秋のゾンビ小説、その二

「かべうち」


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 世間はなにもかもが自己責任だと言うけれど、ゾンビが徘徊する街に放り出されることも自己責任だろうか。



 不幸なことがあったとすれば、つい数週間前に街中の人間が次々とゾンビ化していった事だろうか。



 吉田すばるは数少ないゾンビ化を免れた一人だった。高校の陸上部で長距離を走っていたおかげで、迫り来るゾンビから逃げることも容易だ。

 とはいえ、ゾンビの中でたった一人、部活ジャージに身を包み、逃げた先にアテなど無い。つまりはその日暮らし、だったのだが。



 幸運なことがあったとすれば、駅で同じクラスの富士宮と遭遇したことだろうか。もちろん、ゾンビ化している。

人間誰でも馬の合わない人物というのがいるものだが、吉田すばるにとってのそれが富士宮だった。



 富士宮といえば父が大手コンビニチェーンの役員という筋金入りのお嬢様。吉田は特に他人を妬んだり憎んだりするよなタイプではないのだが、富士宮にだけは嫌悪感を持っている。

 生前と言うべきか、かつて二人が交わした会話はほとんどない。だが、そのわずかな会話も吉田にとってはいい記憶ではなかった。


 富士宮という人物はブランド物や高級アクセサリーを自慢げに見せびらかし、いつも高飛車な態度のイヤミなヤツ、それが吉田から見た印象だった。

 一方で富士宮もまた、陸上競技の長距種目しか興味が無く自分のすごさを理解しない吉田を気に食わないようである。


 二人はどこまでも交わらない二本の直線なのだ。



 その富士宮がゾンビとして目の前にいる。吉田にとってこれほど面白い事があるだろうか。

 常に他人を見下していたような瞳は白く濁り、虚空を見つめていた。整った顔も精気は失く、長い脚でただ大地を漂っている。もはやお嬢様でも何者でもなく、ただの富士宮以下の存在となった彼女の、ブランド物や高級アクセサリーだけが今もむなしく輝いているばかりだ。


 吉田はその光景を見た時、恐怖や悲しみよりも、心の底から沸き上がってくる得体のしれない昂揚を感じたという。



 富士宮は吉田を視界の端にも捉えず、一体どこへ行こうというのか。高校の陸上部で長距離を走っている吉田なら、気配を消してゾンビを尾行するくらいは容易い。


 二人が行きついた先は大邸宅の門。表札には「富士宮」。人間だった頃の慣習なのか、富士宮は家と学校を意味もなく往復しているようだ。

 富士宮は門の前で立ち尽くしている。どうも自分では門も開けられないらしい。吉田が門を開けてやると富士宮は素直に門の中に入っていく。


「まるで猫かなんかだ」


 それが吉田にとってはなぜか愉快だった。

 次はドアの前で立ち止まる富士宮。


「そんなドアも開けれないの??フンツッゥ」


 高校の陸上部で長距離を走っている吉田の脚力なら、この程度のドアを蹴破るくらいワケはない。


「見たか、派手なだけの性悪女とは違うのだよ」


 富士宮の部屋はひどく殺風景な部屋だった。あるのは最低限の家具と学用品、衣類、わずかな装飾品。


「以外と部屋は派手じゃないんだ。あれは……」


 乱雑に机に投げだされた一冊のノートを見つけた。吉田は陸上パワーで富士宮を椅子にくくり付けてから、そのノートを手に取り少しめくってみた。

 表題は無く、ただの大学ノートに見えるそれは


「日記……なのかな……」


 だとしたらここには富士宮の本心がある、吉田は確信した。このネット社会の時代、自己顕示欲の塊のような富士宮が紙媒体に、それもこんな地味なノートに書き綴るだろうか。あるとすればこれは、人に見せるためのモノではない。つまりここにあるのが富士宮の本心。



