後日談5:草一君、アルバイトについて考える

 僕……月岡草一と水無月葵は、大学で放送研の活動を終えた帰り、喫茶店に立ち寄った。

 始めて来たけれど、品のいい調度品にゆったりしたBGM。いい雰囲気の店だ。

 テーブルを挟んで、向き合って座る。

 ベルを押してやってきたウェイトレスさんに、二人ともケーキとコーヒーを注文。

 お冷やを飲みつつ、葵に話しかける。

「今日の放送研、ちょっと寂しかったな」

 高嶺さんはバイトのシフトに穴が空いたらしく、それを埋めるために放送研を休んだ。

 舞も何か用事があるとかで、来れなかった。

「そういえば葵――高嶺さんって、何のバイトしてるかわかる?」

「ハウスクリーニング」

 むせてしまった。

 葵が目を丸くして、

「どうしたの?」

「いや……」

 先日お邪魔した、高嶺さんの汚部屋おべやを思い出したのだ。本やペットボトル、それに下着などで足の踏み場もない状態だった。

 そのときは高嶺さんが酔っ払ったため、アパートまで送ったのだが……そんなアクシデントがなければ、あの光景は見れなかっただろう。

(でも酔った高嶺さん、可愛かったな。幼児化してバブバブ叫んだのは驚いたけど)

「あと高嶺さん掛け持ちで、カクテルバーでバーテンダーのバイトもしてるらしいよ」

 再びむせる。

「な、なんでそんな、地雷原みたいな場所でバイトしてるの?」

「バーテンダーはカクテルの作り方を覚え、給仕ができればいいからね。お酒を飲む必要はないから大丈夫らしい」

 でも高嶺さん、なにげに天然だからな……間違って酒を飲んで、店でバブバブ言わなきゃいいけど。

 僕は、葵の大きな瞳を見つめて、

「僕もそろそろバイト始めようかな。葵はなんかバイトしてるの?」

「この前まで執事喫茶で働いてたよ。すぐ辞めたけど」

「へー。『いらっしゃいませお嬢様』って迎えるアレ?」

 葵の執事姿、さぞかし似合ってただろうな。

「何故やめたの?」

 葵は、自嘲気味に笑って、

「ボクが働いてた店はね。食事を出すほかに別料金で『耳かき』などのサービスをしていたんだよ」

「うん」

「それで、ボクに十万以上のお金をぎ込む女性が続出したんだ。それが申し訳なくてね」

夜王やおうになれそうなスペックだな。お前……」

 僕は戦慄しつつ、

「サービスって、耳かきの他にもあるの?」

「そうだよ。『マッサージ』に『あーん』……」

 そのときウエイトレスさんが、注文していたコーヒーとケーキを持ってきた。

「丁度いいや。『あーん』のサービスを再現してみようか」

 葵がケーキをフォークで切り、僕へ差し出してくる。

 貴公子のような微笑みで、

「さあお嬢様、あーんしてください」

 少しためらったあと、口へ含んだ。

「いかがですか?」

「お、おいしい」

「ふふ、良かった……おっと」

 葵は紙ナプキンを取り、僕の口許を優しく拭いてくれる。

「クリームがついていましたよ」

 やだ……素敵……

(僕が女で、葵に「もう少しで店のナンバー1になれそうなんだよね」とか言われたら、金バンバン使うかも……)

 ホスト沼にはまった女性みたいな思考をしつつ、ケーキを食べさせてもらった。

 葵は肩をすくめて、

「この『あーん』……なんと千円もしたんだ。高いだろう?」

「いや、むしろ破格だ」

「えぇ!?」

 葵はもっと自分の魅力に気付いた方がいい。モテまくりの光輝すら、葵が好きみたいだしな。

「『あーん』って、そんなに楽しいのかな……じゃあ今度は、草一がボクに食べさせてみてよ」

 葵は性同一性障害――心は男だが、身体は美少女なのだ。

 そんな子が雛鳥のように口をあけていると、ドキドキしてしまう。ほっぺた超やわらかそう。まつげ長っ。

 緊張しながらケーキを食べさせ終えると、

「美味しかったぁ。それに人に食べさせて貰うって、意外に楽しいね。これからも、たまにやってよ」

 光輝にめっちゃ嫉妬されそうだから、それはやめよう。

 葵はコーヒーを飲んだ後、腕時計を見て、 

「草一は、まだこの店にいる?」

「ん? 雰囲気良いし、そうしたいけど」

「じゃあボクはそろそろ行くよ。楽しみにしてた本が、家に届くんだ」

 また明日、と葵はお金を置いて、店を出て行った。

(さて)

