第10話 エピローグ

 よし、とルークが手を打った。

 いまだ涙が止まらないサラを前に、


「となれば、まずは家族に挨拶か。――さっそく報告に行こう」


 と、大問題を口にしたのだ。


「家族!?」


 サラは思わず素っ頓狂な声を上げる。

 あまりの驚きに一瞬息すら止まった。


 サラの血族はすでに縁切りを済ませている、となれば、家族とは家族の事だろうか。


「お、お母さまやお父さまにお会いしろと!? この姿で!? いまさらなにを言えばいいの!」


 悲鳴のように叫んで、思わず脱兎のごとく逃げ出そうとしたが、当然簡単に捕まった。

 体がサラでも、中身が中身なら能力を使いこなせない良い例である。


「そう不安そうな顔をするな。お前がイヤなら別に名乗らなくったっていい」


 そもそも姿形が違うのだから、言わなければわからない。

 なら、ただの自分の嫁として、顔を合わせたっていいのだから。


 そう説得されて、サラはルークに手を取られ渋々歩き出した。


 歩き出してしまえば、今度は足を止めることの方が難しくなる。


 懐かしい道。

 何度も歩いた、家までの道のり。


 家を飛び出してから、帰ってくるのに費やした長い時間を思えば。

 きょろきょろと見回して、見知ったものを目にするたびに涙が落ちた。

 でも、変わっているものを見ても、涙する。


 世間体的には「男に手を引かれながら、泣く女」という絵図は、ルークとしては大変気まずいのだが、ぐずぐずとしゃくり上げるサラはルークの庇護欲をこれでもかと刺激するので、仕方なしに晒し者になってやることにした。


「こりゃ、家に着くまでに干からびそうだな」


 ルークは軽々しく笑うけど、サラは胸が詰まって声が出ないから、「うぅうぅ」と唸りながら抗議にルークの手をぎゅうっと握り返す。


 もちろんルークは、痛くも痒くもなかった。

 ただ、愛しさが溢れるだけだ。


 問題はサラの極上の外見以上に、纏う空気がいやに柔らかいこと。

 彼女は昔からそう。

 淡い優しさが雰囲気に滲んで、それが人を寄せ付ける要因なのだとルークは知っていた。


 だがしかし、とルークは心の中で文句を続ける。

 かつてはそれなりにセーブができていたはずなのに、帰ってきた彼女は防衛本能をどこかに忘れてきたのか、あまりにも無防備過ぎやしないだろうか。


 サラが聞けば素直に「あなたのせいだ」と答えただろうが、あいにくとサラは自分の感情に飲まれて周りが見えず、一人危機感を募らせる彼に自業自得だと教えるものはいなかった。


 そうして新米の恋人たちが、周りに好奇の目を向けられながら辿り着いた場所。


 古い建物、色褪せたペンキ。

 風にはためく洗濯物の柔らかな匂いと、家の中から聞こえる人の気配。


 ――愛しい、我が家。


 サラは扉の前ですでに顔を両手で覆っていた。


「……俺のプロポーズの時より号泣泣いてるじゃないか」


 なんだか癪に障るぞ。

 不満げな呟きに反して、くしゃりと手が優しく頭を撫でていくから、涙はもっと止まらない。

 もう確信犯だとしか思えなかった。


 そんなサラの心の準備なんて気にも留めず、


「母さん、父さん、ただいま」


 いつも通り。

 ノックもなしにルークが扉を開ければ、すぐさま元気な声が響いて返る。


「帰ってくるなら帰ってくるって先に言いなと何度言えばわかるんだ! このバカ息子!」


 サラは、もう、――息すらできなくなった。

 ひっくひっくと喉がつかえて、涙で前が見えない。


 顔を見たいから必死に涙を拭うのに、後から後からあふれて止まらない。

 隣のルークが、優しいため息を漏らした。


 いつの間にか、母の声がない。

 一体どうしたのかと瞳に溜まる水滴を懸命に瞬きで飛ばせば、まじまじとサラを見つめる母と目が合う。


 合ったとたんに、弾かれたように母が飛び上がった。


「…………あんた! あんた!」


 母が家の奥に叫ぶ。

 呆気にとられたサラの耳に、飛び込んでくる、声は、


「あたしたちの娘が帰ってきたよ! 出ていったきり何年も帰ってこない、家出娘のご帰還さ!」

「な、なんだってー!!!」


 ガタンガタンと何かを蹴飛ばした音がした。


 続いて「いってー!」なんて叫びが聞こえてくるから、サラは目を丸くする。


「まったく、どうしてウチの子どもたちは誰もかれも黙って突然帰ってくるんだい! ほら、さっさと自分の席に座りな! 大したものは出せないよ、なにも言わないあんたが悪いんだからね。言ってくれれば、ちゃんと、あんたの好きな物を、たくさん、――な、並べ、……られたのに、」


 母の震える声を初めて聞いた。


 それは簡単にサラを呼び戻す。

 もっと幼くて、とても穏やかで、一番幸せだった頃。

 とても愛されていた、記憶。


 その頃、サラはだれかの、子どもだった。


 サラは呼んだ。


「お母さま! お父さま!」


 母が手を広げるから。

 迷いなく、サラは飛び込んだ。


 抱きついて、わんわんと泣いた。

 淑女や大人なんて言葉はどこかにかなぐり捨てて、子どものように母の胸に抱きしめられて、大声で泣いた。


 母も泣いていた。

 よかったと、無事を喜び、泣いていた。


 父がそれを見ながら、やっぱり泣いていた。


「おかえり」


 家族がそう、サラに告げた。


 辛く、悲しく、そしてそれだけではなかった思い出が、全部、全部、包み込まれたような気がした。


 帰りたかった場所だ。

 血に塗れても、泥を這ってでも、帰りたいと願った場所。

 ここが、サラの居場所だった。



 おかえり。



 それが彼女の、旅の、終わりの言葉。




 たった一つの、答えを返す。


「ただいま」








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おしまい。


最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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