[4-3]飛竜の魔法と風の道


 砂漠都市サグエラから目的の場所――『滅びの山脈』のふもとに広がる『妖魔の森』外縁部までは、徒歩だと半月以上、馬車でも一週間の道のりだ。急いで向かうつもりなら、まず東方面にある港湾こうわん都市ロナードで馬を買い、海岸沿いの街道を駆け抜けるほうが早い。

 しかし現在セスは一文なしだ。見知らぬ土地で借りられる当てもなかったため、ラファエルの申し出はまさに渡りに船だった。


 とはいえセスは、騎馬訓練なら受けたが騎竜訓練など受けたことがない。昨日ラファエルと一緒に飛んだ、あの偵察飛行が正真正銘の初体験だ。銀竜に夜空を連れ回されたのは体験としてカウントしないものとする。

 セスはあぶみに足を入れていただけで、蒼飛竜マリユスに指示を出していたのはラファエルだ。いくら飛竜が訓練された賢い個体であっても、騎手が素人では飛べるはずもない。必然、昨日のように二人乗りすることになるだろう。


 朝食後、早速、旅の準備に取り掛かる。挨拶もそこそこに、キィとルフィリアから路銀と糧食を渡された。「遠慮はなし!」とウインクするキィの笑顔は眩しくて、やっぱり砂漠の太陽だと思ったことは心の内に秘めておく。

 長剣は腰ベルトに装着し、鎧はひとまず包んで荷物と一緒に蒼飛竜マリユスの腰へくくりつけた。灼熱しゃくねつの都市サグエラで、金属鎧を身につけてはいられない。


 ラファエルは騎士服を着ていたが、鎧はなく、剣もシンプルな量産品だ。聞けば、装備品は故国に置いたままだという。

 エルデ・ラオ陥落の様子については聞きづらく、ラファエルから詳しく語ることもなかったが、切迫した状況がうかがえてセスの胸は痛んだ。

 たとえリュナを無事に救いだせたとして、彼は故国を蹂躙じゅうりんした相手を許せるのだろうか。そんなこと、今考えても仕方ないとわかってはいたが、考えずにいるのも難しかった。


 サグエラを発つ前にラファエルはセスを残して騎士団駐屯ちゅうとん地へ行き、くらあぶみを二人掛け用に替えてきた。新人訓練用のもので、前の席であれば握りハンドルも鐙も竜への指示には響かないのだという。

 仔狼は鞍に乗れないので、胴輪ハーネスをつけて小型のキャリーバッグに入れ、それを鞍の後ろ側にベルトでしっかり取りつけた。周りが見えると怯えるだろうから、外は見えないようにしておく。


 ルフィリアに預けておくことも考えたが、セスがシッポの立場だとして、置いてけぼりを食らえば今度こそ絶対に許さない。不安はあるが、せっかく芽生えた友情が破綻はたんするのはいやだった。

 そう言って相談したらラファエルは笑いつつも了承してくれたので、空の旅に連れていってもきっと大丈夫なのだろう。


 昨日と同じくまずセスが乗り、命綱を取りつけたのを確認してから、ラファエルが後ろに飛び乗った。自分の命綱を取りつけ、セスを脇から挟むようにして手綱を握る。

 マリユスの大きな翼がゆっくりと羽ばたきはじめ、巻きあげられた砂まじりの風に煽られながら急上昇を始めた。まだ二度目だけれど、最初のような恐怖感がない自分に驚く。


「飛竜はある程度スピードを維持して風に乗ると負担が少なくってね。不慣れなセスは怖いかもだけど、馬ほどは揺れないから安心して。ただ、気流で動きがブレることもあるから、気持ち悪くなったら早めに言いなよ」

