三月一日のベルルッカ

卯月

七夕より凄い友だち

 私の国には七夕といって、一年に一度、一晩だけ逢える夫婦の伝説がある。

 という話を以前したら、ベルルッカは緑色の瞳をくりくりさせて、声を立てて笑った。

「ってことは、ミツコにとってあたしは、そのタナバタより凄いってことだよね!」

 ……まぁ、私たちは夫婦でも、恋人でもないのだけれど。織姫と彦星よりも、会う間隔が長いことには間違いない。



 初めてベルルッカが、私の部屋の姿見からゴロンと出てきたのは、私が小三のときだ。失敗したでんぐり返しみたいに、背中と足を床にビタンッとぶつけて、「いたっ」と悲鳴を上げた。

 私はパジャマ姿で、今にも部屋の電気を消して寝ようとしていたところ。意味がわからなくて、目をぱちくりする。

「いやーゴメンゴメン。ちょっと失敗しちゃって。お邪魔しましたー」

 苦笑いしながら起き上がった、トマトみたいに真っ赤な髪のお姉さんは、何気ない動作で鏡の中に戻っていった。

「……え?」

 手を伸ばして触れても、鏡面はいつもどおりに硬く冷たくて、とても人が出入りできるようには思えない。

(――夢だ。寝よう)

 そのまま電気を消して、寝た。



 時は流れて、中一。

 夜、机に向かって宿題をしていたとき、ビタンッという音と「いたっ」という声が聞こえた。

 振り向くと、姿見の前の床に、赤毛の女の子が転がっている。

「おっかしいなぁ、また……?」

 つぶやきながら部屋の中を見回した女の子は、私と目が合って、しばらく固まった。


 ベルルッカと名乗る、私と同い年くらいのその女の子は、自宅から友だちの家へ遊びに行くつもりだったという。彼女の世界では、『鏡』に飛び込んで移動するのは、ごく普通のことなのだそうだ。

「お互いに設定してない家に繋がるなんて、フツーないはずなんだけど……ウチの『鏡』、ここんとこ調子が悪くて」

「いや、まあ、うん」

 どう見ても外国人みたいなこの子と、どうして普通に会話できてるんだろ。とか考えないでもないが、鏡から人が出てきた時点で、もう他に何が起きてもおかしくない気がする。

「家に帰ったら修理して、二度とこんなことないようにするから。ゴメンね、ホント」

 そう謝って帰っていった彼女が、次に鏡から転がり出てきたのは、高二のとき。

 三度目で気づいたけれど、そういえば毎回、二月二十九日だった。



 それからもベルルッカは、私が引っ越そうが結婚しようが子供が生まれようが、二月二十九日が来るたびに、同じ姿見から転がり出てくる。『鏡』の修理は、上手くいかなかったらしい。

 普通に出られないのか尋ねたことがあるが、ベルルッカの世界と私の世界の繋がり方がおかしいらしく、どうしても背中から落ちてきてしまうとの由。

 だから今日も、もうそろそろだろう。私は腰をかばいつつ、「どっこいしょ」と姿見の前に布団を敷く。

 そして、飲み物や菓子を用意して、久し振りに会う友だちを待つ。

 ――ぼすっ、という音がして、真っ赤な髪のベルルッカが布団の上に降ってきた。

「……いやー、毎年悪いね、ミツコ。元気してた?」

 すっかり大人の女性になったけれど、照れ隠しのように笑う表情は、初めて会ったころとあまり変わらない。

「大病はしてないけど、体の節々が痛いよ。もう年だねぇ」

 対する私はすっかり、白髪まじりのおばさんだ。


 私にとっては、四年に一度。

 けれどもベルルッカにとっては、

 小三のときには年上に見えた彼女をあっという間に通り越して、私とベルルッカの年齢差はどんどん開いていく。

 それでも。

「実は去年、長男が結婚してね」

「そうなんだ、おめでとう!」

 会えば、近況報告から始まって、他愛もない話に一晩中花を咲かす。

 私にとってベルルッカは、七夕よりも凄い、四年に一度の友だちだ。


〈了〉

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