西暦2084年の駆け込み訴え

弥田 朋克

『西暦2084年の駆け込み訴え』

 あのひとを殺してくれ。

 結社の隠れ家を教えてやる。あの女も、クソみたいな信者共も、みんなそこにいる。

 全員捕まえて、研究施設は焼き払って、あの女を……決して思考洗浄ゾンビ・ウォッシュなんかで済ませるな、絶対に……確実に殺してくれ。首を撥ねてやれ。

 あの高慢ちきで、人を見下した……血の凍り付いた反社会分子……我ら市民の永遠の敵……ふしだらな淫売を……永遠に葬ってやるのだ。


 私はずっと騙されていたんだ。そうでなければ、どうして結社なぞに入ろうか。信じてくれ。あの女と出会うまで、私はこの社会に疑問を抱いたことなど一度もなかった。ただの一度もだ!

 そう、私はたぶらかされたんだ。あの女に。……あの美しい容姿に。可愛らしい声に。

 あの女と出会うまで、私はしがない売人プッシャーにすぎなかった。最下層区域で合成麻薬を売りつけては日銭を稼ぐ、ありふれた貧民のひとりだった。

 そりゃあお前ら憲兵どもに捕まったことも一度や二度じゃない。でも思想犯罪に手を染めたことなんて一度もなかった。そもそもそんな大それたこと、考え付きもしなかったんだ。最下層民に思想なんてねぇ。私たちはいつだって、その日その日を生きるので精いっぱいだからな。


 それを、あの女は……。


 あの女と初めて出会ったときは、そりゃあ驚いたよ。いや、気味が悪かったと言ったほうがいいかもしれない。

 いったいどうやって探しあてたのか、私の隠れ家に訪れたあの女がフードを脱ぎ、素顔をさらした時のあの衝撃!

 どこかで見たことあるような既視感……それでいてその容姿は、一度見たら忘れられないほどに美しかった。

 透き通るような肌、瑞々しい艶髪、ほのかに香る甘い体臭……。

 最下層の人間でないことは一目でわかった。私たちはいつも薄汚れていて、垢まみれで、異臭を放っているからだ。

 私はその時、産業廃水の再浄化リサイクル施設に寝泊まりしていたから、余計に臭かった。毎朝ヘドロと薬剤の入り混じった廃水に浸かって、麻薬の原料を掬い取っていたんだ。

 ……そんな私を、あの女は、嫌な顔ひとつせずに抱きしめた。


 あの女は初対面の私にこう言ったよ。

 今でも一字一句覚えている。


 「こんなところにいたのですね。ようやく見つけました。もう安心です。あなたは今日からわたくしの妹です。わたくしたちは家族です。こんなひどい生活はもう終わりです。これからはいつだって、わたくしが共にいますからね」


 怪しすぎて笑っちまったけど、逆に興味もあった。上層市民様がこんな私になんの用かってな。

 だからおとなしくあの女の言うとおりに従った。

 そしたら驚いたよ、なんとあの女は、私を第三層までこっそり連れてきたうえ、人目につかないようにすることを条件に住処まで与えてくれた! あはは、第三層だ、信じられるか!? 偉そうに私を追っかけまわしてたお前ら憲兵共ですら、あんなところに足を踏み入れることは一生ない!


 あの女はこの社会に怒っていた。上層の連中の腐敗に怒っていた。生まれながらに搾取されるづけることが決められている、下層の私たちのために怒っていた。


 あの女は、いろいろなことを私に教えてくれた。

 その中でも一番驚いたのは、なんと私はあの女のクローンであるらしい。私たちが生まれたころ、上層では臓器移植のためのスペアとして、クローンを作るサービスが流行していたらしい。だがそのサービスは論理委員会に糾弾され、凍結されることになった。結果、残された無数のクローンベイビーたちが最下層へとこっそり捨てられたのだという。

