アトモスフィア

赤城ハル

アトモスフィア

「ちょっとあんた、功労賞のこと西野さんに聞いてみてよ」


 同期の大野にせっつかれる。こいつ大声で、たぶんというか絶対今ので西野さんに筒抜けだ。いや、西野さんだけでなく周りにもだ。私には分かる。今、先輩方が出す音が静かになった。


「なんで私が?」

「あんた西野さんの後輩でしょ。同郷であって、高校、大学も同じなんだし。それに仲良いでしょ。聞いてよ」


 わざわざ私が苛立ちをこめつつも小さな声で聞いているのに、このバカ大野は声高で話しかけてくる。こいつわざと聞こえるように言ってるの? まじウザイ。

 それに同郷だの同じ出身校といっても五つも年が違うので当時に何らかの接点があったわけではない。


「ね、あんたも気になるでしょ? 功労賞のこと」


 功労賞、それはわが社にある四年に一度の特別賞与。四年間で会社に貢献した度合いで与えられる。つまり新人の私たちには無縁のもの。

 そしてその功労賞が与えられるのが今日で先程課長、係長クラスは常務に呼びだされ金一封を貰い戻ってきたばかりである。どれだけ貰ったのか大野は気になっているのだ。

 西野さんは二年前に26という若さで係長に昇進した人でみなから一目置かれている。それほどの人だから結構な金額を貰えるのではというのが私たち新人の見解である。


「小泉さん!」

「はい!」


 そんな大野とのやり取りの最中さなかで当の西野さんに名前を呼ばれた。私は彼女のデスクまで絶対聞かれていたよねという思いでおそるおそる向かう。後ろからは大野から「聞け、聞け」という無責任な言葉が投げ掛けられる。こいつまじウザい。


「なんでしょうか?」

「ここ、文章がメチャクチャよ。主語が何個あるの? それに……」


 西野さんが書類を捲りながら問題箇所を指摘しながら叱責する。


「す、すみません」


 ぺこぺこ頭を下げなから私は謝る。


「すぐに書き直して」

「はい!」


 私は書類を受け取り、踵を返そうとしたとき、


「雀の涙程度よ」

「え?」

「功労賞よ」


 もう行けと西野さんは顎を振る。




「あんたバカね」


 部署が違えど大学時代からの友人、猪瀬が今日の私と西野さんとのやり取りを聞いて答えた。


「どうしてよ?」


 今、私たちは自宅近くの立ち飲みバーにいる。私はジョッキをテーブルに置き、口元の泡を手の甲で拭って訊ねた。


「功労賞はね営業部のモチベを上げるために生まれたのよ。あんたら広報課がたんまり貰えるとでも?」

「それじゃあ花形の商品開発課も?」

「いや、うちは結構もらってるよ。今年は新商品がヒットしたからすごかったよ」

「なにそれ広報だけ損してるわけ?」

「それでもさ。こういうのって課長クラスが持っていくんだよね。係長のアイデアでもさ。だから広報は少なくてもきちんと分配されているんだからいいんじゃない?」




 翌日、雑誌から新商品の取材がきた。それを西野さんが取り次いだ。

 そしてその日の午後、取材の件で商品開発課の係長が乗り込んできた。西野さんに苦情というか文句を言って。いやあれは正直、言いがかりだったと思う。そしてそのせいで西野さんは仕事に遅延をきたし残業となった。その日は私も残業で、夜10時頃には広報課に私と西野さんの二人だけとなった。

 私が仕事を片付けた頃、丁度西野さんも終わらせたのか、


「どう? これから一杯?」

「いいですね」


 明日は休日だしオールでも問題ない。というか自分への御褒美が欲しかった。ここ最近先輩たちも仕事のせいか空気が重かった。そういうときって変に神経使うので疲労もいつもより増し増しで大変である。




 駅前の個室のある居酒屋に私たちは足を向けた。


「功労賞も入ったし、じゃんじゃん飲んで」

「でも雀の涙程度って」

「まあ、それでも好きなものをたらふく食べれる程は貰ったわ」


 西野さんは鯛の塩釜焼きを注文した。めでたいということから。鯛の塩釜焼きなんて知識としては知っていたがこの目で見るのは生まれて初めてであった。それを二人で食べた。二人で食べるには大きかった。途中味に飽きてきたので切り干し大根や、小芋の煮っ転がしを追加注文。


「にしても今日の商品開発課はひどかったですね」

「ま、彼にも思うとこはあったんでしょ」

「というと?」

「あの新商品の初期案は彼が考えたのよ。それを課長に取られて、それで取材も取られたらねえ……」

「それじゃあ功労賞も商品開発課の課長が持っていったんですかね」

「でしょうね」




「今日は御馳走様でした。それじゃあ私はこっちですので」

「歩いて帰るの?」

「終電もうありませんし。ま、一駅分ですので」

「タクシー代だそうか? 一駅分くらいなら」

「いえいえ、結構ですよ」

「そう。なら気をつけてね」

「お疲れ様です」

「お疲れ様」


 居酒屋を出てすぐ私たちは別れた。




 前にもマンションまで歩いて帰ったので迷うことはなかった。帰路のほとんどが線路に沿った道を歩くだけ。外灯もあるし、私以外にも歩いてる人がいるので怖くはない。

 隣は車道で何台もの車が私を過ぎ去っていく。車から眩しいライトが放たれる。その光は私の体を照らすとすぐに過ぎ去り、また別の車が私を照らす。

 何度も照らされながら歩道を歩く私は車の中からはどう見えているのかなんて考える。

 私はT字路を曲り、坂道を進む。坂を上ったところでスマホから着信音が鳴った。画面を見ると西野さんからである。


「もしもし」

「あ、もう自宅に着いた?」

「いえ、あともう少しです」

「そう。なら着いたら電話して」

「わかりました」


 どういうことだろうか? 心配だから掛けてきたとか?

