欲しいもの
屋上から見上げる空は、遮られるものが少ないせいかとても広く、そして近くに感じる。少し陽射しが暑いのが玉に瑕ではあるが、風がさわやかに頬を撫で、気持ちがいい。このまま午後の授業をさぼって昼寝をしてしまおうかなんていう誘惑に駆られていると、俺の頭をふわりとヒロの大きくて温かい手が撫でた。
「キョウちゃん、食べてすぐに寝ると牛になるって知ってた?」
少し遅れて弁当を食べ終えたヒロは空の弁当箱を丁寧に包み直していた。こういうところに育ちが出るのだなといつも思う。俺なんて食べ終わったものは乱雑に鞄に突っ込むだけなのだ。女性の中で育つと自然と身に付くものなのかもしれない。男子特有の乱雑さがヒロにはない。どこからどう見ても立派な格好良い男であるヒロの見た目と、体に染み付いた女性っぽい言動とのギャップが俺は好きだ。
「ヒロ、俺は知ってるぞ、そういうのメイシンって言うんだろ?実際、人間は牛にならないことぐらい俺だってわかるんだからな」
「あら、そう。でも牛にはならないかもしれないけど豚にはなるかもしれないわ」
「でもヒロ、気持ちいいんだよ、すごく」
「でしょうね」
「ほら、ヒロもゴロンてしようよ」
自分の隣をトントンと叩くとヒロは寄り添うように俺の左側に転がった。
「いい天気ね」
「このままさぼりたくなるだろ?」
「ダメよ、キョウちゃんが余計にバカになっちゃう」
「ちぇっ、どうせ授業聞いてたって何にもわかんないのに」
拗ねて唇を尖らせると、宥めるみたいにきゅっとヒロの右手が俺の左手を握る。
「わからなくても、聞いてるのと聞いてないのとじゃ全然違うのよ。あとで教えるのはアタシなんだから、サボりはなしよ」
「はあい」
別に本気でサボりたかったわけではない。天気は最高だしヒロと二人きりだし、こんな穏やかで幸せな時間をもう少し長く味わっていたいと思っただけなのだ。ヒロが嫌だと言うのならそれをする必要なんてどこにもない。チャイムが鳴ったらヒロと一緒に教室に戻ろう。それもまた幸せな時間には変わりない。俺はどんな時でもヒロが望む形がいい。
「あ、そうだ」
ヒロの望みという言葉で思い出した。
「ヒロ、何か欲しいものある?もうすぐ誕生日でしょ?ヒロの欲しいもの何でも買ってあげるよ」
確か今月の終わりだったはずだ。何かヒロの喜ぶものをプレゼントしようと考えたのだけれど、俺のセンスで選んでしまうと何をあげても怒られそうな気がして、結局何も選べないのだ。こっそり用意してサプライズ、なんて計画を最初はしていたのだが、諦めた。サプライズでなくともヒロが欲しいというものをあげるのが一番喜んでくれるのではないかということで作戦変更だ。
けれどヒロは、
「何も買ってくれなくていいわ」
少し困ったような声でそう言った。
「えー、なんで、誕生日だよ?遠慮しなくていいよ?」
そんなことを言われたら困ってしまうのは俺の方だ。
それでもヒロは欲しいものを言わず、握ったままだった俺の手を引っ張り、抱きしめるように自分の胸の上に導いた。
「だってキョウちゃん、お金目当てで近づいてくる人は嫌なんでしょ?だからアタシは出来るだけキョウちゃんにお金を使わせずに付き合っていきたいの」
「ヒロ…」
ヒロがそんなことを思っているなんて知らなかった。これまでにもヒロがそういうものを遠慮するような素振りを見せることはあったが、単純に金銭感覚の違いに困惑しているだけなのだと思っていた。
確かにお金目当てで近づいてくる人間はたくさんいて、俺はそういうのにうんざりしていたけれど、ヒロがそうではないことなんて俺はちゃんとわかっているし、俺だってヒロにお金を使うことを嫌だなんて思わないのに。俺はヒロを幸せにすることだったら何をしたって構わないのに。俺のちっぽけな意地のためにヒロが我慢をしているのなら、そんなことは全然しなくたっていいのだ。