 つまり私たちは実際に姉妹であったのだ。いや、姉妹どころではない。双子よりもなお近い、まさに半身同士だったのだ。


 とはいえ、上級委員会に捕まる危険を冒してまで、下層民をかばう者は、あの女以外にはいない。

 あんな気高い人間は生まれて初めて見たし、上層で暮らし始めてからも一度も見てない。たぶんこれから先も、あんな人間に会うことは、ただの一度もないのだろう。


 その気高さが故に、彼女はいつも人に囲まれていた。

 結社はもともと、そんな彼女の怒りに共感した人々の集まりにすぎなかった。

 あの女は、私を結社の会員たちに紹介してくれた。

「彼女はわたくしの妹です。みなさん、仲良くしてあげてくださいね」

 あの女の一言で、みんな私に一目置いた。

 上層の奴らが下層出身の私にこびへつらう様は見てて痛快だったが、それもつかの間のこと。私はすぐに奴らの正体を見抜いてしまった。

 なんのことはない、結局、あいつらはみんな、あの女にたかる寄生虫でしかなかったのだ。

 みんなあの女に心酔していて、あの女の言葉をみじんも疑っていない。

 あの女のことを神の使いだと信じて、女神だなんだとぬかしている。

 ……ふん、バカばっかりだ。どいつもこいつも、そろってあの女に近づく資格なんてない能無しぞろいだ。

 結局あいつらは、自分の人生のくだらなさを、あの女の気高さで誤魔化したかっただけだ。あの女を支持することで、間接的に、自分も気高い人間であると勘違いしていただけなのだ。


 あの女は女神なんかではない、ただの人間……弱い人間だ。

 半身である私にはわかる。


 しかし、だからこそ……その弱い人間が気高い理想を抱き続ける姿勢こそ、なにより尊いものだというのに、奴らは何もわかっていない。

 あの女が、信者共に消費されていく様を見るのは、心底不快だった。

 あんな貴い人が、心底つまらない凡夫どもにちやほやされ、いい気になっている……。

 なにを言っても褒めそやされるのだから、吐く言葉もだんだん適当になっていく。

 義憤と不満を取り違える。

 喝采と正義を混同する。


 そう、あの女は女神なんかではない。あんなに気高い理想と優しい心を併せ持っているというのに、根っこのところでは俗っぽい、人並みの感情に支配されていたのだ。

 私が何度忠告しても、あの女は聞く耳すら持たなかった。

 そうして、ろくでもない取り巻き共に持ち上げられ続けるうちに、あの女は決定的に間違ってしまった。


「みなさん。わたくしは、ついにこの歪んだ社会を正す、唯一の計画を思いつきました。共に立ち上がってください。わたくしたちは、正義のために、この世界を変革するのです!」


 その時沸き上がった歓声の、なんと耳障りなことか!

