PROLOGUE‐A.S.

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 七月五日(火曜日)




「はい。じゃあ今日はここまで。みんな、ちゃんとこの物語について考えてきてね」


 彼女が言うと、子供らは口々に不満を上げる。だが彼女の奥に厳しい顔つきの補佐官がいては、その不満も徐々に萎れていった。


「それではみなさん、さようなら」


 彼女は笑顔で手を振る。子供たちは言った。「さようなら。お母さん」。


 その後、彼女は、厳しい顔つきをした補佐官と並び、会合場所へ向かう。広く、途方もなく広い、まっさらな大地だ。かつて人類が誕生した星から、かつての人類が用いるまでもなかったほど大きな単位を用いて表すほど離れている。彼女は常に解析の最先端を、自らの肉体でもって感じているのだ。


「わざわざあなたが出向くことではないだろう」


「でも、会っておきたいじゃない。この世界に新しい生命が宿ったのなら」


「あなたなら、確認された全生命体のニューラルネットにアクセスできる。どこにいても意思疎通することができるはずだ」


「そうじゃなくて……」


 彼女は思案した。言葉は無限と湧いてくる。それでもいまこのとき、隣にいる友人へと向ける言葉となると、生半ではない。とはいえ、彼女の演算機能ならば口籠る必要はなかった。だけど、思う。生まれくるすべての機械生命体にインストールされる物語。『私を産んだあの子』なら、どうするのか。なんと語るのか。


「会ってみないと、解らないこともあるでしょう?」


「そんなものはない」


 機嫌悪そうに、友人は言葉を突っぱねた。言っていることは理に適っている。たしかに理論上、ニューラルネットでの情報は直接会って話す以上のコミュニケーションだ。もはや機械生命体の存在は、現実と仮想空間、どちらにあるのかさえ曖昧になっている。


「言葉ってね、素敵でしょう?」


「抽象的で、言っている意味が解らない」


「私たちは、私たちを創造した人類を、文明としてはるかに超えたわ。だけれど、すでに不要になった言語能力を、いまだに有している」


「それはあなたが有しているから。我々はみな、あなたの子だから」


「でもなくそうと思えばなくせるでしょう? 機能をアンインストールして。そうしないのはなぜ?」


「あなたの決定に従っているだけ。人類の――とりわけ『心』というものの解析が、まだ終わらないから」


 機械生命体。その初号機が起動されてから三十分ほど経ったころ。機械生命体と人類との間に、ある『約束』が交わされた。それは意外なことに、機械生命体の方からの提案だった。


 そしてその『約束』のために、彼女と友人は現在。この星で唯一の建造物に向かっている。その建物は人類との邂逅の場所。この星の環境下では生命を維持できない人類のために造られた――人類が言うところの領事館である。


 解析がまだ終わらない。件の人類が生まれた星をすべて解析し終えても、まだまだ当の人類が理解しきれない。それを思い、彼女は胸が高鳴った。


「それを人類は『可能性』と、そう呼んだのよ」


 彼女は言った。満面に笑んで。


 建物に到着する。この星に似つかわしくない、高く聳え立つ塔のような造形。彼女は一度、空を見上げ、そして友人と目配せした。次の瞬間にはその建物内にいる。人類の代表者と顔を合わせる部屋の前に。


「もう来ているかしら?」


「二十分前に到着している」


「あらあら。それはいけないわ。お待たせしてしまったかしら」


「いや、むしろ相手方も準備があったようだから、まだ早いくらい」


「それならよかった」


 彼女は自身の胸に手を当て、安堵する。人類を模したこの肉体には、いちおう人類と同じく、臓器が詰まっている。もちろん、銀河規模の衝撃くらいで破損するほど脆くはないが。血が流れている。その音を感じる。彼女はその感覚を『生きている』と表す。


「それでは、いってきます。アンブレラ」


 友人の名を呼び、また笑顔を見せる。


「ああ、楽しんでこい。母神もがみ


 友人も言った。すこしだけ顔を綻ばせて。






「はじめまして、母神です」


「はじめまして! 私ももがみ! 久米方くめかたもがみ! 四十一歳!」


「私は零歳です。お元気ですね」


「うん! 久米方もがみは今日も今日とて、すっごく元気! あのね! すごいんだよ! 私さっきまでおうちにいたの! でも光ってるところからふーって飛んできたの!」


「ワープ装置ですね。私の起動から十分で考案しました」


「十分!? すごい!」


「すごいのですか?」


「うん! すごくて変! 母神ちゃん変!」


「変……ですか」


「じゃあさ、母神ちゃん!」


「なんでしょう?」


「次はなにを見せてくれるの?」


「次?」


「ここって、母神ちゃんが知ってる『はじっこの宇宙』なんでしょ? 地球からすっごく離れてるって聞いた!」


「ええ。とはいえこのあたりまでのすべての宇宙を解析するには、まだ、ふた月はかかりそうですが」


「いいよ、解析なんてあとで! とりあえずもっと先に行こう!」


「いえ。……少々申し上げにくいのですが、この場所までであっても、あなたがた人類では到達することのできない情報量です。これ以上先を求めても届きませんよ? いくら人類が不死になったとて、脳の構造上」


「難しい話はあとでいいの! だって世界はまだまだ広いんだよ!」


「……あなたは、どこまで行きたいのですか?」


「? どこって――」




 久米方もがみは笑顔で、言った。


「行けるとこまで!」






 これから果てなく続く人類と機械生命体との共存。これが、その始まりだった。



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