一年が四年ごとの公園

滝川創

一年が四年ごとの公園

 私は静まりかえった公園のベンチで、弟のなおと手を繋いでいた。

 ずっと遠いところにある星が放った光が、長い時間をかけて私の目に届いている。

 この星と同時に存在しているのに、その星が見えるとき、それはずっと昔の姿をしているのだ。


 私は直の顔を見た。

 髪の毛は以前よりもくせが強くなっており、うず巻いていた。あんなに小さかった身長もだいぶ伸びて、私を追い越していた。

 色々と変わってしまった直だが、しかしその目の輝きはいつまでも全く変わらない。

 計算すると彼は今、十六歳ということになる。


 直は志望していた高校に合格したという。


「おめでとう」


 私は心から喜んだ。


「みっちゃんはどう?」


 そう尋ねれられ、私は「幸せな家庭で生活出来てる」と微笑んだ。


「おめでとうで思い出したよ。そういえば今日、みっちゃんのお誕生日だよね」


 そうか、今日は私の誕生日なんだ。 ありがとう、といって弟の肩に頭を預けた。


 私が生まれたのは四十八年前の今日、二月二十九日。


 あの出来事があったのがその九年後だった――。




 その日、八歳の私と六歳の直はお母さんがケーキを作ってくれている間に、上に立てる蝋燭を買うため、スーパーに行った。

 帰り道、公園の前を通りかかると、直が遊びたいと言い出したので、二人して遊んだ。

 すこしのつもりだったのだが、つい夢中になって気付けば日が暮れていた。

 私と直は慌てて立ち上がると、公園の出口へと駆け出した。

 公園の出口から出るとすぐ前に道路がある。

 その横断歩道を渡って、向かいの歩道まで走り抜ける。


「待って」


 声に振り返ると直は蝋燭のビニール袋を片手に、まだ公園の中にいた。

 私は買った蝋燭の事をすっかり忘れていたのだ。

 直はそれに気付いて、ビニール袋を取りに戻ったのだった。

 直が私を追いかけて、公園の外へ走り出した。


 突然、死角からトラックが突っ込んできた。


 トラックが目の前を通過し、地面が張り裂けたような音を立てて止まった。


 トラックが通り過ぎた横断歩道に、直の姿はなくなっていた。


 その日、直は死んでしまった。

 小学一年生にして、早すぎる死だった。



 夜、私は家を抜け出した。

 そして公園に辿り着くと、星が広がる空に無我夢中で祈り続けた。


 弟が生きていますように。遠いところに行ってしまったのだとしても、生きていますように。


 日が昇るまでずっと祈り続けた。

 私を見つけ出したお母さんは、こんな所で何してたの、と私を抱きしめた。


「直くんが生きてるよう、神様にお願いしていたの」


 私の言葉にお母さんは、直くんて誰? と聞いた。

 体中を衝撃が走った。


 あまりの悲しみにお母さんは頭がおかしくなってしまったのだと思ったが、そうではなかった。


 その日、直のことを知っているはずの人に片っ端から直のことを尋ねた。

 しかし、直の名前を出す度にみんな、首をひねるだけだった。誰も直の事を覚えていないのだ。


 アルバムや、記録を片っ端から調べたが、そこでも直に関するものは一切消えていた。


 そこで気が付いた。

 直がこの世界から消えてしまったということに。

 最初から存在していなかったのだということに。


 それでも、私の中には直と過ごした日々の記憶が鮮明に残っていた。

 小学校で過ごした日々の記憶は徐々に薄れていくのに、直の笑顔だけは目を閉じればはっきりと浮かび上がる。

 訳がわからないまま月日が経ち、遂にその時が来た。


 事故から四年が経った二月二十九日。

 直が世界から消えて、初めての命日。


 小学六年生だった私は夕方、あの公園のベンチに座って、声を出さずに顔を覆って泣いていた。


「みっちゃん?」


 不意に頭上からかけられた声に、私はゆっくりと顔を上げた。


 そこに立っていたのは直だった。 

 幽霊かもと思ったが、恐怖は微塵もなかった。


「直くんなの?」


 彼の頬を一筋の涙が伝った。

 彼は無言のままうなずき続けた。

 私はベンチから腰を上げると、彼の頬を触った。


 直だ。間違いなく直だ。

 幽霊なんかじゃない。生きている直だ。


 私は直を強く抱きしめた。目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。

 直も顔を私の胸に埋めて泣いた。

 ひとけのない公園で二人、泣き続けた。



 彼の姿は四年前とほとんど変わっていなかった。少し身長が伸びたくらい。

 四年越しの再会に、私たちは多くのことを語り合った。




 直は事故に合った時、目の前が真っ暗になり意識が戻ると、何事も無かったかのように自宅のベッドにいた。

 体を起こして「みっちゃん、どこ?」と家の中を探し回っていると、不思議そうな顔をしたお母さんが「みっちゃんって誰?」と尋ねた。

 それから直は私を必死に探し始めたが、結局見つけることは出来なかった。


 私と同じように、直も困惑を抱えた日々を送り続け、次の年のことだった。

 その年も二月二十九日がやってきた。

 直はお母さんに聞いた。


「あれ、閏年って四年に一回しかないんじゃないの?」

「閏年?」お母さんは困った顔だった。「そんなの聞いたことないわ。一体それはどんなものなの?」

「四年に一度、一日増える日だよ」

 不思議そうにお母さんは言った。

「一年は三六六日。毎年それが変わることはないのよ」


 幼い彼は悟った。

 自分は姉が存在しない、二月二十九日が特別ではない世界へ来てしまったのだと。

 その日の夕方、直は無性に公園へ行きたくなった。

 我慢できなくなった彼はお母さんの目を盗み、五時の門限を破って公園へと向かった。


 そしてベンチに座る私を見つけたのだった。




 再会した私たちは一緒に家へ帰ろうと、手を繋いで公園を出ようとした。


「だめだ。出られない」


 出口まであと一歩のところで直は言った。

 足が動かない。私の足も同様だった。

 どう頑張っても公園の外には出られなかった。

 