「はい、了解です」


 風の圧と耳をかすめる轟音ごうおんは、最初だけだった。上空までいくと飛竜は羽ばたきの回数を減らし、全身が水平になるように翼を伸ばした。

 眼下の景色がみるみるうちに通り過ぎてゆく。サグエラの色とりどりであざやかな街並みがあっという間に遠ざかり、砂色の大地が広がる砂礫されき砂漠へ。時おり旋風が砂をくるくると巻きあげ、運んで、散らすようにほどけてゆくのが面白い。


 気づけばいつの間にか、風圧を感じなくなっていた。吹きあおられ乱れていた髪も、今はかすかな風がなでてゆく程度。

 不思議に思って肩越しに振り返ると、ラファエルが得意げに口角を上げた。


「すごいだろ。個体差はあるけど、飛竜は感知力センサーと魔法力を解放して風の道に乗るんだよ。マリユスは特に優秀な子でさ、風圧からのまもりを展開したまま、五、六時間は連続飛行できるよ」

「これ、魔法なんですか!?」

「いわゆる獣竜でも、竜種はそこらの魔物や魔獣なんかと格が違うからね。空を飛べるのも、竜の息ドラゴンブレスを吐けるのも、本能で体内の魔法力を操っているから。僕らはかれらが扱う魔法の恩恵にあやかってるってわけ」


 饒舌じょうぜつに竜について語るラファエルは、家族か親友に向けるような眼差しをマリユスに向けていた。

 その姿はアルテーシアとシッポ、シャルと猟犬たちとも通じるものがあって、少しうらやましく思う。デュークとフィーサスはまた違う関係性なのだろうけど。


「竜騎士っていいですね、すごいです」

「ふぅん? 今回は急ぎの旅路だからこうしたけど、セスにその気があるなら僕が訓練してあげるよ?」

「それは……俺だけじゃ決められないですが」


 口ごもりつつも、そういう道も悪くないなと思ってしまう。

 今回の件で自分は、所属騎士団の師団長である兄や宰相さいしょうである父、主君である帝皇ていおうの意志さえ無視して独断専行を貫いているわけだ。この先リュナを無事に取り戻せたとして、兄の騎士団に居場所が残されているだろうか。

 実家に戻って祖父に怪しい儀式を強制されるのも怖いので、今後の身の振り方は慎重にならざるを得ない。


 エルデ・ラオは野心的な軍事国家のイメージが強かったため、怖い国だと思っていたけれど、ラファエルが指導者なら住みやすく居心地いい国になるのでは……と想像する。

 いよいよ行き場をなくしたらアルテーシアと一緒に保護してもらおう、などと自然ナチュラルに考えている自分に気づき、一気に恥ずかしくなった。彼女の意向も確認せず、何を勝手な想像を膨らませているのか。


「そうだね。帝国に居づらくなったら彼女と一緒においでよ。……って、まだ国を取り戻す算段なんかできてないんだけどさ」

「……ラフさんは、どうしてこんなに良くしてくれるんですか?」


 思考を見透かされたかと一瞬、焦ったが、ぽつりと落とされた自嘲じちょう的な呟きで、燃えていた頭がすっと冷えた。

 彼は一切、言及しないが、ラファエルの故郷を奪った魔王軍の『魔王』はアルテーシアの兄。国軍――つまり彼の部下たちを魔法で殺したのは『災厄の魔女』である妹リュナなのだ。だからセスは、故国の仇の一味として殺されてもおかしくないというのに。


 数秒の間、彼は無言でただ手綱を握る手に力を込めた。

 こんな前も後ろも崖っぷちのタイミングでデリケートな話など持ち出すべきではなかった、とすぐに後悔がよぎったが、耳の後ろから聞こえた声は今までと変わらない穏やかなものだった。


「エルデは戦火神せんかしんあがめているって話したよね。だからエルデ・ラオの戦士たちは、戦いを恐れない。国を、家族を、誇りを守るために勇気をいだいて戦えば、たとえ戦場で散ることがあっても、魂はけがれなき姿を保ったままゆくべきところへいけると信じてるんだよ」

