第2話:冒険家ミラ

 揺れがひどくなる中で、私は壁に手を付いてようやく立ち上がることが出来た。


「どけ! 邪魔だ!」


 突然、肩に痛みが走ったかと思えば壁に叩きつけられた。一瞬わけがわからなかったが、目の前に現れたのはウルサの背中だった。ウルサは私よりも坑道の奥の方にいたはずで、私と同じように落盤の危険を察知して逃げてきたのだろう。私がのろのろ走っているうちに追いついてきて、通り道を塞ぐ私が邪魔になり突き飛ばしたのだ。ウルサの背中はみるみる小さくなり、光の中に消えた。


 坑道内に轟音が響き渡る。すでに坑道が崩れ始めている。巻き込まれるのは時間の問題だった。


 立ち上がろうとしてもバランスを崩す。このまま間に合わなくて死んでしまうのか。


「いや……だ、絶対に」


 このまま死にたくはない。ウルサにやられっぱなしのままで死にたくなんかない。


 私は、ウルサに抵抗することを諦めて、耐え続けるだけだったのが悔しかった。いつも好き放題やってるウルサが羨ましかった。冒険家になりマウントポラリスに登頂したい、と堂々と表明しているあいつが羨ましかった。ウルサが冒険家になるつもりだと知ったとき、先を越されたような、間接的に自分の夢を潰されたような気分になった。


「負ける……もんか」

 壁に手を付き勢いよく立ち上がった。バランスを崩さないように壁に手を付きながら、一歩ずつゆっくり進んだ。そして、光の中に飛び込んだ。




 あれから夢中で走った。坑道を脱出し、駆けつけた他の炭鉱員の声を無視して走り続けるうちに、気がついたら夜の街の中にいた。人がいるところに来ると、途端に安心して力が抜けた。目の前のバーの横にあるワイン箱が目につき、そこに座る。


 これからどうしようか。炭鉱に戻る気はもうないから、マウントポラリスに行く準備をして、出発するしかない。準備とはいっても何をすればいいのか想像がつかないが、とりあえず銀行に行って貯金をおろして、それで食料や護身用の武器、防具、衣服を買えばいいだろうか。今日はもう銀行は閉まっているだろうから、明日には出発の準備をして、あさってに出発しようかと考えた。


 うーん……。あんまり自分の考えに自信がない。いくら考えたって素人の考えでしかないし、できることならプロの冒険家に話を聞いてみたい。


 目線を落とすと、地面に新聞が落ちていた。おそらく、ここのバーの主人が落としたのだろう。日付を見ると今日のもので、冒険家に関する記事がないかと思い、手に取ってみた。


 学校に通っていなかったため、文字は習わなかったが、目についた文字を覚える努力はしているので少しは読むことができた。細かいところは読めなかったが、見出しは理解できた。一番大きな見出しは「城前にて労働運動、軍が弾圧か」だった。もう炭鉱をやめる自分には関係ない話だろう。他には「ウルスプルング王国の将軍アイリス、退役後失踪か」とあった。外国の話も自分には関係ないだろう。他の見出しも冒険家と関係があるように思えなかった。


「はあ……」


 新聞を横に置いてため息をついた。バーの中から話し声が聞こえる。そのとき、ある考えが浮かんだ。


 この街はマウントポラリスに最も近く、「北門」が登頂への出発点となっているため、冒険家っぽい見た目をした人をよく見かける。ここのバーにも出発前の冒険家がいるかもしれないから、それっぽい見た目の人に話しかけてみるのだ。


 バーに入るとすぐに、目の前のバーテンダーに嫌そうな顔をされた。バーテンダーからすれば、みすぼらしい見た目の未成年が店に入ってきたのだ。それは嫌な顔をされても仕方がないが、今はそんなこと気にしている場合じゃない。店の中には何人か客がいて、テーブル席の一番奥に、フード付きのローブをまとった人がいた。一人のようだが、横に大きな荷物を置いているのがいかにも冒険家っぽい。


 迷わずその人のところに向かう。その人は近づいてくる私に気づき顔を上げた。口元は黒いスカーフで隠れており、顔全体はわからなかったが、青い目の女の人だった。青い目はこの国では珍しい。異国人だろうか。かぶったフードの隙間から金髪が見えている。


