災厄

阿井上夫

災厄

 朝、テレビの向こう側でアナウンサーが言った。

「今年は『うるう風邪』の年です。国民の皆様は早めの準備をお願いします」

 それを聞いた父は、右のまゆを上げながらつぶやく。

「おや、もうそんな年なんだね」

 母も、同じように右の眉を上げると、

「土曜日には在庫の確認をちゃんとやってくださいね。お願いしますよ」

 と、厳しい声で言った。前回、父が確認を忘れていたために大変な思いをしたので、それを根に持っているのだろう。

「ああ、今回はちゃんとやるから、そんな顔をするなよ」

 と父は苦笑するが、母は、

 ――どうだか?

 という顔をした。

 私は、

「ごちそうさま」

 と言いながら、カバンを手に取る。すると、母が追いかけるように言った。

「マスク持った?」

「持ってるよ。でも、まだちょっと早いんじゃないの?」

「そんなことないわよ。隣のえっちゃんはもうしてるじゃない」

 そういえばそうだった。母と、幼馴染おさななじみの同級生である恵津子は、心配性なところがよく似ている。口答くちごたえしても面倒なだけなので、私は、

「――わかった。じゃあ、私も今日からする」

 と言い残して家を出る。

 すると家の門を出たところで、そのえっちゃんが待っていた。

 彼女は花粉症でもあるので、識別用の黄色いマスクをしている。ちなみに、呼吸器疾患を持っている人は青、風邪やインフルエンザにり患している人は緑色、『うるう風邪』の人は黒と決められているのだ。

「お”は”よ”う”」

 という、くぐもった彼女の声がマスクの下から聞こえたので、私もマスクをしてからそれに答えた。

「お”は”よ”う”」


 *


 またこの年がやってきた。

 年の初め、一月の終わりぐらいからマスクが売れ始める。

 二月になると消毒液がそれに追随し、三月には意味なくトイレットペーパーとおむつを抱えた人々がレジの前に列をなす。

 四月にはインスタント食品とミネラルウォーターが倍の値段でも安くなり、逆に観光地のホテルは半値でも客がつかなくなる。

 そして、五月になると、ウイルスによる感染症が蔓延まんえんし始めた。

 その発生頻度から、『うるう風邪』という不適切な名前が浸透してしまったその疾病は、常に新型となってランダムな地域で発生し、またたくまに世界中に拡散する。

 発生のメカニズムは不明。

 たいして致死率は高くないものの、感染率は高い。それに高齢者や呼吸器疾患を持つ者にとっては感染が致命的な事態につながりかねないため、誰もが外出を控える。企業も長期休暇を制度化していたし、公共交通機関は全面停止となるので、動きようがない。

 四年に一度、繰り返される似たような光景。

 さすがに製造業も慣れたもので、前年から在庫を積み増しているため、市場から姿を消すことはないものの、判で押したような出来事が毎回あちらこちらで起きる。口の悪い評論家が、

「この国の住民には学習能力がないのでしょうかね」

 と言っていたが、そんなことはないだろう。おそらく、すっかりこの災厄に慣れてしまって、オリンピックか何かと勘違いしているのだ。


 *


 学校に向かう途中、えっちゃんは何度かせきをした。

「ご”め”ん”ね”」

 と彼女はそのたびに謝るが、もちろん彼女が悪いわけではない。それでも、花粉症の人は四年に一回、嫌な思いをする。

 この時期、咳をすると周囲の人から反射的ににらまれる。今はマスクの色で区別できるようになったから、すぐに誤解は解けるが、最初のうちは物凄く厳しい目で見られることが多かったらしい。いまでもその体験がトラウマになって残っているのだ。

「気”に”し”て”な”い”よ”。そ”れ”よ”り”大”丈”夫”?」

 私がそう言うと、えっちゃんは嬉しそうな顔をした。

 その顔を見るたびに、私は思うのだ。

 ――さっさと発生源が判明しないかな。


 *


 同時刻。

 地球の衛星軌道上を楕円を描いて飛ぶ、某国の某企業が打ち上げた衛星があった。

 打ち上げ直後に予定の軌道から大きくはずれてしまったがために、管理対象外の迷い衛星となったそれの、表向きの使用目的は通信衛星であったものの、実際の用途は異なる。通信ユニットとは他に、将来的な食糧供給のひっぱくを打開すべく、宇宙空間での植物栽培の可能性をテストするために、簡単な菌類の培養ユニットが搭載されていたのだ。

 その実験自体がまだ初期段階であったがために、ユニットの存在は企業秘密として秘匿ひとくされていた。しかも軌道がれた時点でなかったものとされ、しかも当の打ち上げた企業が、最初の『うるう風邪』の余波で倒産のき目にあったものだから、その衛星の存在を知るものは皆無といってよい。

 しかし――衛星は死んではいなかった。

 内蔵された培養ユニットは、所期しょきの目的であった菌類の増殖には失敗したものの、別種のものの培養には成功しており、それは地球に最接近した段階で研究結果として、大気圏内に投下ユニットによって送り届けられていた。

 企業が存命であれば、投下ユニットの信号を受信し、特定の降下位置を指定できたはずなのだが、その指定がなかったので衛星はランダムにそれを投下する。

 その頻度は、衛星の地球への最接近周期である「四年に一度」である。

 加えて、その年の研究結果は違っていた。


 今までにない強力な性能を有する、真の意味の「災厄」が、今まさに投下されようとしていた。


( 終わり )

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災厄 阿井上夫 @Aiueo

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