潤うのとし

薫風ひーろ

第1話

「こんにちは、アカウオちゃん」


呼び声に反応したのか尻尾がぷりっと揺れた。


「ちゃんとあたしの声認識しているのね」


様子を伺っていたけれど今度は動く気配はみられない。


あたしはプラスチック容器の底の部分をコンと指で弾いた。


プクっと泡玉がひとつ現れてゆらゆらしながら上昇した。

それっきりなんの変化も起きやしない。

活動するにはまだ時間が必要なのは分かっている。

でも、あたしはこの日が待ち遠しくて朝陽が昇る前から目が覚めてワクワクして待っているのに、素っ気ない態度にいささかしょぼくれ気味。


「早く起きなさいよね」


あたしは地団駄を踏み兼ねる勢いで語気を荒げじっと見張るように見続けた。

窓から陽が差して

無色無臭の液体があたしの仏頂面を反射させる。

アカウオちゃんの尻尾にも陽があった。すると、反射した鱗がコロコロのきらきら丸玉を作りプラスチック容器一杯にできた。

尻尾が揺れ動く度、きらきらの丸玉はコロコロ動き、プラスチック容器の中はまるでスターのステージさながら華やかになった。


勿論主役はアカウオちゃん。


何故なら4年越しの今日という特別な日だから。


毎日でも毎週でもない。

4年に一度しか会えない特別な日。


あたしはこの日を4年も前から待ち望んでいた。

もう、何回目の4年越しだろう。

アカウオちゃんと初めて会ったのがまだあたしが

十代の頃だから、かれこれ・・・。


んん、あたしも随分歳を取ったわ。


自分の肌に手を当てる。

うるツヤだった肌はかさかさに、ふっくらしてた頬は少しこけたかしら。


あら、いやだ。

みっともない顔でアカウオちゃんと再会するのは恥ずかしい。

ちょっと、お直ししてくるわ。


数少ない化粧道具の中からコンパクトを取り出す。

あたしはどんどん歳を取って、いずれはおばあちゃんの姿になるかもしれないと思うと悲しくなる。

人間だから歳を取るのは当たり前。

だけど、アカウオちゃんは4年前も4年後もそのまた4年後も麗姿のままなのだ。

ずっと綺麗でいるアカウオちゃんを知ってしまったら歳を取ったあたしの姿が恥ずかしく思う。


ああ、綺麗なままでアカウオちゃんに会いたいな。

あたしこのまま歳を取らなければいいのに。

なんでアカウオちゃんは綺麗なままなの?

いくら人じゃないって言っても、それなりに変わってくれれば、あたしもなんだか安心するのに。

歳をとらない、うるツヤな綺麗なままでずっといられるなんて

ほんと羨ましい。



コンパクトの鏡に映る自分の顔はもうおばさんだ。


そんな事を思い始めていると、プラスチック容器の中から


「う、うーん」と、声が聞こえてきた。


あたしは急いで覗きにいく。


「おはよう、アリス」


眠たげな声ではあったものの、艶々輝く金色の長い髪、白く潤んだ肌艶、虹色に光る鱗は宝石のよう。

4年前もその4年前もずっとずっと変わらない美しさ。


500ミリのペットボトルに注がれた水の中で世界一綺麗なお姫様が優雅に泳いでいるのは、4年に一度目覚める人魚さん。


「おはよう、アカウオちゃん」


あたしは嬉しさと羨ましさと、いまいましさと、喜びと感情が入り混じっちゃって、声が上擦る。うまく笑えない。


アカウオちゃんは気にもしない様子で小さなペットボトルの中でくるくる回って楽しんでいた。


ねえ、あたし、年取ったでしょ?

ねぇ、あたしも綺麗なままで貴方に会いたいの。

ねぇ、どうしたら貴方みたいに同じ姿のままでいられる?

ねぇ、どうしたら年を取らずにいられる?


ねぇ、どうしたら・・・。


あたしはグルグル回る思考回路の袋小路にぶつかって深い海の底に沈んでしまった。


「アリス、アリス」


透き通る声にハッとして目を開けると、きらきら光る魚が目の前を泳いでいる。


そうだ、きっと綺麗な魚を食べればあたしだって綺麗になれるに違いない。


きらきらしながら泳ぐ魚を必死に捕まえようと手を伸ばす。


「いっ、いったーいっ」


黄色が弾け飛んだ声にハッとした。

鼻にかかる生臭い匂い。

口の中にグニャとした何かが挟まっていた。急いで、口から取り出す。


あたしは知らず知らずのうちに ( だって記憶なんてないんだもん) アカウオちゃんを食べていた。


「えっ、えっなんで?あたしアカウオちゃんを

食べるところだったの!」


「もう!痛いじゃない。あーあ、髪いたんじゃった。あのさ、この髪手入れ大変なのよね。どうしてくれるのよ。ねぇ、知ってる?人間はすぐ容姿が変わることを嘆くけど、人魚だって同じだから。努力しないと若々しくいられないのよ。だからね、4年に一度目覚めた時、もし人間が私たちを食べようとしたらやり返してもいい事があるの。それはね」


「それは?」


「私たちが貴方たちを喰べてもいいって事」


ニヤリと笑ったアカウオちゃんの口はいっぱいいっぱい横に広がり開けた口から何本の歯が現れて見える。


「いっただきまーす」


無邪気に笑う人魚の本当の姿は人喰い魚人だった。

アカウオちゃんって可愛くない名前つけたのだって、あたし本当はどこかで疑ってたのかもしれない。綺麗な人魚なんて嘘の存在。

可愛くない人魚。

あたしのカンは当たった。


あたしをムシャムシャ喰べてるアカウオちゃんは嬉しそうに笑った。


「ああ、これでまた若々しくいられないのよ。4年に一度目覚めるのも悪くないわ」


人魚の姿を潤む年は人の世界ではうるう年だった。



おわり







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潤うのとし 薫風ひーろ @hi-ro-ko

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