第3話:祝福の北門

「あんた、どうせ私が協力しなくてもマウントポラリスを目指すつもりなんだろ? まったく……ほっとけないよ」

「すみません……ありがとうございます」


 ミラは優しく微笑んだ。


「いいっていいって、これも何かの縁だ。とりあえず明日いろいろ準備して、明後日には出発しようか。私も旅の仲間ができてうれしいよ」

「あ、あの、何を準備したらいいかとかのアドバイスだけでも充分です。一緒に旅をするのは、足を引っ張ることになると思うので」

「まあ、最初は素人だしそうだろうな。だから、旅をしながら、危険生物と出くわしたときの戦い方を私が教えていく。見たところあんた、炭鉱で仕事して身体が鍛えられてるみたいだし、素材は出来上がってるよ。あとは技術を身体に叩き込めば、それなりに生存率は上がる。そうなればもう足を引っ張るとかじゃなくて、私とあんたは肩を並べた同じ冒険家だ」


 素材は出来上がっている……。今まできつい思いをして働いてきたことは、決して無駄じゃなかったんだ。


「あの、気持ちは嬉しいです。でも、戦いを教えながら進むなら、時間がかかりますよね」


 しばらく沈黙し、ミラは笑いだした。


「ははは! 若い子が大人に気を使うなよ! 私は別に急いでるわけじゃないから、大丈夫だよ。それに、マウントポラリスまでの道のりはかなり長いみたいだからな、気長にいこう。とにかく、明日は出発に向けて準備しような」


 ミラは突然、私に向けて右手を差し出した。それが握手を求めているのだと分かるのには少し時間がかかった。


「よろしくお願いします」


 ミラの右手を両手で握った。


「よろしく、エリス。あと敬語はやめてくれ」

「……うん」


 ミラと私は照れたように笑い合った。その後、明日の待ち合わせの約束をしてバーで別れた。




 次の日、銀行で貯金の全額をおろしてからミラと落ち合った。


 まずは装備品を見に行った。ミラいわく、危険生物と遭遇したときに、冒険家は戦うよりも先に隠れて逃げることが先決らしかった。戦うことはあくまで最終手段で、危険生物から速く逃げるには身なりを軽くする必要があるそうなので、急所を守る最小限の防具をミラに選んでもらった。買ったのは胸部、腹部、首を守る金属の防具と、小手だけだった。最低限とはいっても私にとっては充分重かった。


 次に武器を見に行った。いざ武器屋に行くと、武器の種類が多すぎてどれを選べば良いかさっぱりわからなかった。他の冒険家の客が装備している武器を見てみると、身体の大きな人が鈍器といった重いもの、身体の小さい人が小ぶりな武器を身につけていた。


「小さい武器の方がいいかな」

「そうだな。扱いやすいものがいいだろうから、無難に軽い長剣と短剣がおすすめだな。槍や鈍器はとてもじゃないが訓練しないと上手く扱えない」

「なるほど……。ちなみにミラは何を使ってるの?」


 ミラは昨日と同じように身体全体を覆うローブを着てフードをかぶっているため、何を身につけているのかわからない。


「私は剣と盾使ってるよ、ほら」


 ミラはローブの隙間から腰に提げた長剣と丸盾を見せた。どちらも無数に傷が付いており、長年愛用しているよう見える。しかし、それよりも気になるものが目に付いた。


「すごい重武装……」


 ミラのローブの中に、かなり重そうな鎧が見えたのだ。


 ミラが歩くたびにガシャガシャ聞こえていたのはこのためだったのか。さっきの防具屋で軽装備を勧めていたのに、本人がここまで重武装だとは思わなかった。


 ミラは私の考えていることを読み取ったのか、突然慌てて鎧を隠した。


「い、いやあ……! あのだな。いままでずっとこういう装備でやってきたんだ。まあ……本当は軽装備のほうがいいんだろうけどね、これだけはちょっと譲れないというか何というか」


 何に慌てているのかよくわからなかったが、この際だから気になっていたことを聞いてみることにした。


「あの、昨日から気になってたんだけど、どうしてそんな身を隠すような格好を? 旅をするにしては、ちょっと動きにくそうだなって」


 他の冒険者は軽装備に武器を身につけ背嚢を背負っている格好の人が多いのに対して、ミラは全身を覆うローブに背嚢を背負っているという、アンバランスな見た目をしていた。


 ミラは口の横に手をあて、私の耳元に近づいて小声で話す。


「実はな……私は密入国者なんだ」

「……なるほど」


 しばらく沈黙があった。


「……いや、驚かないのか!? 勇気を出して暴露したんだが」


 私の反応が薄かったのが少し残念みたいだった。


「ごめん、あんまりピンときてなくて。でも、ここはアース王国の田舎だよ? 犯罪者を取り締まる国軍なんてこの辺で見たことないし、身を隠さなくても大丈夫じゃないかな」


「そうか……」


 ミラはその場でスカーフを取りローブを脱いだ。長い金髪が波打った。


 アース人の顔立ちではないが、凜々しくて美しい顔をしていた。思わず見とれてしまう。


「このローブ、かなり暑くて嫌になってたところだったんだよ。……ん、どうした?」


「あ……いや、とてもきれいな人だなって」


 ミラは目をぱちぱちしていたが、突如、豪快に笑いだした。


「あっはっはっはっは! きれいとか久しぶりに言われたから、びっくりしたよ、ありがとうな」


 そう言って微笑むミラは、少し寂しそうだった。


「さ、武器を選ぼうか」


 気の利いたことを言うべきかと思ったが、ミラについてよく知らないので何も思いつかず、頷くことしか出来なかった。


 一通り武器を物色したが、結局ミラに言われたとおり長剣とダガーを購入した。長剣は中でも最も軽いものを選んだため、腰に提げても重いとは思わなかった。他にはダガーの予備と、戦闘以外に使うナイフを二本、研石を買った。けっこう荷物が多くなったところで荷物入れをまだ手に入れてないことに気づき、とりあえず武器屋で買ったものはミラの背嚢に入れてもらい、雑貨屋に向かうことにした。


