[4-4]撃墜を狙う矢と破魔の咆哮【挿絵あり】


 飛竜の巡航速度は、徒歩で三日以上かかる距離を一時間もかけず飛び越えてしまうほどに、速い。目的地まで休まずに飛べば、四、五時間で到着するという。

 多少の強行軍でも頑張るつもりのセスだったが、ラファエルは連続飛行を許さなかった。

 一時間ほど飛んだら休めそうな宿場町に降り、一時間ほど休憩を取る。最初はもどかしく思っていたセスも、それを繰り返すうちに理解した。というより、三度目の休憩に入る頃には全身の強張りと眠気でふらふらになっていた。


 竜舎を備えた宿がどこにもあるとは限らない。ラファエルは最初から、この宿場町で一泊する予定だったのだろう。手慣れた様子で宿泊の手続きをし、マリユスを労い、シッポを散歩に連れ出して、セスが休めるようにしてくれた。

 食事を済ませ早めの風呂をもらってしまえば、一気に睡魔が襲ってくる。気分を換えようと借りた部屋の窓を開けたら、砂漠とは一変した清涼な空気が流れ込んできた。


 見渡す町並みの向こうには巨大で黒々とした山並みが連なっており、何か大いなる意志を持って迫ってくるようだ。あれが『滅びの山脈』だろうか。後半は眠気でほとんど記憶がないが、山裾を回り込むルートで飛ぶとラファエルが言っていた気もする。

 ベッドの上で仰向けになり目を閉じて、砂漠から山脈までの地図を思い描く。上空から見た感じ、大きな川の側に広がる町だったので、全体としては三分の二を過ぎたくらいだろうか。今日のペースで考えれば、あと二時間も飛べば――……。

 セスの思考が結論に辿り着くことはなかった。意識は睡魔に飲み込まれ、次に浮上した時は朝になっていたのだった。




  ☆ ★ ☆




 胸に圧迫感があって、息が苦しい。ドロドロとした疲労感の中でもがいていた意識が、ふわっと覚醒した。目を開ける。

 あごのすぐ下にモフッとした灰色の毛皮が覆い被さっていた。――シッポだ。


「……え、今、何時?」


 開けっ放していたはずの窓はきっちり閉められており、レースのカーテン越しに明るい陽射しが透けている。セスの声に反応したのか、仔狼がのっそり動き、ぐんと前脚を突っ張って伸びをした。道理で重くて寝苦しかったわけだ。

 もう一つあるベッドは空で、ラファエルはもういない。慌てて起きてシッポを床に降ろし、身支度を整える。キュウンと鼻を鳴らしながらシッポが足に絡みついてくるのは、散歩をねだっているのだろうか。


「ちょっと待ってろよ、シッポ。まずは着替えて……」

「セス、起きた? 入るよ?」


 仔狼と押し問答していたら、ラファエルが部屋へ戻ってきた。パッと耳を立て走り寄るシッポを抱きあげて、にこりと笑う。


「おはようございます、ラフさん! なんか色々すみません!」

「別に謝らなくていいよ、想定内だからさ。よく眠れた? ちびっこは僕が散歩に連れていくから、セスは着替えたら階下で朝食を済ませてしまって」

「はい。早急に!」


 慌てなくてもいいけど、と言い残してラファエルはシッポと一緒に出ていった。彼のつかず離れずな距離感はセスにとって居心地良く、安心できる。

 階下に降りると、ちょうど朝食時らしく食堂は賑わっていた。カウンターに声を掛け、食事をもらって急いで食べる。


 麦粉を練って伸ばして切ってでた短いめんに山菜とキノコがたっぷり乗せてあり、甘辛い汁が絡めてあった。溶いて焼いた卵はオムレツと違いあっさりした塩味で、生野菜のサラダには豆や濃色野菜のスライスも入っている。山岳地方の料理ははじめて食べるので新鮮な気分だ。

