二人ぼっちのクロノスタシス

空戯K

二人ぼっちのクロノスタシス


 ――2月29日。


 それは世界から音が消える、静かな日。

 それは世界がピタリと停止する、不思議な日。


 そしてそれは――――四年に一度だけ訪れる、特別な日。


 僕と君が出会える、二人だけの祝福の日。



 ◇  ◇  ◇



「手を上げろー! 銀行強盗だー!」

「ごうとうだー!」


 それに気付いたのは、僕の年齢が二桁になった最初の年だった。

 僕はおもちゃの銃を両手で構えて、近場にある地元の銀行に突入した。

 いや、正確には“僕たち”だ。

 僕は、隣に立っておもちゃのナイフを構えている、一人の少女に顔を向けて大きく口を開いた。


「よし、入口はせいあつ完了だね! ウルちゃん!」

「うん! 次は、きんこしつをしゅうげきするんだよね!」


 その少女――ウルちゃんは、楽しそうに頬を緩めた。


 目を合わせた僕たちは無言で頷き合うと、銃とナイフを持って銀行の窓口まで移動する。


 その道中に、僕たちを止める人は誰も居なかった。


 銀行のソファで順番待ちをしているおばあさんも、入口に恐い顔で立っている警備員さんも、窓口で優しそうな笑顔を浮かべているお姉さんも、ここには誰一人として居なかった。


 だから僕たちは、今こんなことをしている。

 普通なら絶対に出来ない、リアル銀行強盗ごっこだ。

 しばらく経ってからこの銀行を完全に支配した僕たちは、達成感にあふれる気持ちでいっぱいだった。


 自動ドアが開いて、外に出る。

 目の前には、夕焼けに染まる大きな車道があった。

 いつもならひっきりなしに車が走っているこの車道も、今は嘘みたいにシーンとしていた。

 車どころか、僕たち以外に人っ子一人見当たらない。


 でも、怖くはなかった。

 だって隣に、ウルちゃんが居たから。

 今日初めて会った女の子だけど、僕たちはすぐに仲良くなれた。

 本当に不思議だな。


「もう夕方だね。寂しいけど、私もう帰らなくちゃ」

「そっか……じゃあ僕も帰るよ。でも、また絶対に会おうね!」

「うん! ……でも、どこで待ち合わせすればいいかなぁ?」

「それなら、ここにしようよ! 僕たちが最初にせいあつした、この銀行の前!」


 僕の提案に、ウルちゃんはパッと表情を明るくして。


「わかった! 次会うときはこの銀行の前! 忘れないでね!」

「忘れないよ! 楽しみにしてるから!」


 それからお互いに見えなくなるまで手を振りながら別れの言葉を言い合って、僕も家に帰った。



 ◇  ◇  ◇



 十四才になって、俺は人生で二度目のこの日を迎えた。

 家中の時計を見ても、その全てが十二時ジャストで止まり、動かない。

 俺も中学生になったので、さすがにこの異常性は十分に理解していた。


 しかし俺は、高まる鼓動に急かされるように小さなバックとマフラーを無造作に手に取り、玄関の扉を開く。

 外は静かだった。それこそ、異様なまでに。

 数瞬立ち尽くした俺はハッと我に返ると、庭に停めてある自転車を引っ張り出し、ペダルを踏み込む。


 目的地は勿論、地元の銀行だ。


 冬の冷たい風を顔に浴びながら、彼女――ウルと最後に別れた場所へ向かう。

 四年前から、ずっとこの日を心待ちにしていたのだ。


 ウルと出会った翌日には、何事も無かったように日常が戻っていた。

 そんな中俺は、ウルに会いたい一心で銀行へと向かった。

 一時間、二時間と待ち続けたが、ウルは来なかった。

 一週間経っても、一ヶ月経っても、依然としてウルの姿は見られなかった。

 