 吉田にも罪悪感はある。自分には知る必要のない事だ。だが、それを手にとってしまったから。



四月八日

 ドンキーコングの敵キャラクターみたいな声を出す練習をしていた。すぐに夜になった。


四月九日

 納豆を洗ってから食べてみた。味がしない。


四月十日

 しじみとしじみを戦わせるしじみ最強バトル。今夜八時開催。


四月十一日

 なんで戦ってくれないのよ。なんで……



 富士宮の日記はずっとこんな調子で綴られている。ページをめくるたび、吉田の知らない富士宮が現れる。富士宮とは一体どんな人物だったのか、今となっては何もわからない。



 それから更に日記をめくっていくと吉田の名前が記されているではないか。



六月一日

 今日も朝から校門の上を走ってるあの人を見かけた。名前は吉田ゲバルっていうらしい。自衛隊所属の伊賀忍者だってハルカが言ってた。



 この頃まで吉田は同じクラスだと気づかれていなかった訳だ。あとハルカって奴は見つけ次第殺そうと思った吉田だった。


 次に吉田の名前が出たのはその数日後。



六月五日

 吉田さんはいつも一人で走っている。どこの会派にも属さない。もちろん私達の会派にも。きっと自分が最強だという事を理解しているからだ。私達の会派に入れば大きな戦力になるのに。


「富士宮は私をなんだと思っているのか」


 実際のところ、吉田は女子特有のグループで群れたりするのが嫌いだった。だからこそ、富士宮の様な常に取り巻きのいる人間を無意識に嫌っている所はあった。



六月八日

 山中河口連合会を千曲川の戦いで打ち破った。これで私達の会派がクラスの最大勢力。捕らえられた山中と河口はその場でインスタ映えした。


「随分激しい派閥争いしてるなぁ」


 あと定期的に小説みたいなのが連載されている。



六月九日

 おでん450話

 黒ヴィーガン衆と白ヴィーガン衆の決戦は一の谷で行われた。事の発端は黒ヴィーガン衆の棟梁、ヴィー山ガン蔵がミラノ風カツレツは野菜に分類されると宣言した事による。

一方で白ヴィーガン衆の総裁、藤枝得庵は全ヴィーガンにとっての理想郷であるヴィーガニアを巨大ブロッコリーの上に作る計画を断念した。

 そして、理沙は巨大ズワイガニに追い詰められていた。


「コイツはクスリでもやってたのかな」


六月十日

 吉田さんがよくわからない。なんだろうあの素っ気無い態度は。アホのハルカとか理沙ならアクセサリーの一つでも見せれば涎を垂らしながら鼻息を荒くして噛み付いてくるというのに。



「アンタらの友達付き合いの方がわからないよ、ねぇ」


 縛られたままの富士宮に問いかけた所で応えは返っては来ないのだが。



六月十一日

 吉田さんは何を見たら悔しがるんだろう。吉田さんのそのクールな顔を歪ませてみたい。



「歪んでんのはアンタの方でしょうが」



六月十ニ日

「KUROHUNE」


作詞 富士宮朝霧

作曲 モスラ



牛乳を飲み続けて



デカくなった男達の



乗る船は狭い



栄養は足りてるが



知能は足らない



男達が目指す踊り子の国



美しきその名は



カイ・コック第三帝国



開かれて行こぅぜ



ああ砲台を向けないで



コロッケとかあげるから



「…………」



六月十三日

 吉田さんをカラオケに誘ってみたのだけど、断られてしまった。せっかく吉田さんのために作詞までしたのに。吉田さんをKAIKOKUしなくては。


「私の為に作った曲だったのかよコレ。なんだよKAIKOKUって」


 改めてカラオケを断っておいて良かったと思った。



六月十四日

 「KUROHUNE」をパパに頼んでコンビニのCMソングにして貰おうとしたら断られた。


「良かった、パパはまともな人だった」


六月十五日

 パパが趣味でやってる不老不死研究所のイメージソングに「KUROHUNE」を使ってくれる事になった。あとCD化も考えてるらしい。


「オヤジィィィィ」


 吉田は思わず日記を富士宮に投げつけてしまった。


「とんでもないオヤジだな。それにしてもすごいヤバそうな研究してる」


六月十六日

 昼休み、吉田さんが校庭を走りながら弁当を食べていた。どれだけ走るのが好きなんだろう。



 吉田は特別走るのが好きという訳ではなかった。ただ友達がいなくて暇を持て余していたのでとりあえず走ったりしていた。いつからかそれが吉田の中で習慣化され、走っているのが自然な状態にまでなっただけだ。



六月二十日

 山中ちゃんの机の上に百円入れたら見れるタイプの望遠鏡を設置した。望遠鏡から覗く吉田さんの弁当は米とかまぼこしか入ってなかった。ダイエットしてるのかもしれない。そんなに太ってないのに。