 蕎麦そばの実から作ったという香ばしいお茶をいただき、お腹も満たされ温まってから、セスは出発準備のために部屋へと戻る。

 ラファエルとシッポは既に戻っていて、部屋は綺麗に整理されていた。


「おかえり、セス。早速だけど、今日は鎧を着て乗ろうか」

「ただいま戻りました。え、と、マリユスは大丈夫?」

全身鎧フルアーマーでも平気だからね、これくらい問題ないよ。装備整えたほうがいいと思ったのは、ちょっと噂を聞いたから」

「噂、ですか?」


 立ち話していては時間がもったいないので、セスは鎧を装着しながら聞き返す。ラファエルも仔狼に胴輪ハーネスを取り付けながら、淡々と答えた。


「ここから少し先……目的地付近の帝国騎士団駐屯ちゅうとん地が、二日ほど前に襲撃されたって。タイミングと状況をみるに、君の件と関係ありそうなんだよね」

「襲撃? でも、なぜ騎士団が」

「それは、襲われた側にもよくわからないらしいけど」


 ラファエルがシッポを抱きあげ、準備を整えたセスを促す。宿泊費は前払いなので、荷物を持ってまっすぐ竜舎へ向かうだけだ。


「駐屯地なら、そんなに人数は多くないでしょうけど……でも、派遣されるくらいだから、十分強い人たちですよね」

「噂によると、当日この辺でも局所的な地震があったらしいよ。十中八九、魔法が絡んでると見て間違いないね」


 襲撃された騎士団員は無事だったのだろうか。嫌な想像が膨らむが、現場とこの宿場町は徒歩なら三日以上の距離がある。情報が届いているということは、少なくとも全滅は免れたのだろうけど。


「すみません! こんな大事な時に、俺すっかり寝ちゃってて」

「なんで君が謝るの。襲撃が二日前なら、どんなに全速力で飛んだって間に合わないよ。君の目的は『イルマの奪還』であって、騎士団を助けることじゃないよね?」

「それは、そうかもしれないですけど……」


 襲撃者が自分に縁ある相手なら、騎士団が襲撃を受けたのは自分のせいではないか。セスの脳裏からその考えが離れてくれない。

 もちろん、ぐるぐる悩んでいる暇などないことも、わかっているのだけれど。


「さ、セスは前に乗って。剣と必要になるかもしれない荷物は、今のうちに身につけておきなよ。場所によっては飛竜じゃ着地できない可能性もあるから」

「はい、準備は万全です」


 飛竜は器用な幻獣で、身体サイズの開けた場所があれば真上から降下し着地できる。しかし、樹々が密に生えた森の中には降りることができない。枝葉が邪魔で羽ばたきを阻害されるし、梢や枝では飛竜の体重を支えられないからだ。

 シッポを入れたキャリーバッグを鞍の後ろに括り付け、ラファエルがセスの後ろに飛び乗る。命綱などの安全確認をしてから、マリユスに指示を出して飛び立った。渦巻く空気は森の香りが混じってひんやりしており、緊張した心を引き締めてくれるようだ。


「襲撃者は不明、つまり、近づいたら攻撃を受ける可能性が高いってこと。事前に打てる手は少ないから、十分に警戒しておきなよ」

「はい、心得てます」


 マリユスは、ぐんぐんと速度をあげてゆく。昨日と同じく風の道に乗ったようで、今は時折り翼を動かしていた。魔法による守りがあるため実感は薄いけれど、高速飛行をしているのだろうと察する。

 一時間も飛ばないうちに襲撃のあった場所が見えてきた。拠点として使用されていただろう建物は破壊され、瓦礫がれきが散らばった地面に黒々とした穴が穿うがたれている。頭の後ろでラファエルが舌打ちしたのが聞こえた。


「……魔女の、天墜てんついの魔法が残した跡に似てるけど、――って、セス! 前傾!」

「は、はいっ!」


 切迫した指示を受けてセスは反射的にハンドルを強く掴み、前屈みに上体を伏せた。ラファエルの左手がセスの身体を抱き、背中にぐっと体重が掛かる。直後、振り落とされるかと思うほどの振れとともに視界がぐるんと回った。


「ひっ……」

「マリユス! 上昇!」


 恐怖が鳩尾みぞおちに落ちて、悲鳴になりそこねた息が漏れる。ラファエルの冷静な指示に答えてか、蒼飛竜マリユスが高く長く咆哮ほうこうした。真白な旅鳥を思わせる、太く響き渡るラッパのような声が、セスの胸に響いて恐怖を和らげてゆく。

 目だけ動かし前方を見れば、マリユスは翼を少しすぼめ、首をゆるく伸ばし、全身でくるりくるりと回転しながら、不規則な速い動きで飛んでいた。時々声をあげ、ラファエルに何かを知らせている。

 何度か繰り返すその動きを見ているうちに、不慣れなセスもマリユスが何をしているのか理解した。先端鋭くきらめく何か――どう見ても投げ矢ダーツににしか見えない――が、一定間隔でこちらを狙い放たれてくるのだ。


