[4-5]想い届かず、災厄きたりて
ティークとはたまたま学舎が一緒だった。セスが七歳、ティークは一つ歳下の六歳だったように思う。
空中で大きく旋回し、相手が攻撃の手を止めたのを確認してから、ラファエルは離れた場所にマリユスを着地させた。命綱を外し飛竜の上から地面へと滑り降りたセスは、まだふわふわした感覚が残る足にぐっと力をこめる。
頭上でカチリと音がして、すぐ隣にラファエルが降りた。振り返ったところで、肩を二度強めに叩かれる。
「戦いに赴く者へ、〈戦歌の加護〉を」
「ラフさん?」
「行ってきなよ。僕は口出しせずに待つけど、君が追い詰められたら加勢する。いいね?」
「……はい!」
ラファエルがセスを未来ある見習いと認めているのか、友人として心配しているのかはわからない。どちらだとしても心強い言葉には変わりなく、セスは意を決して懐かしい相手と
黒銀の直立竜はどことなく、竜型クォームに似ていた。ティークはあの竜をイルマと呼んでいたから、かれは竜の形態になったイルマで間違いないだろう。
結論は出ないが、ゆっくり考えている場合でもなかった。イルマ竜に乗ったティークが挑むような笑みを浮かべ、セスに魔導士の杖を突きつける。
「まさかまさか、
「生憎だけど、兄さんの部隊は対魔王軍が最優先で、君一人にかまけている暇はないと思うよ。俺も、ここで死ぬ気はない」
「へぇ……。泣き虫セスが言うようになったじゃん? まだ、自分の竜も持ててないくせに。イルマは特別なんだ。色がついただけの飛竜とは違うんだよ!」
知ってるよ、という返答は喉の奥に飲み込んだ。さっきまで酔いでふらふらしていたのが嘘のように、身体は軽く力がみなぎっている。ラファエルが〈戦歌の加護〉を掛けてくれたからだろう。
ティークはああ言っているけれど、息ぴったりなマリユスとラファエルに比べイルマ竜の動きは
詠唱には
けれど、その前に。
「ティークが俺を恨むのは当然だと思う。でも俺は、ティークが生きててくれて良かったよ! ずっと、気になってたんだ」
綺麗事と受け取られるかもしれないが、紛れもない本心だ。霧が晴れるように当時のことがよみがえり、悲しみの塊が溶けだして胸を満たしてゆく。
今になって思えば誰もが幼いセスを気遣っていたのだろうけど、当時『一切なにも教えてもらえない』という現実はつらすぎた。自然な流れでセスはティークも処刑されたのだと思い込み、友を死に追いやった罪悪感から想い出を押し殺し名前を忘れてしまったほどだ。
でも当然ながらティークは笑顔を消して、眉をつりあげる。
「僕だって、片時も忘れたことはなかったさ。クリスタル家、今や輝帝国の中枢を
「それは――、」
そういう意味じゃない、と言い返すこともできたが、違う気がした。
クリスタル家の末弟とはいえ、セスは政治を語れない。それでも、父や兄、ひいてはクリスタル家全体に悪感情を向ける者がいることくらい理解できる。
正当な批判か、単なる
「……ま、なんだっていいさ。今さらキミと話すことなんてないね」
言葉を飲み込んだセスを見て、言い返せなくなったと考えたのか。ティークは杖を掲げ、詠唱を始める。おそらく中級の雷で、金属鎧と剣を持つ騎士に対し効果が高い魔法だ。その分、詠唱時間も長い。
〈戦歌の加護〉を受けた身体に力を込め、セスは駆けた。倍の速度で距離を詰め、剣の柄をつかんで鞘ごと外す。ティークが驚いた顔でこちらを見つめるが、詠唱を止める気配はない。だからセスも、勢いを殺さず全力で突っ込んだ。
ギィンと鈍い金属音が響き、虚ろな
中型といえど竜の
全力で押さえ込もうとしていた相手を失い、イルマ竜が前へつんのめった。背上のティークが悲鳴をあげ、怒りを表す。
「イルマ! 竜のくせに
『クルゥアァァア……アァァ……』
「逆らうな!」
「やめろ、ティーク!」
イルマとは初対面だけれど、竜だろうと人だろうと使役し殴りつけていうことを聞かせようだなんて、
「