 喫茶店で一人。何をしよう。文庫本を読むか、もしくは……

(あ、そうだ)

 勉強を教えている舞のために、問題を作ろう。そろそろ二学期の中間テストらしいし。

 僕はノートを広げ、数式を書き込んでいく。

(舞、最近ますます成績が伸びていて、教え甲斐があるんだよな)

 なんでも希望の大学を、僕が通う陸奥大に決めたらしい。これから更に学力を上げていかないと、入るのは難しいだろうけど。

 舞になぜ陸奥大に入りたいか理由を尋ねても、教えてくれなかった。『僕が通ってるから』だと嬉しいんだけどな。

(舞は僕をフッてるから、それはありえないんだけどさ……はぁ)

 そして三十分ほど経ったころ……こんな声が聞こえてきた。


「君、マジ可愛いね!」

「何時にシフト終わるの? 遊ぼうよ!」

「いいじゃんいいじゃん!」


 見れば三人の成人男性客が、ウェイトレスに盛んに話しかけている。

まったく、迷惑だろ……って、えぇ!?

(あのウェイトレス、舞じゃないか?)

 ブラウスに大きな赤ネクタイ。膝上丈のスカートを履き、足元はローファー。飲食店だからか、長い髪はアップにしてまとめている。

 さっきまでは店に居なかった。シフトの関係で来たのだろうか。

(か、かわいい)

 おっと、見とれている場合ではない。

 舞は明らかに困っている。何とかして助けないと……

(そうだ)

 ベルを押せばいいんだ。そうすれば舞は注文を取るのを口実にして、あの客から逃れられるはず。

 僕は、ベルに手を伸ばす――

 だがその途中に手が、お冷やのコップにあたって倒してしまった。店内に『ガチャン!』と音が響く。

 舞が「お客様、お拭き致します!」とこちらへ駆けてくる。想定とは違うけど、結果オーライだ。

 間近で見ると一層かわいい。舞は僕に気付くと、大きな目を見ひらいて、

「あれ!? センパイじゃないですか」

「たまたま来たら君がいたんだ。ここでバイトしてるの?」

「はい。時々ですけど」

 舞は、こぼれた水を見て、

「まさかコップをわざと倒して、しつこいお客さんから助けてくれたんですか?」

「……そ、そう」

 本当はベルを押すつもりだったので、こぼしたのはミスだ。でも好きな子に小さな見栄を張ってしまう、悲しい男心。

 舞はノートに目を移して、

「あと、それ……私のための問題ですよね。こんなに沢山」

 頬を染めて、嬉しそうに、

「ありがとう、ございます。センパイのそういう真摯なところ、とても素敵だと思います」

 くはー!

 すごく嬉しい! でも好きでもない男にそういう事言うの、罪作りだと思う!

 舞がポケットから布巾を取り出し、

「じゃあ、お拭きしますね」

 テーブルの水を、奥から手前にかけて拭いていき……

 手が止まった。

「センパイ、さっき『私に拭かせるため、わざとこぼした』と仰いましたが」

「え? うん」

「なんで股間にまで、水をこぼしたんですか?」

「!?」

 僕はジーンズを見た。

 股間部分がぐっしょりと濡れている……今まで気付かなかったのは、生地が厚めだったからだろう。

 舞がさっきまでと正反対に、ゴミを見るような目で、

「私に股間拭かせるため、そんな風にこぼしたんですか? うわー……引きますー……」

「ち、違う! 違うって!」

 見栄なんか、張らなきゃよかった。

 必死に弁解していると、舞がくすくす笑った。

「なんちゃって、冗談です」

 僕の額を、人差し指でつついて、

「センパイがそういう事する人じゃないのは、私が一番わかってますから」

 ……だからフッた男にそういう事、言うなよ! 惚れ直すだろ! 






※ファミ通文庫様から

『朝日奈さんクエスト~センパイ、私を一つだけ誉めてみてください~』

が、4/30に発売されます。

イラストレーターはU35先生です。

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朝日奈さんクエスト ~センパイ、私を一つだけ誉めてみてください~ 壱日千次 @itinitisenji

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