◇後日談 惚れた弱み その3
追求しようにも混乱と動揺が先だってうまく言葉にできないでいると、ふと恐ろしい可能性が頭をよぎる。
「そういえば……なんだけど。この薬の効果って……いつ出るの?」
薬が全身に行き渡るまで三十分……いや、一時間? 三時間くらいだろうか。それぐらいならまだ可愛いものだが、万が一にも失敗作だったら、一日経っても、いやひょっとすると効果が一切出ない可能性もある。
惚れ薬によって自分がどうなるのかなんて考えたくもないが、この際、薬が効いた振りでも何でもしてユリウスを納得させなければ、一生ここから出してもらえないこともありえそうだ。
「さあ。俺も飲んだことないから、よくわかんないな」
「はあっ?!」
対する彼はいけしゃあしゃあと言ってのける。これはわざとはぐらかしているのか、本当にそうなのか。彼に限ってはどちらもあり得るので困りものだ。
「何てものを飲ませるのよ!」
「大丈夫、大丈夫。これは商品として売ってるものだから。ここによく来るあの人魚だって、前はよく買ってたし」
私がグレーネを抜け出した時に鉢合わせた、青年人魚のことだろうか。あの人魚がたびたびここに来て何かを買っていることは知っていたが、まさか惚れ薬だったとは。
だが、販売実績があったからと言って、それだけでは安心できるはずもない。こんなことになるくらいなら、せめて使用感を詳しく聞いておくべきだった。
***
その後も、私はしばらく落ち着きなく住処を行ったり来たりしていたが、ユリウスはそんなことなど気にも留めず、再び調合を始めた。
黒いローブが水の中でゆらめき、少し前かがみになると首筋までの黒髪がさらりと流れる。いつもの見慣れた光景……のはずなのに、だんだんと目の前がぼうっとしていく。
(まさか、こんなに早く効くわけが……)
ヒレの先から指先まで、全身を巡る血がぽかぽかとあたたかくなって、頭の一部が麻痺したように、考えることがだんだんと面倒になってくる。闇色を纏った魔法使いに引き寄せられるように、何の流れもない水中にいるにも関わらず、自ら吸い寄せられていく。
「……姫さん? どうしたの?」
私がぼうっと彼を眺めている間に、いつのまにか作業の手を止めた本人がこちらを振り返った。私の中でまだ残っていた冷静な部分が、反射的に顔をそむける。
「べ、別に! なんでもないわ」
「ふ~ん……?」
彼は不思議そうに首をかしげたが、深く追及はしなかった。薬草の並ぶガラス瓶を整頓している姿を見ると、先刻私にいかがわしい薬を、とんでもない方法で飲ませただなんて微塵も思えない顔をしている。
ふと、その顔を驚かせてみたい、と思う。
いつも何か企んでいて、何もかもお見通しのユリウス。なんだか、私ばかり彼の手のひらの上で踊らされているようで、自分ばかり余裕がないのは悔しくなってきた。たまには……あの満月の時のように、焦って余裕のない彼を見てみたくなる。
「ねえ、ユリウス」
後先考えずに口を開いた私は、振り返った不思議そうな面持ちを眺めながら、彼がいつも浮かべるような剽軽な笑みを浮かべて見せた。自分ではよくわからないものの、深い闇色の中に映った私は、我ながら彼そっくりの表情だと自画自賛しておこう。
「私、いつのまにかあなたに惹かれていったわ。」
じわじわと、熱を持って侵食していく。それはまるで、この薬のように。内に秘めて自分でも気づかなかったはずの想いは、だんだんと膨らんでいく。
「初めて会った時は、敵か味方かもわからなくて、何を考えているのかもわからなくて。本当に好きになる、という意味がわからないまま、がむしゃらに前に進もうとしていたけれど。この気持ちに気付いて本当に良かった。」
「あんた、いきなり何を……」
夢を見ている時のように頭が朦朧としてくる。喋っている自分と、どこかそれを遠くで聞いている自分。どこか別の場所にいるように乖離して、ふわふわして妙に現実味がない。
ユリウスが珍しく戸惑っているのを見ると、わずかな優越感を感じて私はその手を取った。しなやかな指先。ゆっくりと、互いの熱を確かめるように絡ませる。
「だって、ずっと私のことを好きでいてくれたんだもんね!」
「――?!」
一方のユリウスは丸い目を見開いて唖然としている。
胸が高まっていくのを感じる。本来なら気持ちを言葉にするまでに、脳内で吟味する時間ができる。通常は羞恥あるいは理性に押しとどめられて、思っても口にしないという選択ができるのに、今はその歯止めが壊れてしまったかのように、頭に浮かんだことがつらつらと口をついで出てくる。
「何も知らずに涙をあげた人魚の女の子を十年そこらも想い続けるなんて、ほんと健気よね~」
「……」
そのままユリウスの顔を覗き込もうとすると、急に腕を引っ張られて、私は勢いよくローブの中に収まった。余裕のなくなった顔を見てやろうともがいてみるが、背中に回った腕のせいで思うように動かない。
「……悪いかよ」
代わりに耳元をくすぐるのは、少し不貞腐れた様なユリウスのささやき声だった。珍しく照れた顔を見られないのは残念だが、まあこれで良しとしておこう。
「ふふっ。ねえ……私を好きになってくれてありがとう」
この腕の中にいると、何度味わっても込み上げてくる愛おしさと、もっとこうしていたいという欲張りな自分が顔を出す。
「ああ。……俺も、あんたのことが好きだ」
今は気恥ずかしさよりも、胸の高まりが勝る。彼はため息混じりに、私の肩にもたれかかった。
「はあ。罰ゲームのつもりだったのにな。やられた。あんたには叶わないよ……なんて……」
だが、よく見るとなぜかその方が小刻みに震えている。どう見ても泣いているわけではなさそうだ。まさか……笑っているのだろうか。
「……え? 何がおかしいのよ」
「いや……だって……」
顔を上げるとユリウスはなぜか込み上げてくる笑いを我慢しきれない様子でくつくつと笑い出した。
「惚れ薬なんて、ないからさ」
「えっ?!」
驚くと同時にかあっと全身に流れる血が熱くなっていくのを感じる。それでは、この思考力を奪う飲み物はいったい何だったというのだ。
「じゃ、じゃあこれは……」
「う~ん。大人がたしなむ何か、とだけ言っておくよ。飲めばいい気分になる」
何が惚れ薬だ。私は怒りと羞恥のままユリウスの肩を殴った。傷はもう癒えているが、一応無事だった方を。
「もう、何なのよ! 騙したのね」
「まあまあ。プラシーボ効果ってやつだよ。前にも言っただろ。魔法で人の心は操れない。ただ、その後押しをするだけさ」
やられっぱなしは悔しいが、どうやらユリウスの方が一枚上手だったようだ。
「さて、仕事仕事。今度は焦がさないでよ。もちろん、罰ゲームが受けたいなら止めないけど」
「わかってるわよ、もう!」
きっとこの先も私は、この魔法使いのいいように翻弄されていくに違いない。
それでも悪くない、と思ってしまうのは、きっと惚れた弱みなのだろう。
マーメイド・バブル ~人魚姫モチーフの乙女ゲーに転生(※攻略しないと死亡します)~ 桜井苑香 @sakurai-sonoka
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