 マンションのロビー内の郵便受けを確かめるとダイレクトメールとチラシが入っていた。それを掴んでロビーを越え、階段をのぼる。

 ドアを開け、鍵をかけ、ヒールを脱ぐ。

 リビングでダイレクトメールとチラシを捨て、鞄からスマホを取りだし西野さんに電話を。


「夜分に遅くすみません。只今戻って参りました」

「気にしないで。こっちが悪いんだもの。それでなんだけど、さっき商品開発課の係長からテレビ局の取材があるってきたのよ。しかも功労賞についての」

「なんで商品開発課から? こっちからお知らせすることはあっても向こうから来るなんて」

「番組が前と同じだから。たぶん常務の大学時代の後輩ね。きっと酒の席で四年に一度の功労賞の話をしたんでしょ。そこで引き受けて商品開発課の課長に、そして係長に回ってきて今私に」

「それで私に何を?」

「どうやら色んな人にインタビューするから私にも来るかもしれないからもし来たら今日のこととか話すけどいいかな?」

「はい。大丈夫です」

「よかった。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」




 一週間後、テレビ局からの取材がきた。

 残念ながら西野さんにインタビューはこなかった。私たちはその日、いつも通りにもくもくと仕事をこなすだけであった。


「取材なんでこないんだろうね?」


 大野が私に向け声高にしゃべる。席は隣なのになんでこいつはいつも声がでかいんだよ。


「知らないわよ」


 私は辟易しながらも答えた。


「やっぱ額が少ないからかな?」

「だから知らないっつうの」


 突き放すように言って私は仕事を終らせ、席を立った。


「お先に」




 立ち飲みバーで猪瀬に取材の件を尋ねると、


「それはうちの係長の仕返しね」

「雑誌の仕返し? 器が小さいわね」

「身内贔屓ってわけではないけど係長めっちゃ頑張ってたんだよね。課長は売れねえとか後ろ向きだったんだよ。それが売れたら自分の手柄で四年に一度の功労賞も持っていかれて、雑誌の取材も取られたんだもん」

「でも取材に応えるのが広報の仕事なんだし。そりゃあ開発者に話を伺うこともあるけどさ」

「逆に良かったんじゃない? 功労賞のインタビュー受けたら返答できたの? 雀の涙だったんでしょ?」

「それでもさあ……」

「仕方ないのよ」


 猪瀬はそう言って一気に残りのビールを飲み干す。そしてもう一杯注文する。


「ペース早くない?」

「こっちもねえ、功労賞の件でピリピリしんのよ」

「なんで四年に一度なんだろうね。一年に一回でいいのに」

「そりゃああんた、係長以上の役職しか貰えなかったら皆やる気なくすでしょ」


 確かに言われてみると一年に一回、ひら社員は貰えないボーナスなんてあったらぶちギレそうだ。


「四年に一回というと誰も文句を言わないでしょ。四年もあればもしかしたら自分が出世して貰えるかもって期待ちゃうじゃん」

「出世できるかな?」

「西野さんだってー、若くして係長に出世したんだから。絶対無理ってえ、わけではないでしょー」


 猪瀬はもう顔が真っ赤。呂律も回ってない。私はまだ全然だけど今日はここでお開きにしよう。


「帰るよ」

「いやー、まだのむー」


 腕を引っ張ると猪瀬は力をこめテーブルから離れようとしない。


「あとはうちで飲もう」

「わきゃったー」


 こいつがここまで酔うなんて珍しい。よっぽどストレスが溜まってたんだな。




 自室で猪瀬をソファーの上に寝転がし毛布を掛けてやる。

 そこで西野さんから電話がきた。


「もしもし」

「ああ、小泉さんお疲れ様。今日はごめんなさいね。結局インタビューなくて」

「構いませんよ」

「そう? 大野にいたってはカメラ意識していつもよりメイク決めていたじゃない」


 そういえばあいつ、いつもより気合が入ってたな。


「どうせインタビューもカメラも西野さんに向けられるでしょ。私なんて関係ですよ」

「そうかしら? 私があなたに話を振るかもよ。同郷のよしみとして」

「やめてくださいよ」

「で、冗談は置いといてなんだけど」


 あ、冗談なんだ。なんか少しショック。


「ここ最近、功労賞のせいで職場の雰囲気おかしかったでしょ?」

「別にそこまでおかしくありませんでしたよ」


 いくら貰ったのか気になったぐらいだし。


「ほら私、まわりの先輩より先に出世したでしょ。ここ最近はましになってたけど、功労賞せいでまたギスギスしてたでしょ」


 ああ、そうか。おかしかったのはそわそわでなくギスギスだったのか。そして先輩たちの醸し出す空気が重いのは仕事でなく功労賞だったのか。



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