 そこまで来て、馬鹿な俺はようやく気付いた。

 きっとウルとは、この特別な日にしか会えないんだ。


 閑散とした車道や古びた踏切を自転車で突っ切り、家からの最短経路で銀行へと向かう。

 事故の心配は一切しなくて良い、今日だけ許された荒業だ。


 やがて銀行が見えてくる。と、その前に一人の少女が所在なさげに立っているのも見えた。

 俺は一層両足に力を込め、自転車を唸らす。

 そして少女の目の前で思いっきりブレーキをかけ、停車した。


 少女は驚いたように目を見開いて、


「わっ、びっくりした! おどかさないでよ、もう!」

「……はは。ごめん、ウル」


 発せられた批難の言葉を、俺は素直に受け入れる。


 しかしウルはすぐに、笑みを浮かべて。


「久しぶりだね。実に四年ぶりだ」

「そうだな、四年ぶりだ。この四年間、今日を待ち続けたぞ全く」

「前に別れる時に言いそびれちゃったんだよねー……ホントにごめんちゃい!」

「せめてもう少し反省の色を見せろよ」


 そんなやり取りを終えて、何だか無性におかしくなった俺達は二人で笑いあった。

 ウルはウルのままだった。

 ウルは俺を忘れてなかった。

 俺の心の何処かにあったもやは、いつの間にか消失していた。



 楽しい時間が過ぎるのは速いもので、もう満月が顔を出すような時間だ。

 朝っぱらからゲーセンやカラオケなどで遊び尽くした俺達は、誰もいない公園のベンチに二人並んで座っていた。


「あー、今日は楽しかったなぁ……」


 ウルが感慨深く言う。

 一方で俺は、高鳴る心臓を抑え込むのに必死だった。


 意を決して、口を開く。


「……なあ、ウル」

「ん? なあに?」

「…………いや、やっぱ何でもない」

「えー、何それ。気になるんですけど」


 肘で俺の二の腕辺りをぐりぐりとしてくる。

 俺は激しい葛藤の末、大きく息を吸い込んで。


「四年後、俺とウルがお互い十八才になった時……言うよ」


 ……本当に情け無いな、俺は。


 俺の言葉に、ウルは何か言いたげな表情で、ふーん、とだけ答える。

 暫く互いに無言が続いた後、ウルが小さく声を発した。


「……それなら、次もまた会わないとね。待ち合わせ場所を決めようよ」

「ああ。次はウルが決めていいぞ」

「ホント? ……なら、次は――――」


 ウルはゆっくりと、満天の星空を指差して――



 ◇  ◇  ◇



 ジリリリリとけたたましい轟音が頭上から鳴り響き、意識を強制的に起こされる。

 荒々しく目覚まし時計を叩き、ようやく場に静けさが戻った。

 このまま二度寝といきたい所を我慢して、俺はベッドから飛び起き、階段を下りる。


 何たって今日は、あの特別な日2月29日なのだ。

 たった一日しか無いのだから、もたもたしてはいられない。


 リビングの扉を開くと、そこには、


「……あら、今日はやけに早いわね? まだご飯出来てないわよ?」

「……は? 母さん……? な、何で……」


 母さんがいた。

 誰もいないはずの『今日』なのに、俺とウル以外の人間が、目の前にいた。


 俺は母さんに詰め寄り、問い質す。


「母さん! 今日何日!?」

「はあ? 今日は3月1日よ。てかアンタ、今日卒業式でしょうに」


 俺は絶句する。

 2月29日は、来なかった。

 あれから四年後の、十八才になった俺の元に、あの特別な日は訪れなかった。

 退屈な日常が、当たり前のように世界に充満していた。



 卒業式はつつが無く終了した。

 俺のブレザーの胸部には祝福の造花が挿されている。

 学校の友達と別れの挨拶を済ませた俺は、一人の友人と並んで帰路へとついていた。

 すると不意に、隣を歩く友人が思い出したように声を上げる。


「そう言えばお前、あの子と会ったの?」

「あの子って? 誰のことだよ」

「あの子だよ、あの子。何て名前だったかな。二組の……確か、ウラだかウロだか……何か変な名前の子」


 その言葉に、身体が止まる。


「――――ウル」

「ああっ、そうそうそれ。ウルだ。そのウルって子、一時間くらい前にお前のこと探してたらしいけど……あれ、会ってねーの?」

「――――ッ!」

「あっ、おい!」


 気付けば俺は、カバンを放り投げて駆け出していた。

 来た道を逆戻りし、学校へと向かう。

 まさかと思う期待感と形容し難い焦燥感が爆発的な推進力となって、俺は走り続けた。

 冬の冷たさも、今だけは何も感じなかった。



 三年の教室を全て確認したが、そこには誰もいなかった。

 それ以前に、校内に入ってから誰とも出会っていない。

 この学校の無人さに酷い既視感を覚えながらも、俺は頭を冷やすため、壁にもたれながら深く息を吐いた。


 ……違う。闇雲に探してもダメだ。

 待ち合わせ場所は四年前に決めたじゃないか。

 俺は過去の記憶に意識を巡らせる。


 確かあの時、ウルが言ったのは――――


『――あの月に手が届くくらい、どこか高い場所にしようよ!』


 そうだ、高い場所。

 学校で一番高い場所は。


「…………屋上ッ!」


 俺は、急いで階段を駆け上がった。



 錆び付いた扉を押し開け、屋上に足を踏み入れる。


 そこには――一人の先客がいた。

 後ろ姿しか見えないその人物に向かって、俺は小さく声をかける。


「四年ぶりだな、ウル」


 その声によって俺の存在に気付いた彼女は、ふわりと髪を靡かせてゆっくりとこちらを振り返る。


「……やーっと来た。全く、来るのが遅いよ」


 俺と同じ造花を胸に挿し、同じ高校の制服を身に付けるウルが、静かに笑う。


 本当に、いた。

 激しい運動で渇く喉を唾液で潤し、ウルの元へ歩みを進める。


「気付いてたのか? 俺がいること……」

「この学校に入学した時からね。キミは全然気付いてなかったみたいだけど」

「だ、だって、ウルとはあの日だけしか会えないと思ってたし、何つーか見た目も四年前と違うし……」

「それにしても他人に興味無さすぎでしょー。ま、この三年間一回も同じクラスになれなかったってのもあるかもしれないけどさ」


 拗ねたように口を尖らせるウル。

 俺は薄く笑いながら問いかける。


「今だって、俺がここに来るかは分からなかっただろ。もし来なかったら、どうするつもりだったんだよ」

「そうだなー、その時は……」


 ウルは指で作った銃を俺に向けて、


「その時は、銀行強盗にでもなってたかな? バーン!」


 銃口から発射された透明の弾丸が、俺の心臓を穿うがつ。


 俺は瞑目めいもくしながら、ウルの眼前にまで近付いて。


「なあ、四年前に言えなかったことを言ってもいいか?」

「……? はい、どうぞ」


 ゆっくりと目蓋を開き、ウルの目を見詰めて、



「――――好きだ」



 四年越しに、俺の心中を伝えた。


 ウルは暫し呆然とした後、今までで一番の笑顔を浮かべて、


「……言うのが遅いんだよ、バーカ!」


 突如、俺の視界がウルで埋め尽くされる。


 

 街の喧騒を置き去りにするような静かな屋上には、重なりあう二つの影が映し出されていた。


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