「貧しいんだよ、こっちは。消費税も十パーセントになって村も滅んだ。金持ちのあなたとは違うんです」


 悲しいがこれが事実なのだ。



六月二十一日

 もしも吉田さんが配下になったとして、隣に並んだ時に私の方が太って見えたら困る。そうだ吉田さんを太らせよう、十勝の豚みたいに。


「おい」


六月二十三日

 明日は吉田さん増量弁当の企画を持ち込みに、パパのコンビニの弁当を作ってる工場に行ってみよう。


「なんなのその行動力は」


六月二十四日

 パパのコンビニの弁当を作ってる工場はヤバかった。パパのコンビニの弁当を作ってる工場の何がヤバいかって、敷地内にパパが趣味でやってる不老不死研究所があった。つまりパパは趣味で弁当を作ってるヤバい人だ。


「その認識は大いに間違ってるぞ。パパがヤバい人って事以外は」


六月二十五日

 最近パパの物忘れが酷くなったと思う。今日もズボンを履き忘れたまま会社に行ってしまった。


「えぇ」


六月二十六日

 パパが帰って来ない。出張の予定はないと言っていたのに。吉田さんフードの試作も出来たし、明日お弁当工場に行ってみよう。


「何、そのヤバそうなアレ」


六月二十七日

 パパ工場にいない。工場は死にそうな顔色のわるい人でいっぱいだった(吉田さんほどぶあいそうな顔ではない)。ブラック企業にちがいない。


「えっあっ」


六月二十八にち

 私なんか疲れた。さむい、寒けがする。カゼひいた。

パパはかえて来ないし吉田さんもつめたい。


「これって」

 

六がつ二じゅうきゅ日

 さむい、すむすぎ、マジ発寒中央。


「あっあっあっ」


 ここで吉田の頭の中では一つの仮説が確信に変わりつつあった。

 お弁当工場でなんらかのバイオハザードを起こした富士宮のパパ。全国に出荷されていくバイオハザードコンビニ弁当。そして、富士宮の身の回りで起きた異変。それらが一つに繋がっていく。



六がにじゅ にち

 警察でんわ。パパつかまた。へんたいなので


「オヤジィィィィ」


ろくがにじゅち

 みんなぞんびに、わたしもいとさむし。たすけてよしださン


「嘘だろ、ねぇ富士宮」


 吉田はとっくにゾンビになった富士宮の肩を揺すり、問いかける。応えなんて返って来ないって解っているのに。


「がががっ」


 と富士宮はただ獣の如くに唸るだけだ。


「なんでこうなるんだよ」


 行き場のない憤りをぶつけるかの様に、吉田は次のページへ進む。



七月一日


君 自 故 郷 来

(貴方は私の故郷から来られたので)


応 知 故 郷 事

(きっと故郷の事をご存じでしょう)


来 日 綺 窗 前

(故郷を発たれた日、美しく装飾された窓の前に)


寒 梅 著 花 未

(寒梅は花をつけていたのでしょうか、まだだったのでしょうか)


「だからなんでこうなるんだよ」


「なんでだよ」


「ねぇ」


「無視してんなよゾンビのクセによぉ。ぶっ殺

す」


 一人盛り上がった吉田は富士宮を投げ飛ばし、壁に叩きつけた。


「なんとか言えよ、一番インスタ映えする死に方で殺してやるって言ってんの」


 二、三回も富士宮を殴ると縛っていた椅子が壊れ、ゾンビが解き放たれる。


「来いよ、友達でもなんでもなってやるからさぁ」


 高校の陸上部で長距離を走ってる吉田にとって、襲い来るゾンビを一方的に殴り伏せるくらいは容易い事だ。



 吉田は何度も何度も殴った。


 何度でも起き上がってくる富士宮を殴った。


 拳から血が出るまで何度でも。


 西陽が殺風景な部屋を朱に染めるまで。


「これってもう友達でいいよね、私達」


 吉田は力尽きて横たわり、富士宮はじっと立って居る。


「殴っても殴ってもどうしようもないよね、これじゃ壁打ちだ。陸上部なのに壁打ちしちゃったよ、ねぇ」


 なんかおかしくなった吉田は思わず声を出して笑ってしまう。


 富士宮と目が合った気がしたのはその時だ。

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「かべうち」



コウベヤ


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