ティークが腕を掲げ、短い詠唱と共に何かを投げつける。空中でしつこくマリユスを狙った
即座に二本目を放とうとしたティークを、イルマ竜が苦しげな
ティークは魔導士だ。間合いを空けるとこちらの命が危ない。
「イルマ、すぐに自由にしてやるから待ってろよ……。ティークっ!」
落馬ならぬ落竜したティークだが、大きな怪我はなさそうだ。受け身を取ろうとして手放したのだろう、魔導士の杖は少し離れた場所に転がっている。
思ってもみなかった好機にセスは剣を投げ捨て、彼が起きあがるより早く勢いに任せて飛びかかり、ティークを地面に押さえつけた。
「うわっ、離せセス!」
「離すか馬鹿! いい加減に目を覚ませよ、頭を冷やせ! 俺を恨むのは当然かもしれないけど、おまえ一人で
「煩い煩い、セスなんかに何がわかるっていうんだよ! 父上も母上も叔父上も……
「わからないよ! 誰も、何も教えてくれなかったんだ! なんでそんなことになったのか、どっちが間違ってたのか、俺にわかるわけないだろ!? ただ――俺は、ティークまで処刑されるのが嫌なだけだッ!」
胸の塊を吐き出したら、ふいに
記憶の面影を残した綺麗な面立ち、宝石のように深みのある
何のことはない……本心なんてそんなものだ。
幼かったセスに、彼の家族を救う力などあるはずなかった。友情を失い、楽しかった日々は罪悪感と結びついて心を
そんな過去は消えない、変えられない。
でも、死んだと思っていた友は生きていて、目の前に現れた。
恨まれていても、もう友情が取り戻せないとしても、生きていて欲しいのだ。ティークがもう一度殺されるなんて嫌だと、心底から思うのだ。
「うるっ……さい……! 僕は、父上の墓前に……絶対いつか『
ティークの赤い目に、みるみる涙の雫が盛りあがる。
十四歳上の兄ケスティスは当時二十一歳で、
六歳の子を持つ父であれば、当時はまだ若かったはずだ。
今や
ごめん、と喉元に出かかった言葉を飲み込む。つらかったんだな、そう浮かんだ言葉も押し殺す。こんな時に、言葉は無力だ。
大人たちの事情があり、結末があった。法に照らせば、あるいは
家族を奪われたティークと、友を奪われたセス。どちらも傷ついたのに、寄り添うことを許されない。
互いの背負う立場が、慰め合うことを許してくれない。
「ティーク、……俺は、それでも――」
君とちゃんと話がしたかった、そう続けようとしたセスの耳に、戦場に響き渡るラッパのような音が聞こえた。マリユスの声、常とは違い切迫した――これは警告、だろうか?
「セス! つかまれッ!」
「――っぇ、ラフさん……?」
どくん、と大地が
意味がわからないまま、反射的に手を伸ばす。地面が、生き物のように波打っていた。少し前に宿場町で、ラファエルが言っていた話が脳裏をよぎる。
――噂によると、当日この辺でも局所的な地震があったらしい。
だとしたらこれはティークの魔導か、……あるいはイルマの?
鉤爪鋭い飛竜の脚は間近で見ると恐怖だが、マリユスなら心配ない。伸ばされた脚にしがみつくよう片腕を回し、振り払われるのを覚悟でティークにも手を伸ばした――その、時。
ひときわ大きく震えた大地から、無数の黒い何かが飛び出した。
マリユスが
背中に、脚に、脇腹に、衝撃と熱を感じた。喉元には熱い何かが込みあげ、唇からこぼれてゆく。脚ががくがくと震えだし、腕から力が抜ける。
「マリユス! 上昇!」
一瞬、全身が炎に包まれたような錯覚を覚える。飛竜の脚に肩の辺りを掴まれ、一気に視界が開けたものの。
ティーク、そう呟いた声は言葉の形をなさなかった。飛竜の背に引きずりあげられ、見おろしてくるラファエルを視界に確認し、眼下に広がる異様な光景を視認する。
地を覆い
風に吹き
「……災厄の、魔女っ」
セスの口から
どういった方法かは知らないが、確実なことが一つあった。
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