「攻撃、ですか?」

投げ矢ダーツに魔法力を乗せて射出してるんだ。でも大丈夫。だいたいわかった――マリユス! 急襲!」

「ふぁっ!?」


 ふいの急降下にセスは慌て、ハンドルにすがりつく。眼下に広がっているのは瓦礫で、射手が隠れるような場所はない。

 視認できない敵の在処をラファエルは見つけたのだろうか。飛竜の翼は弾力があり硬いが鋼鉄ではない。正面から向かって大丈夫なのか。

 疑問と不安を何一つ解消できないまま、みるみるうちに地上が迫る。恐怖感が全身に広がり、視界がぐらぐらして指の先が冷たい。それなのに、手のひらは汗でべとついて気持ちが悪い。


 ファアァァン、というマリユスの高らかな咆哮ほうこうに、ラファエルの詠唱が重なった。ばりん、とガラスが砕けるのに似た音が響き渡る。

 地表を撫でるギリギリをかすめて飛び抜けたマリユスは、勢いそのままに上空へ舞いあがった。瓦礫のかけらが風圧で吹っ飛び、埃と土煙が広がった地上に、何か大きなものが直立している。


「……ちぇ、破られちゃった。ま、でも順当か」


 不満げに吐き捨てられた声はまだ若く、少年のように聞こえた。巻きあげられた土埃が晴れると、地面に立つ黒銀の大きな生き物が見えた。大きな翼は鳥のようで、身体全体はそれほど大きくないが、どこか見覚えのある――四足と翼を持つ直立竜。

 あまり乗り心地が良くなさそうなその背には、魔導士の衣装をまとった少年がいた。年齢的にはセスと同じか歳下くらい。風にあおられる柔らかそうな金髪は無造作に長い。

 少し遠くて表情はよく見えないのに、声だけは、はっきりと聞きわけられた。


「〈破魔〉を使える色付きってことは『金鷹』騎士団の隊長クラス? さすがに師団長はこの程度じゃ動かないと思ったけど。……悪くはないだったってことかな」


 金鷹だって、と口を出しそうになったが、ラファエルに止められた。五聖騎士ファイブパラディン『金の目の鷹』ケスティス・クリスタルはセスの長兄で、外征を受け持つ飛竜騎士団ドラゴンナイツの師団長でもある。

 こちらを帝国所属の竜騎士と勘違いしたのだろうが、いったい、どういうことなのか。

 混乱を抱えるセスの耳元にラファエルがささやいた。


「あの子が、イルマ?」

「え、いえ、違います。イルマは銀髪で、もっと髪が短く……」


 ざくりと、セスの胸の中で記憶が割れる。


「狙撃を避けれるくらいなら遠慮もいらないね。イルマ、隕石ほしを召喚して、――あの竜をとせ」

『ゥアァアァ、アアァァァアァァ………!』


 黒銀の竜が頭を空に向け、血を吐くような声で叫んだ。その一言で明らかになった衝撃の事実にラファエルが舌打ちするも、セスの意識は全く違う方向に向いていた。

 気づいて、しまった。

 思い出して、しまった。

 座学に熱心で、考え深く、傷つきやすい子だった。だからきっと、彼と自分は馬が合ったのだろうと今なら思う。


「ティーク……! やめろ!」

「え? 君の知り合いだったの?」


 ラファエルの驚きは当然だったが、眼下の少年はそれ以上の驚愕きょうがくをもって空を見る。だいぶ距離があるのに、怒りに燃えた両眼がはっきり自分を射抜いたように、錯覚する。


「セス、……セステュ・クリスタル!」


 鋭く言い放たれた声に、あの頃の親愛はなかった。一縷いちるの望みは決定的な断絶をもって砕け、胸をつぶすほどの痛みが喉を圧して、セスはすぐには声を返せなかった。

 やはり彼は父の仇として自分を恨み、憎んでいたのだと――目の背けようない事実を噛みしめる。


「……ラフさん、俺を、マリユスから降ろしてください」

「うーん、わかった。でも、君が無理そうなら僕は介入するよ。いいね?」


 一瞬ためらったが、セスは素直に「はい」と頷いた。

 今の使命は、イルマを救い取り戻すことだ。命を投げ出していい局面ではないことくらい、わかる。それでも、この流れのまま戦いになだれ込むのは無理だった。

 話し合う余地などないとしても、せめて一対一サシで向き合いたかった。


 ティーク・イーラリオン。

 輝帝国を裏切った将軍の息子である彼は、かつてセスの大切な友だったのだ。




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 セスの過去話は「十一.運命の別れ道」で触れられています。


 二人の再会シーン、挿絵あります。

 https://kakuyomu.jp/users/Hatori/news/16818093081926986479



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