「……だから、降伏しなかった?」

「それはどうかな。父上も王太子も意固地なだけだったと、僕は思ってるけど。何にしても、僕は……彼らの決意と決断を愚かだなんて言えない。同じく、生きて逃げ延びろと僕に懇願こんがんした部下たちの願いも、尊いものだと思ってる。だから、さ」


 ラファエルの右手が手綱から離れ、セスの頭をくしゃりと撫でた。振り返って表情を見ることは叶わないけれど、頭に感じる手のひらの重さは、幼い頃に父や兄が与えてくれた優しさとよく似ている。


「魔王軍と、父をはじめとしたエルデの戦士たちは、互いの誇りを賭けてぶつかり、結果エルデは敗北した。僕はその全てを背負って生き延びたんだから、必ず国を取り戻す。彼らが選んだ戦いという選択を、後世に対し意味あるものとするために」

「……意味あるもの、と」

「そう。エルデの末王子は命惜しさに逃亡したのではない。故国の灯火を絶やさぬため再起の機会を狙ったのだ、ってね。同じように、君や君の仲間たちの勇気を尊いと思ったから、僕は君に力を貸すんだよ」


 頭から手が離れ、ラファエルは両手で手綱を握り直した。首が回るようになっても、この流れで振り返ってみる勇気はない。


「俺は……災いを防げませんでした。話し合いどころか、エルデ・ラオの主城を崩落させるような事態を招いてしまって」

「それは結果論。主城の破壊については僕から魔王に直接、文句を言うつもり。でね、セス、君は」


 ラファエルの言葉が途切れた。なにを勿体もったいぶっているのかと思えば、背中に小刻みな震えが伝わってくる。どうやら笑っているらしい。


「え、俺、何かおかしなこと言いましたか?」

「ふふ、そうじゃないよ。君はさ、傍目はためには取るに足りない生命を惜しんで、自分の人生すべてを差しだそうとした。あのちびっこ……小さな狼の子供のため、命を賭けてもいいってほどの友情だよ? そういうとこ、君は竜騎士に向いてるよ」

「……そう、なのかな?」

「うん、僕が言うんだから間違いないさ」


 妙にくすぐったい気分で、セスは前方にあるマリユスの頭を見つめた。

 魔獣リヴァイアサンからラディオルを守ろうとした火炎竜、崩れゆく城から主人を、仲間を助けだそうと飛び込んできた魔王軍の竜たちと、クォームとフィオ。

 動物だとか幻獣だとか、神様みたいな存在だとか。人間ではない以上の違いは今でもよく実感できないけれど。ラファエルの言うように、大切な誰かのために何かをしたいという願いは、種族を超えて友情をつなぐのかもしれない。


「なんか、嬉しいです。竜騎士の道……ちょっと考えてみます」

「その際には、ぜひ我が国に。君はいい竜騎士になれるんじゃないかな。さて、ひとまずこの辺で少しの休憩を挟むよ」


 ラファエルの言葉を聞いていたかのように、マリユスが両翼を柔らかく羽ばたかせ頭を下げた。速度低下とともにせていた風圧が戻り、ぬるい風がセスの髪を躍らせる。つられるように見おろせば、街道の側に広がる小さな町が視界に映り込んだ。

 ぐんぐんと地面が近づいてくる光景はやっぱりまだ怖くて、思わず視線を空へと戻す。ラファエルが後ろで楽しそうに笑いながら、手綱とあぶみで何か指示を与えていた。


 細かく休憩を挟みつつ、目的の場所までは二日の行程になる。今はまだ平気だが、時間が経つにつれて疲労も溜まり身体もあちこち痛くなるだろう。

 馬よりはずっと楽だが、それでも過酷な飛行になるのはわかりきったことだ。


 つらいとは思わない。なぜならこれは、セスにとって意味のある旅だ。同じように、ラファエルにとっても意味のあるものであって欲しいと思う。

 大切な人たちと場所を取り戻す未来に――、この道は続いてゆくはずなのだから。




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