女神の祝福の元で

 暗い色の木々の茂る鬱蒼うっそうとした森。

 その中にたたずむ、苔におおわれた一軒の家。「魔女の家」と呼ばれる家だ。


「久しぶりに来たけど、何も変わってないわ」


 薄桃色の髪の少女は、懐かしそうに家を見上げて言った。


「あぁ、懐かしいな。『帰ってきた』って気がするよ」


 黒髪の青年も少女の隣で家を眺める。

 懐かしさにエルシーは微笑んだが、少し寂し気なものがその顔に現れていた。

 バートランドは力づけるように言った。


「一回りしたら、神殿へ行こう」

「えぇ、何があるのかしら」


 裏庭へ足を運ぶ。納屋の前の草むらを示して、エルシーは言った。


「ここで貴方を見つけたのよ」

「あの時は、本当にもう死ぬんだと思ってたよ。でも、ここから新しい人生が始まったんだ」


 バートランドは感慨深く語った。


「エルシーが本当に綺麗で優しくて、聖女そのものだったよ」

「…………」


 エルシーはほんのりと赤くなり、草むらを見つめていた。


「あの時は、貴方がこれほど大切な人になると思わなかったわ」

「俺にとっても、今君が一番大事な人だ」




 二人は連れ立って、戸口の前に歩みよった。


「ここから見た夕日が綺麗だったわね」

「あぁ。はっきり覚えてるよ。ルビィがいなくなると言ってたね。その時のことを思い出しては、必ず君の元に帰るんだと決心したよ」

「ずっと不安だったわ。貴方が帰って来てくれるのかどうか」

「信じてなかったのか?」


 バートランドは笑って尋ねた。

 エルシーは顔にうれいを浮かべて、目を伏せた。


「ブラックウッドは貴方の故郷だし、大事な人がたくさんいるでしょう?それに、まだ私のことをどれだけ考えてくれているかわからなかったもの」

「そうだな……生まれ故郷が大事なのは変わらないけど、今はここが俺の故郷なんだ。俺はいつでも、エルシーのいる所に帰りたいと思うよ」

「私も、離れている間はいつも貴方を想っているわ」




 家の中に入り、部屋部屋を見て回る。

 一緒に食事をした部屋。

 かつて二人で踊った広間。


「あの日はとても楽しかったわ」

「うん……隠れたエルシーを引っ張り出すのが大変だったな」


 照れた表情を見せるバートランド。

 エルシーも少し赤くなりながらも、くすくす笑った。


「よく頑張ってくれたわ。聞いてて恥ずかしくてたまらなかったわよ」

「……もう一度、踊ってみる?」


 二人は、手を取り合って、くるくると舞った。

 踊りを楽しみながらも、かつて共にいた小さな妖精のことが思い出されて、エルシーは寂しさを感じた。

 バートランドが優しく言った。


「他の所へ行こう」

「えぇ」




 バートランドはエルシーの手を引いて、裏庭へ出て、小さなベンチの前までやってきた。

 星の輝く空の下で再会を約束した、その場所。

 無言のまま、二人は並んで腰かけた。


 木々の間から、小さな青空がのぞく。

 さわやかな初夏の風が優しく二人を包む。


「お別れを言うのが辛かったわ。私はしっかりして見えたかしら?」

「声はしっかりしていたけど……」


 バートランドは言いにくそうに言葉を続けた。


「俺は、冒険者だから」

「?」


 彼が何を言おうとしているのかわからなくて、エルシーは首を傾げた。


「夜とか暗いダンジョンの中で戦うこともあるから、夜目が効くんだ」

「!」


 見られていないと思っていた涙を見られていたのか。

 気づいたエルシーは狼狽うろたえた。


「ごめんなさい、私……。貴方が旅に出にくくなると思って、我慢していたのに……」


 バートランドは優しく微笑んだ。


「もう我慢しなくていいんだ。だから―――」

「えぇ、ありがとう……」


 エルシーはあふれ出す涙を止めるのを止めた。




 しばらくして落ち着いたエルシーは、森に来た目的について考える。


 聖女菜々美から、「女神の伝言」として、古代神殿へ行くようにと聞いていた。

 女神となったかつての小妖精ルビィから一体何を伝えられるのか。

 もしかしたら……


 エルシーは密かな期待と不安で落ち着かなくなった。


「ルビィの伝言が気になるわ。そろそろ神殿へ行ってみない?」




 白い石造りの建物はかつてのまま、静寂と安らぎに満ちていた。

 半透明の人影や小さな生物があちこちから顔をのぞかせる。

 二人について来る精霊もいた。


「人間に慣れてきたのかしら」


 微笑んで歩くエルシー達は、光の差し込む小さな庭に出、地下への階段に向かった。

 苔むした階段を慎重に降り、聖剣の置いてあった台座に近づく。


「あ……」


 台座の背後の女神像が光を放っていた。日の光のような温かく優しい光。

 一際強く白い輝きが部屋中に満ちたと思うと、懐かしい姿が現れた。

 紅玉のような赤い髪、鮮やかな緑の瞳に尖った小さな耳、透き通る羽。威厳に満ちた、しかし優しい微笑を浮かべた少女。


「ルビィ!」


 駆け寄ってくるエルシーを女神は優しく受け止めた。


「幸せに暮らしていますか?」

「えぇ!毎日楽しいわ。……時々、寂しくなることはあるけど」

「仕方ないですね。―――と言っても、私もまだ女神になったばかりですから、貴女達が恋しくなることがありますよ」


 エルシーは涙をぬぐいながら、微笑んだ。


「こうしてまた会えるとは思えなかったわ。―――また、会いに来ていいの?」

「貴女はもう私の助けがなくてもやっていけるはずですよ。でも、たまにはいいでしょう」

「えぇ、私はこれからもずっと努力していくわ。周りの人達をもっと幸せにするためにも」


 ルビィは頷いて、バートランドに視線を移した。


「エルシーを頼みますよ。―――そろそろ、言いたいことがあるんじゃないですか?」


 ルビィは悪戯いたずらっぽく微笑んだ。

 エルシーが彼を振りかえると、きまり悪そうな顔をして少し赤くなった。


「では、今日はここまでです。幸福になりなさい、女神の祝福を貴女達に……」


 微かに明滅めいめつすると、女神の姿は消えていった。

 二人だけで取り残され、エルシーとバートランドは顔を見合わせた。


「―――外に出よう」




 神殿の外、花に囲まれた大きな噴水の前で、二人は並んで座る。

 穏やかな美しい景色に心が幸福で満ちていく。

 それは、景色のためだけではなく―――。


「こうして、これからもずっと―――」


 バートランドがゆっくりと語り始めた。

 エルシーは彼をじっと見つめていた。


「俺と一緒にいてくれないか?この先の人生を……いや」


 バートランドは美しいすみれ色の瞳を、真剣な濃青の瞳で見つめながら、はっきりと言った。


「俺と結婚して欲しい」

「はい」


 エルシーは短く答えて、笑顔を浮かべた。

 煌めく涙をバートランドは全身で包み込むように両腕を彼女の背に回した。




 こうして、凛々しい勇者は美しい姫と結ばれ、この後も皆幸せに暮らしました。

 二つの世界でヒロインを務めた少女は、苦難を乗り越え、彼女に相応しい幸福を手に入れたのです。




 完

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聖女ヒロイン、逆ハー詐欺にあう 秋風遥 @aki_haru

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