「違うの、キョウちゃんのためとかそんなんじゃなくって、お金なんてなくたってアタシはキョウちゃんがキョウちゃんだから好きよっていうのを誇示したいだけのアタシのわがままなの。ごめんね」
ちらりとヒロの顔を窺い見れば少し辛そうに唇を引き結んでいた。そんな顔をさせたかったわけではない。俺はヒロを喜ばせてあげたいのに。
「謝らないで、ヒロ」
上半身を起こし、正面からヒロを見る。
「それでもやっぱり俺のためだよね。ありがと」
ヒロは左腕を伸ばし、そっと俺の頬に触れる。
「だけどヒロ、俺はお金を使うこと以外の祝い方を知らないんだ。誰と付き合ってもお金目当てに見えてしまっていたのは俺のせいかもしれないね」
「しょうがないわ、キョウちゃんおバカさんだもの」
ヒロは小さく笑う。
「そうね、高校生男子の誕生日なんて、遊びに行った先でアイスのひとつでもおごってくれたらそれで十分だと思うわ」
「そんなの誕生日じゃなくても普通にあるじゃんか」
「そうよ、でもそれでいいの。大事なのは同じ時間を共有することと、誕生日だから何かしてやろうっていう気持ちなのよ。それだけあれば場所も物も何だって構わないものよ」
ヒロの言葉はいつだって俺の胸に刺さる。俺が知らないたくさんのことを教えてくれる。ちゃんとなるほどって思える言葉で与えてくれる。
「わかったよ、ヒロ。じゃあ今度の休みにデートをしよう」
「あ、デートだから俺が全部おごるとか言うのなしね。アタシは女の子じゃないわ」
言おうと思ったことを先に禁止されてしまって俺はぐっと押し黙る。ヒロは結構頑固者だ。お金は使わせないと言ったからには何をするにも割り勘で通すのだろう。お金しか武器のない俺には入り込む隙間がない。もしかして俺にとってヒロを落とすというのは人生最大の難関というやつなのではないだろうか。武装を全部引きはがして素手で素っ裸で戦わなくてはいけないのだ。そうしなければヒロは相手をしてくれない。ただのおバカさんに成り下がった俺には勝算がない。
むむむと眉間に皺を寄せていると、ヒロはきゅっと俺の頬を軽くつまんで引っ張り、いたずらっ子みたいな顔で笑った。
「そうね、誕生日だから特別にアイスはダブルにしてもらおうかな」
それでもヒロは優しいからそうやってちょっとだけ道をあけてくれる。俺が俺らしくいられる場所をちゃんと残してくれる。きっと、ちょっとずつ嗜めながらも、最終的にはどんな俺でも受け入れてくれるのだろう。その大きさに心をぐっとつかまれる。ああ、ヒロが好きだ、好きだ、と胸の奥の方が激しく自己主張して俺を突き上げる。
「まかせとけ。3つでも4つでも5つでも好きなだけ乗せればいい」
このまま組み敷いて激しくキスしたい欲望をギリギリの所で抑え込み、わざとらしいドヤ顔で誤摩化した。
「バカね、お腹壊すわ」
くっくっとヒロが笑うリズムに合わせて、ヒロに握られたままヒロの体に乗っかっている俺の手もぴょんぴょんと跳ねる。
物ではなく俺との時間と気持ちが欲しいというヒロ。もしかしたらヒロだって俺のことを好きなんじゃないだろうかと少しうぬぼれてしまう。自分の抱く恋心と何が違うのかよくわからない。
「ヒロ、大好き」
甘えるようにヒロの胸の上に頭を落とすと、ヒロは何も答えずただ俺の頭の上に手を乗せて、抱きしめるようにちょっとだけ力を込めた。
<終>
そこまでいくから 月之 雫 @tsukinosizuku
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