其の花の管理人は
yurihana
幸せをもたらす花
四年に一度、咲く花がある。
その花、蕾は赤く、茎は黒い。花弁は純白で、この上ない美しさ。
それを管理している、一人の男がいた。
年は三十。髪はボサッとして、瞼は重く、服装もだらしない。
通常であれば、皆から敬遠されるような存在だが、この男に限っては、黙っても人が寄ってくる。
この男、幸運を引き寄せるのだ。
果てしない幸運の持ち主。
しかし実際は、全て花のお陰である。
一緒にいれば、幸せになれる。
男はたくさんの人に求婚された。
だが彼はそれを全て断っている。
多くの人が、幸運を引き寄せるその花を崇める一方で、男だけはその花を憎んでいた。
男は、ある由緒正しき神社の家系、その末裔だった。
この神社は約一千年前から、その花の管理を請け負っている。
花を育てている間、一族の繁栄は保証され、近くにいるものも幸せになれる。
花の管理は、一千年前から神社の子孫の義務であった。
この花は水を必要としない。
養分も日光をいらない。
此れはヒトの血肉のみを食す。
なぜ男の一族が管理に選ばれたのか。
その一族の血肉が旨かったから。それだけだ。
偶然その花に触った神主が、花と取引した。
それ以来、幸せをもらう代わりに、親族を差し出さなくてはいけなくなった。
十五年に一度、人肉を喰う花。
男の父や母は、養分となって死んだ。
『いいかい、花を枯らせてはいけない。
古くからの犠牲が無駄になってしまうからね。今我々がこの地位があるのは、花のお陰。子孫にひもじい思いはさせたくないだろう?』
父から言われた言葉を思い出す。男は歯ぎしりした。
今はもうない薬指を見つめ、舌打ちをする。
今自分が生きているのは、その味を、花に気に入られたからだ。
『コノオトコハウマイ。
カンリニントナリ、サイゴマデノコッテオケ。
オイシイモノハサイゴニタベル』
男の指を食べたとき、花は割れた声で告げた。
男は鳥居付近を乱雑に掃除した。
「おにいちゃーん!」
妹が駆け寄る。
「聞いて!今日ね、会社の内定が決まったの!
ほら、これ見て!」
妹は嬉しそうに内定について書いてある紙を見せる。
「ああ、すごいな」
男が誉めると、妹は嬉しそうに笑う。
ポニーテールがサラリと揺れる。
男は素直に喜べなかった。
父が死んでから、もうすぐで十五年経つ。
2020年夏、つまり明日は妹の番だ。
まだ若いというのに。
内定をとっても、妹に、その未来は来ない。
「あー!お兄ちゃんまた暗い顔してる!」
妹が下から覗き込む。
「そ、そんなことないよ」
慌てて笑顔を作る。が、妹は頬を膨らませた。
「もしかして、私が
平気だって言ってるじゃーん!」
ニッと妹は笑う。
「お父さんもお母さんも、みんな通った道でしょ?
運命ってもんじゃん?
大丈夫!明日、逃げ出したりしないよ!」
妹はそう言うと、階段を下りて町へ行ってしまった。
違うよ。俺はお前が逃げるなんて思ってない。
いっそ逃げて欲しいくらいだ……!
溢れんばかりのやるせなさに、男は思いっきり叫んだ。だがその喉は、空気を吐き出すだけだった。
男は、地下にいる花の元へ向かった。
泣き腫らした目に敵意を込めて、花を見る。
「なあ、もし明日妹を差し出さなかったらどうなる?」
花の雄しべがニューッと外へ伸びた。
グニグニと形を変え、口へと変化する。
「ソウシタラオマエラニコウウンヲアゲナイダケダ。ワタシハカレテモスコシタテバモトニモドル」
「お、俺は幸運なんていらない!俺は……」
「イイノカ?
オマエノリョウシンノイノチヲムダニシテ?
ナンノタメニシンダトオモッテル?」
男はハッと息を呑む。悔しくて、歯を食い縛った。
「チチニイワレタコトヲオモイダセ」
男はトボトボと階段を上った。
『花を枯らせてはいけない』。
父の言葉が頭をよぎる。
「分かってる。分かってるんだよ……!」
男は顔を歪ませた。
「……うぅ……っ」
泣き声が聞こえてきた。妹の声だ。
いけないとは思いつつ、妹の部屋の前に立つ。
「……死にたくない……死にたくないよぉ……」
はっきりと、妹の声が耳に届く。
男は自分の部屋に戻った。
幼い頃の妹と自分の写真を手に取る。
「そうだよなぁ……死にたく……ないよな……」
写真を胸に抱き、男は涙を流す。
「紗由理……」
ずっと、呼ばないようにしていた、妹の名前。
名前を呼べば、手放し難くなるから。
死んでしまったときに、耐えられなくなるから……。
「紗由理……紗由理……」
呼ばずにいられなかった。
もう、たった一人の家族なのだ。
「くそぉ……」
男は頭を抱える。
その時、ふと母の声が頭に響いた。
『自分を信じなさい』
母が贄となる前日に、男へ言った言葉だった。
『どうか……紗由理と……生きて……!』
花に喰われる直前でさえも、息子と娘を想った母。
その、命の言葉。
どうして忘れていたんだろう。
辛かったんだ。思い出すと、涙が止まらないから。
「……ああ、そうだよな」
誰へともなく、男は呟く。
次の日、紗由理は真っ白の着物に着替え、地下に入った。
緊張して唾を何度も飲み込み、呼吸が浅い。
「なあ、紗由理。お前は俺が人でなしになっても、家族と思ってくれるか?」
紗由理はキョトンとしてから、ニッと笑った。
「当たり前じゃん!」
その言葉を聞けて良かった。
男は微笑み、紗由理をのけて、前へ出る。
花は茎をかしげた。
「どうしてそんなこと聞く……」
紗由理の声を遮って、男は。
持っていたナイフを花の中央に突き刺した。
ぎゃあああああああああああ!!
地下室に絶叫がこだまする。
「オマエ……ナニシテルカワカッテルノカ!
チチトハハノイノチヲ、ムダニシタンダゾ!」
「そうだ!それがどうした!」
男はもう何も恐れなかった。
「俺は親の命も、先祖の命も無駄にした!
だが、それは些細なことだ!
俺は……俺は紗由理の命が守れればそれでいい!」
花は震えた。初めての感触だった。
「俺は今生きている命を守ると決めた!
消えた命は戻らない!戻れない!
だから!」
花は、強い意思を持ち、覚悟を決めた人間が、こんなに恐ろしいことを知らなかった。
人間なんて甘言を囁けば、言うことを聞く。
そう思って何百年と生きてきた。
花弁の中央に突き刺さったナイフが抜かれ、また刺された。
花は透明な液体を出し、一度大きく震えた後、死んだ。
花弁がハラハラと落ち、茎は萎れた。
男がナイフを手離す。床に落ちて、金属の音が響き渡った。
男は呆然と声を出す。
「紗由理……ごめん……」
「なんで謝るのよ……」
紗由理の目から、涙がとめどめなく落ちた。
「なんで謝るのよ!お兄ちゃん!」
紗由理は兄に抱きついた。
「ありがと……ありがとう……」
紗由理の手は、まだ細かく震えていた。
◆ ◆ ◆
「じゃあ、会社行ってきます!」
「いってらっしゃい」
朝、男は紗由理に手を振る。
朝日が紗由理の顔を眩しく照らした。
微笑まして、自然と男の顔は笑顔になった。
「さてと、境内の掃除でもするかな」
男は今、人生で一番幸せだった。
其の花の管理人は yurihana @maronsuteki123
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