祝祭が流行する

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

感染

「その村では、四年に一度だけ祭りが開かれるというんです」


 隣の席で、眼鏡の男が言った。

 名前も知らない男である。たまたま居合わせた居酒屋の、隣の席に座ったその男は、空の杯をこちらに差し出すなり、突然語りはじめたのだ。

 どうやら奢れと言うことらしい。

 まあ肴になればいいかと、私は酒をそそいでやり、ついでに小鉢を、まだ空けていない割り箸とともに差し出す。


「こりゃどうも」


 いいから続けろと、私は顎で促した。

 男は小さく頷く。


「そりゃあ奇妙な祭りでしてね、ある種の祝い事……祝祭の類いなんですが、限られた人間しか参加できない」

「村の人だけってことか?」

「いいえ、村人と客人だけなんですよ」


 客人。

 つまりは外からやってきた旅人などだけが参加できる祭り……ということらしい。


「形式としてはね、来訪神の歓待に近いですかねぇ。こういう昔話を知らないですか? 泊まるところのない神様が、年の瀬に村々を訪ねてまわるけれど、どこでも断られて、結局親切に一宿一飯をくれた家だけに富を与えるという」


 なるほど、確かに聞き覚えがないでもない。

 よくわからないが、笠地蔵とかそう言うのに近いのかもしれない。


「ともかく、客人をね、その神様に見立ててね、村人達は歓待の限りを尽くすんですよ。豪勢な食事を振る舞い、酒を飲ませ、暖かな寝床を与える。この世の娯楽のすべてを与える」

「そりゃあいい。美人が酌をしてくれるならなおのこといい」

「残念ながら違いますね」


 違うというと、どういう事だろうか。

 少し興味を惹かれ身を乗り出すと、男はどうしてだか苦笑した。


「カクヨムさまと、一晩をともにするんですよ」


「は?」


 思わず口をついて出た言葉を、男はするりと聞き流した。

 そうして、ぐいっと杯をあおる。


「カクヨムさまってのは、その村のご神体なんですがね。これがおさめられている屋敷がありまして、そこで一晩過ごすんですよ。同衾するんです」

「生き物なのか?」

「まさか!」


 男は大声を出したあと、周囲の視線に怯えたようにして、身を縮こまらせ困ったように笑った。


「生きてるわけがないでしょう。そう、生きているわけがない」

「…………」

「カクヨムさまは木彫りのトリなんですよ。そこに、隙間なく真っ白な紙が貼られていて、紙にはびっしりと文字が書かれている」

「なんて書かれてるんだ」

「わかりませんね。とても読めたものじゃない。ただ、異様に小さな、米粒よりも小さな文字がずらりと並んでいる。それでね、旅人はカクヨムさまを抱いて眠るんですよ、一晩。その間に星が輝けばなにも起きません。しかし、真っ暗闇の夜だったら──」


 固唾を飲む。

 男の話が、やけに真に迫っていたからだ。

 思わず酒に手を伸ばし、目をしばたかせる。

 なにか。

 なにか黒く小さなものが、自分の手の上を這っていたような気がしたからだ。

 けれど、目をこらそうとしたときには、もうみえなくなっていて。

 そうこうしているうちに、男がまた口を開く。


「あなたは、文字ってどうやったら増えるか知ってますか」

「なんだよ、藪から棒に」

「本の虫ってぐらい活字が好きな生き物が、世の中にはいるでしょう」


 まあ、いるかもしれない。


「そいつらがどんなに本を読んでも、本を読み尽くす日は訪れない。なんでですかね?」

「人類の歴史と同じぐらいの量、本があって、毎日増えているからだろう」

「じゃあ、その本の文字はどうやって増えるんですかね」

「どうって……そりゃ、こう、人間が書いてだな」

「違いますよ」


 男は、やけに断定的な口調で言った。

 その目が、黒い瞳が、ジッとこちらを見つめている。


「文字はね、感染するんですよ。読んだ人間の頭の中で、その人間の人生を食い散らかして増えていく。そうして、ある程度増えると自分の分身を生み出す。それが、本とかってもんです」

「…………」

「誰かが生み出した本を別の人間が読んで、同じように頭の中を食い散らかされる。食い散らかされた人間は、文字に操られて本を書く。書籍ってやつが、どのくらいのスパンで流行を変えるか知ってますか?」

「……いや」

。ウイルスで言えば、そのくらいの頻度で突然変異を起こして、文字の種類が変わる。ブームって奴ですか、それが変わる。じゃあ、こいつらは、もとはどこからやってきたのかって話ですが──」

「ま、待て!」


 私は、急にその先を聞くのが怖くなった。

 遮る私を、しかし男は無視して──その目には、既に狂気的ななにかが宿っていた──割り箸の袋に、なにかを書き付けはじめる。


「カクヨムさまと一夜をともにした人間は、頭の中に物語が溢れてくる。ああ、今ならわかりますよ。あの文字はなんだ。それは眠っている間にぞろぞろと、目から、耳から、毛穴から、全身の中に這い入ってきて……そうして、脳髄に辿り着く。それで、そうなると、そうなってしまうと、どうなると思います?」

「おい」

「文字を書かずにはいられなくなるんですよ」


 男の言葉は、なによりも雄弁な証明だった。

 彼の手は今、割り箸に何かを描いている。

 それは文字だ。

 男の指先からにじみ出た黒い汁が、文字を──物語を紡いでいるのだ。

 そして、ああなんということだろうか!


 それはすべて、いま男が語った内容そのままなのである。


 ぶわりと、男の身体がブレる。

 違う、男からなにかがにじみ出ている。

 それは雲霞のごとく渦を巻き、居酒屋の中を覆い尽くす。


「物語は、伝染する。いにしえの昔から、ずっと、ずっと。四年に一度、その地を訪れたものに。そして訪れたものに触れた誰かにも。そう──」


 暗黒の中で、男が。

 ニヤァッと、嗤った。


「次は、あなたが書く番ですよ?」


 私は。

 黒い文字の群体が、確かに自分に殺到するのを見た。



 ……だから、いまこの小説を書いている。

 ほら。


 次は、あなたの番だから──

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