 切れ目の瞳が私をとらえた。眼力が強く、話しかけるのをためらってしまった。


「どうした?」


 優しい声色だったが、低くて勇ましい声だった。


「あの、相席してもよろしいでしょうか」


 みすぼらしい格好をした未成年の相席の申し入れなど断られると思ったが、意外なことに女の人は嬉しそうに答えた。


「もちろんだ。実のところ一人だと退屈でね、話し相手が欲しかったんだ。さ、遠慮なく座ってくれ」

「あ、ありがとうございます」


 女の人は向かい側の席を指差した。ダメ元だったので少し驚いた。


「ここら辺の人?」

「はい、炭鉱で働いていました」

「いました、ってことは今はもう?」

「実は今日やめたんです」

「えっ!!」


 女の人の驚く声がバーに響き渡り、客やバーテンダーの視線が女の人に集まった。


「あの……声大きいです……」

「ごめんごめん」


 女の人は照れくさそうに笑う。


「名前聞いてなかったね、何ていうんだ?  私は、そうだな、ミラとでも呼んでくれ」

「ミラさん、ですね。エリスです」

「ミラでいいよ。それで、なんで仕事やめたんだ? 」

「今日、炭鉱で落盤があったんです。なんとか逃げ出せましたが、明日もあさっても、これまでと同じように仕事を続けたいと思えなくなってしまったんです。死にそうな目にあって初めて、自分がやりたいことをやって生きていこうと思いました。実は、マウントポラリスに登りたくて……何を準備するべきか冒険家に聞こうと思って、あなたに話しかけました」


 ミラは急に真面目な表情になった。


「落盤か……大変な思いをしたんだな。怖かっただろうに。確かに私は冒険家で、マウントポラリスを目指してこの街に来たし、明日、山に向けて出発するつもりだよ。あんたの読みは間違ってない。でも、あんた素人だろ? 戦いの経験がない者がマウントポラリスに挑むのは正直言って無謀だ。私はおすすめしない」

「……何を準備すればよいかだけでも知りたいんです。死にに行くつもりでもいいんです。それでも、死ぬなら、あの光を目指して死にたいです」


 ミラはしばらく考え込んだ。


「うーん……。死ぬ危険を承知の上っていうのは冒険家そのものの精神だな。私もひとりの冒険家としては、できたら光に辿り着けたら良いなとは思っているが、途中でくたばっても、まあ仕方がないかな、くらいなもんだ。だが、私はマウントポラリスの恩恵の噂を聞きつけて、願いを叶えるために、はるか遠くから旅をしてきた身だ。危険を冒してまで登る覚悟があることに関しては自信がある。マウントポラリスに向かう道程は、簡単に命を落とす場所だ。だからこそ、あんたには軽い気持ちで挑戦して欲しくないんだ。エリス、あんたには覚悟を決めるような願いがあるのか?」


 願い、か。正直、あの光に辿り着いたときに願うことなんて、私にはなかった。


「願いはありません」

「ない……? ないってことはないだろ。ほら、お金持ちになりたいとか、力が欲しいとか。この街でいろんな冒険家と話をしてみたが、大抵はそんなことを言う」

「お金や力は自分には使いこなせないと思います」

「じゃあ、光の正体を知りたいとかは? そういう研究者が冒険家になる例もあるみたいだぞ。マウントポラリス周辺の生態系を調べようとする者もいた」

「うーん……そこまで興味はないです」

「じゃあ、ほんとに願いがないってことか」


 ミラは空いた口が塞がらない、というような顔をしていた。


「はい。願いというよりは、光を目指してみたいだけです。小さい頃からこの街の炭鉱で働いてきて、マウントポラリスの光に勇気づけられて生きてきました。光を目指して死ねるなら悔いはないです。これまでと同じように炭鉱で働いていたら、今度こそ落盤で死ぬかもしれない。それこそ悔いが残ります」

「そうか……」


 ミラはしばらく考え込んだが、納得はしていないようだった。


「じゃあ、危険のない仕事をすればいいじゃないか。この街じゃなくても、都市に出稼ぎに行くとか。エリス、あんたまだ子どもだろ? 死に場所を探すなんて早すぎる。十分に働いてからでも……」

「あの」


 私はミラの言葉をさえぎった。


「もう決めたことなんです。あの光……マウントポラリスの見えない場所で生きて死ぬなんて私には考えられない」


 ミラは目を閉じて悩んでいたが、やがて折れたのか、うなだれた。


「……わかったよ。協力しよう」

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