 嫌な予感が脳裏をよぎる。

 私と直は未だ違う世界にいて、ただ、この公園がその二つの世界を繋いでいるのではないか。

 そのため、二人は一緒に公園の外に出られないのではないか。

 私たちはベンチに戻って腰を下ろした。


「今、直くん何歳?」


 ふとした違和感からこんな質問が口をついた。

 彼は困惑の色を浮かべながら応える。


「七歳だけど……」


 私は頭を抱えた。

 あの事故から既に四年が経過している。

 私は今、十二歳だ。

 しかし、直の話と照らし合わせると、彼の世界では一年しか経過していない。

 それが故に彼の成長は、離れ離れになっていた期間と不釣り合いなのだった。


 信じたくはないが、二人はもう、同じ世界に戻れないのかもしれない。


 その日、私たちは離れるのが怖くて、ずっとそこにいた。

 夜の公園のベンチに座って身を寄せ合った。



 はっと目が覚めるとベンチに座っていた。

 隣では直が寝息を立てて眠っている。

 夢ではなかったことに安堵の息をつく。


「直くん、起きて」


 私が体を揺すると、彼は目を開けた。

 空には月がある。

 私は腕時計を見た。

 ちょうど、十二時ぴったりだった。


「直くん、大変。もう……」



 隣に先ほどまでいた直の姿は無くなっていた。

 公園を隅から隅まで探すがどこにもいない。


 私は恐る恐る、公園の出口に立った。

 息を呑んで一歩踏み出す。


 足は公園の外に着いた。

 公園から外に出て振り返ってみると、先ほどと空気が変わっているような気がした。


 私の胸に絶望感がなだれ込んでくる。

 やはり、私たちは違う世界にいるのだ。

 閏年のこの公園が、世界を繋げる場所だったのだ。


 次の日も、その次の日も私は公園へ足を運んだ。

 だけれども、直が姿を現すことは無く、毎日が過ぎていった。

 そのうち直が死んでしまった、閏年が条件だという考えは真実のように思えてきた。


 次の閏年、予想は見事に当たった。

 十六歳になった私が公園のベンチに座っていると、ふっと公園内に漂う空気が変わり、どこからともなく直が現れた。

 彼もこの状況について理解したようだった。直は八歳だった。


 私たちはそれから、閏年になる度に公園で会った。

 会う度に二人の間を流れる時間は四年ずつ広がっていった。

 直は毎年、二月二十九日に私と会い、私は四年ごとの二月二十九日に直と会った。





 そして今日、四十八歳の私は十六歳の直と並んでいる。

 直が横にいる。

 直の温もりが感じられる。

 お互いが存在していることを認識し合えている。


 それが何よりの幸せなのだと、今さらながらに知る。


 私たちは四年に一度の日を、公園のベンチで共に過ごす。

 その間にあったことを話し合って、次に会うときまで寂しくならないように話し続ける。


 時計は十二時三分前を指していた。


「そろそろお別れだね」


 直は涙を目に浮かべている。

 いつもそうなのだった。

 会える度に別れるのが寂しくなるのだ。


「そうだね。元気でね。私、ずっと直くんのこと忘れないからね。大好きだよ」


 彼は微笑んで頷いた。


「僕もさっちゃんのこと、大好きだよ」


 私は直の体を強く抱きしめた。

 直も私のことを抱き返した。


 夜の公園、五十前の女と男子高校生が抱き合っているのを人が見たら、奇妙に思うかもしれない。

 でも、そんなことは気にしなかった。


 どんなに年が離れても、どんなに住む世界が離れても、私と直はずっと姉弟だ。



 直は私の腕の中で煙のように消えた。

 時計は十二時を指している。


 私は濡れた頬を拭い、立ち上がる。


 家に帰らなくては。


 我が家には夫、それに十八の娘と十六の息子がいるのだ。


 空気が戻った公園から外へと足を踏み出し、横断歩道を渡って、公園の方を振り返る。


 そこにはだれもいない、暗い公園が広がっている。

 結局、私はいつでも直のことを置いてきてしまうのだ。

 あの時もそうであり、今もそうだ。

 私だけがずっと先を生きている。

 いつか、直のことを置いて、私は逝ってしまうのだろう。


 だけれど、私にできることはひとつしかない。

 四年後を待つしかないのだ。

 

 空を仰ぐ。

 頭上には、ずっと遠い場所で、ずっと遠い時間に生まれた数々の光が降り注いでいる。

 あんなに近くで光っているのに、それらは全く違う時間に生まれた光なのだろう。


 私は再び歩き出す。


 彼もどこかで。

 はるか遠い世界のどこかで。



 空に煌めくこの光の数々を、目にしているのだろうか。

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