 雑貨屋では背嚢、野営の道具一式と、丈夫で動きやすい靴や防寒着、薬などを買った。他に必要なものをミラに聞くと、調味料が意外と大事らしいので、市場に行き調味料と保存食を買った。旅をしていて、食材は狩りや採集で調達できるが、調味料だけがどうしても手に入りにくいとのことだった。


 他にも必要そうなものを見回っているうちに、あっという間に日が暮れてしまった。必要なものは揃ったので、明日「北門」で落ち合うことを約束してミラと別れた。


 そう、マウントポラリスの頂上を目指す冒険家の出発点と言われている「北門」で待ち合わせをするのだ。ついに、私もひとりの冒険家として、あそこに行く。そう思うと、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。マウントポラリスの光を目指して旅をするという、ずっと願っていたことが叶うのだ。嬉しくて仕方がなくて、そわそわして何度か目が覚めてしまい、あまり眠れなかった。


 そうしているうちに朝になった。約束の時間が近いので、ベッドから起き上がる。寝不足だったが、いつもみたいに最悪の気分ではなく、とても清々しい朝だった。身支度を済ませ、昨日のうちに準備していた背嚢を背負う。そして、腰にベルトを付けて左の方に長剣を、右の方にダガーを提げた。素人だが、見た目は冒険家になっているはずだ。


 壁にかかった鏡で自分の姿を見たら、あることが気になった。納得がいかなかったので、背嚢の中からナイフを取り出した。




 家を出て北門に向かう足取りは軽かった。朝日が出始めて、私が歩く道を照らしていた。小走りで向かい、あっという間に北門に着いたが、早く来すぎたようでミラはまだ来ていなかった。


 北門は冒険家の出発点という特別な意味があるため、他の門とは異なり美しい装飾が施されていた。たまに見に来ることはあったが、今日の私にとっての北門は、門出を祝福するものだった。


 こんなに朝早いのに、何人かの冒険家とすれ違った。ひとりの人もいれば、複数人で北門をくぐる人たちもいた。ひとりでマウントポラリスに向かうのと複数人で向かうのは、どちらが有利なんだろうか。複数人で向かう人たちの方がにぎやかで楽しそうにしていたから、厳しい環境で生き残るには、やっぱり話し相手がいた方が気を保てるような気はした。夜を迎えたときのことを考えたら、複数人だと見張りを立てられるし、ひとりだと無防備になってしまう。そういう点でも複数人のほうが有利に思えた。


 ひとりの冒険家も、複数人の冒険家たちも、共通して明るい顔をしていた。どの人も自信と希望に満ち溢れた表情だった。北門の下で立っている私に対して軽く挨拶してきたり、「頑張ろうな!」と声をかけてくる人もいた。炭鉱で働く人たちは私に対して冷たい態度しか取らなかったから、私はどういう対応をすればいいかわからず、彼らに対して微妙な返事をするだけだった。


 しばらく待つうちに、ミラが歩いてくるのが見えた。ミラはローブ姿ではなく、昨日の重装備に背嚢を背負っている格好だった。街中から闊歩してこっちに向かってくるその姿は、行軍する兵士のような風情で目を引くものだった。私を発見すると手を振ったが、あることに気づいて驚いているようだった。


「おはよう! エリス、その髪どうした!」

「うん、今朝切ったばかり」


 今朝、鏡を見て、ぼさぼさでまとまりのない長い黒髪が気になり切ったのだ。門出の今日くらい、ちゃんとしていたかった。顎の高さくらいまで短く切りそろえて、前髪もきれいに切りそろえた。昨日より雰囲気がだいぶ変わったと自分でも思う。


「良いな! なんというか、ハカマを着たら似合いそうだ」

「ハカマ……って?」

「東洋の服だ、ここからはるか東の国の、ね。旧友に似た髪型の子がいてね、その子がハカマを来ていたもんだから。とにかく、さっぱりしててかっこいいぞ」


 ミラの素直な褒め言葉が嬉しくて照れてしまうので、私は少しうつむいて、ミラから顔を隠そうとした。


「ありがとう……さあ、行きましょう」


 にこやかだったミラが、急に真剣な顔になった。


「エリス、この門を抜けたら、ずっと危険地帯だ。いつ死んでもおかしくない環境だ……あんたのことは出来るだけ守るが、自分の身は自分で守るつもりで、気を引き締めてくれ」

「ええ……」


 私とミラは北門を抜けた。


 街を振り返ってみる。もう、この街には戻れない可能性が限りなく高い。この街も、北門も、二度と見れない風景かもしれないのだ。


 北門を目に焼き付けて、私は前へ進んだ。

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エリスの伝記 辰巳杏 @MWAMsq1063

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