵の答えを聞くと、なんだ、と嘆息して、


「そりゃ、サッカー選手なんて何十年も続けられる職業じゃないんだから、他の商売よりはある程度年齢層が縮まる。たまたま歳が近くても不思議じゃない」

「それと、もうひとつ」

「なんだ?」

「ポジションが同じです」

「ポジション? ああ、サッカーの」

「そうです。二人ともセンターバックですね」

「俺はサッカーのことはよく分からんが、そうなのか」

「はい。センターバックというのはですね――」

「サッカーについての話は、あとで詳しく教えてもらうから、今は事件を――」


 そこまで言うと警部は懐に手を入れ、呼び出し音の鳴っている自分の携帯電話を取り出して応答した。


「ああ、俺だ、どうした?……なに?」


 探偵もスマートフォンを操作する手を止め、警部が通話する様子を黙って見ている。


「目撃情報があった」通話を終えた警部は、「ここから数キロ先で、犯人と似たような恰好をした不審人物を見かけた人がいたそうだ」

「じゃあ、次のターゲットを物色して?」

「待て、時系列が違う。その目撃がされたのは、第二の犯行が行われる数時間前だったそうだ。しかもな、その目撃したという人物も、サッカー選手だった」

「えっ?」

「やはり、夜のランニング中だったらしい。犯人と思われる不審人物は、公園の木陰から飛び出してきて、一目散に出入口に向かって走っていったそうだ。二件目の事件の報道を見て、あの怪しい人物はもしかして? と思って通報したそうだ」

「……」

「どういうことだ? 本来はその通報した選手を狙おうとしていたが、急遽ターゲットを変更したということか? しかも、マンション在宅中という極めて犯行に及びにくい条件を押してでも?」

「警部、その目撃者の名前は?」

「ああ、あのな……」


 探偵は名前を聞くと、スマートフォンの操作を再開して、


「……やっぱり、その選手もセンターバックです」

「なんだと?」

「しかも、やはり同じ二十三歳だ」

「おいおい、どういうことだ?」

「その目撃した不審人物が一連の犯人であることも間違いないでしょうね。襲われた二人ともが同じ証言を――」


 そこで探偵は、はっとしたように顔を上げて、


「警部!」

「なんだ?」

「二人目の被害者から聴取したとおっしゃいましたよね」

「ああ、それが何か?」

「警部はポルトガル語が堪能で?」

「はあ? いや、さっぱりだ。〈ボン・ジョルノ〉くらいしか」

「それはイタリア語です。ポルトガル語はブラジルの公用語ですよ!」

「……ああ! そういうことか。それについては問題なかった」

「どうしてです?」

「そのブラジル人選手が日本語堪能でな」

「……」

「『日常会話に困らないレベル』なんて謙遜していたが、もっと高度な日本語も操れる感じだったな、あの選手は。イントネーションもばっちりで」

「警部」

「うん?」

アンダー23サッカー日本代表をご存知ですか?」

「何だ? いきなり。知らんよ」

「〈U23〉というのは、二十三歳以下の選手だけで構成される日本代表のことです。対して、年齢制限なしに選ばれる、いわゆる〈日本代表〉のことを〈フル代表〉なんて言ったりします」

「それが?」

「そのU23にはですね、原本はらもとという、飛び級でフル代表に選出もされるほどの不動のセンターバックがいるんです。現在は欧州のクラブにいるんですけれど」

「それがどうした?」

「現在、U23が採用しているフォーメーションは、4-4-2なんですよ」

「だから、サッカーの話はまた今度聞くって――」

「つまりですね、このフォーメーションでは、センターバックというポジションは二名しか試合に出られないわけです」

「あのな――」

「しかも、最初に襲われた選手も、不審人物を目撃したと通報してきた選手も、U23代表に毎回呼ばれている主力選手なんです」

「――なに?」

「U23代表というのは、今の年には呼び名が変わるんです」

「呼び名だと?」

「はい。〈オリンピック代表〉と」

「ああ! そういえば、オリンピックのサッカーには年齢制限があると俺も聞いたことがあるぞ」

「そのボーダーが、四年に一度開かれるオリンピック開催年に、23歳以下であるという条件なわけです」

「ふむ」

「警部、やはり犯人は、当初は目撃通報をしてきた選手を狙うつもりだったんですよ」

「それを変更した理由は?」

「警部が、二人目の被害者から何なく聴取を行えたということにヒントがあります」

「どういうことだ?」

「警部、僕が今から言う条件に該当する人物を調べて下さい……」



 後日、警部は探偵の事務所を訪れた。


「思いの外あっさりと自供したよ」

「そうですか」


 探偵はコーヒーを淹れて迎える。


「ああ」ソファに腰を下ろした警部は、「犯行時刻のアリバイがなく、職業はスポーツ記者。さらに……身内にU23代表候補となる選手がいて、そのポジションはセンターバック。犯人はある選手のお兄さんだった。動機も君の推理どおりだったよ。何がなんでも弟をU23――引いてはオリンピック代表メンバーに入れたかったとな。そのために、同じポジションの選手を襲って怪我をさせ、代表入りを阻止しようとしていたんだ」

「4-4-2のフォーメーションの場合、センターバックで試合に出られるのは二名だけ。それに、センターバックというのは、選手にアクシデントでもない限り、そうそう交代がかかるポジションでもありませんからね。だから、ベンチではなく確実にスタメンに入れる必要があった」

「原本という不動のスタメン選手は海外にいて手が出せないからな。国内にいるライバルを潰していくしかなかった。しかし、よく分かったな」

「二件目の被害者がブラジル人なのに日本語が堪能、という話を聞いて、ピンときたんです。もしかしたら、その選手は日本に〈帰化〉しようとしていたんじゃないかって」

「それも間違いない。本人は高校生の頃に親の仕事の都合で来日し、以来ずっと日本育ちだから、あれだけ日本語がペラペラだったんだな。君の推理どおり、本来は別の選手――弟のライバルとなるU23世代のセンターバック。不審人物の目撃通報をしてきた選手だな――を狙うつもりだったが、土壇場になって、同年代のブラジル人選手が帰化する意思があるという情報が入ってきたと。だから、急遽ターゲットを変更した。本来狙うはずだった選手は、弟と競るくらいの能力だが、ブラジル人が相手となれば話は別だ。帰化して日本国籍を持てば、間違いなく代表に呼ばれ、そちらがスタメン候補筆頭となる」

「そこまでして弟を代表入りさせたかった理由は何です?」

「祖父のためだそうだ」

「お爺さんの?」

「ああ、犯人の祖父は、1964年に開かれた東京オリンピックの、サッカー日本代表候補だったそうだ。惜しくも最終選抜に漏れて、オリンピックのピッチに立つことは叶わなかったがな」

「じゃあ、お爺さんの無念を晴らそうと?」

「祖父は病で、余命いくばくもないらしい。今度開かれる東京オリンピックまで保つかどうかと聞いた」

「……だから」

「ああ、何としても、孫がオリンピックの舞台で活躍する姿を見せたい。その一念での犯行ということだな。無論、そんな手段で孫が代表に選ばれても、祖父が喜ぶはずはないだろうに」

「……」


 警部は出されたコーヒーをすすって、


「……今日のは苦いな」

「……そうですね」


 探偵もカップに口を付けた。


 犯人の祖父が亡くなったという知らせが入ったのは、その数日後だった。祖父は数日前から昏睡状態に入っており、孫がオリンピックの舞台に立つことを見るのはもちろん、もうひとりの孫が傷害犯だと知ることもないまま旅立ったということだった。

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