 結局、あの女のことを本当に理解していたのは私だけなのだ。

 あの女は、ただ優しいだけの、愚かな娘でしかないというのに。

 その愚かさが故に誤った道に進んでしまわないよう、大事に守ってやらなくてはいけないというのに。


 だけど、そうなってしまったものは、しかたがない。

 私はあの女のためになら、なんでもやるつもりだった。

 あの女は私の半身だ。もうひとりの私自身だ。

 ありえたかもしれないもう一つの可能性なのだ。

 たとえおとぎ話に聞こえようと、あの女がそうあれかしと望むなら、この社会を転倒させてみせる。


 私は結社の人間を使って、最下層まで人目につかずに移動できる裏ルートを作りあげた。

 計画のためには、莫大な資金……それも委員会の目につかない裏金が必要だった。

 しかしあの女も、信者たちも、生まれてこの方、まともに労働なんてしたことがないのだ。

 しかたなく私は昔の仕事ビズに復帰することにした。

 産業廃水をリサイクルした合成麻薬づくりだ。

 もちろん最下層の貧しい経済圏では、こんなものいくら売りつけたところで大した足しにはならない。

 私の目標は第七層以上の中間層からより上……できれば最上層に至るまで、この麻薬の中毒者ジャンキーを作り出すことだった。

 そのために私は……まあ、このあたりの顛末はお前たちもよく知ってるから割愛しよう。

 知っての通り私の計画は成功し、清廉潔白だった都市にはにわかにドラッグがはびこった。

 まぁ、中間層以上はアルコールの刺激すら知らないようなチェリーどもばかり。一度ドラッグの味さえ覚えさせてしまえば、あとは楽だったがね。


 麻薬ドラッグは構成員を増やすことにも役立った。小さなパケひとつのためなら人殺しも厭わないような兵隊が何人も手に入った。

 委員会もバカじゃない。この頃になると、さすがに私たちの存在に気づいたようだ。

 結社は特定思想犯罪組織に指定され、あの女はおろか、私たち幹部連中の顔まで指名手配犯として張り出された。

 しかし、その時にはもう手遅れだった。私たちの麻薬は、憲兵や委員会すら蝕んでいたのだ。


 私は内心得意だった。

 結社のだれも……あの女ですら、こんな成果は挙げられなかった。

 ぜんぶ私のおかげだ。金が集まったのも、人が集まったのも、敵対組織への破壊工作すらも、ぜんぶぜんぶ、私のおかげだ。

 いい子ちゃんの上層民……いかにもお上品ぶった、空腹すら知らない無知蒙昧の豚どもには、こんなことは成し遂げられないのだ。


 だが、私への称賛の言葉はなかった。

 ちやほやされ、皆から褒めそやされるのはいつだってあの女だけだ。


 ふん、それはいいさ。別にあの馬鹿どもにどう思われようが関係ない。

 私が関心を持つのはいつだってただひとり……我が半身のみなのだから。


 そして昨夜、私たちは珍しく隠れ家で二人きりになった。

 明後日、ついに決行される国家転覆作戦の第一段の準備で、私たち以外の幹部はみんな出払っていたのだ。


「あなたは、わたくしのためによくやってくれました」


 だしぬけにあの女は言った。

 それだけで私は天にも昇る気持ちだった。

 至福に打ち震える私に、しかしあの女は……。


「しかし、わたくしはこのようなやりかた、好きではありません」


 そう言われた時の私の気持ちがわかるか?

 私だって別に好きでやってるわけじゃない。

 ただあの女のために……あの女の望みを叶えるためだけに、身を粉にして働いただけなのだ。


 私がいなければ、あの女の計画は永遠に机上の空論のままだったろう。

 それを実行できるようになったのは誰のおかげだ? 私のおかげだ。私の作り出したドラッグのおかげだ。莫大な富と豊富な人材、委員会や憲兵との内通……ぜんぶ、ぜんぶ私のおかげだ!


「……あなたのようなやり方をしなくても、別の道はあったはず。あなたの麻薬のせいで多くの人が不幸になった。それでは真の改革とは呼べません。……もちろん今更こんなことを言ってもしかたないことではありますが」


 私は二の句が継げなかった。

 おとぎ話のようなあの女の改革計画……こいつはあれを、まっとうな方法で推し進めていくつもりだったらしい! まったく、本当に愚かな娘だ!


「どうしてでしょうか。わたくしたちは同じ遺伝子の持ち主であるはずなのに、どこか決定的に違うところがあるようですね」


 どうしてでしょう……? そんなもの決まっている!

 お前は第三層で暮らし、私は最下層で暮らしてきた。

 お前は堕落しきっている! 無知で、蒙昧で、闘争も暴力も、何も知らない……純粋で、無垢な、赤子のような女だ……。私とはまるで違う!!


 ああ、許せない。こんな許せないことがあるか。

 結局のところ、あの女は私のことをずっと見下していたのだ。

 妹だなんだといいながら、心の底では最下層の薄汚れた育ちだと……ひねくれて、人の足を引っ張ることばかり長けた、下品な人間だと笑っていたのだ。


 思い返せば、結社の幹部とはいえ、私の扱いはいつだって下の方。あの女が楽し気に談笑するのは、いつもより育ちのいい人間ばかりだった。

 私のことを家族だと言いながら同じ住処で暮らすことはただの一度もなかった。

 麻薬を作るため産業排水を汲み取る私が、全身から異臭を漂わせる中、あの女が香水を切らすことはただの一度もなかった。

 今にして思えば……いや……思い返す必要すらない。本当はずっと気づいていた。

 気づいていてなお、認めるのが怖かっただけだ。

 あの女は明らかに私のことを疎んでいた。

 同じ遺伝子を持ちながら、粗野で醜く、品性にかける私のことを。

 あの女の信じる正義からはかけ離れた私のことを。


 もう許せねぇ。殺してしまえ。

 あの女になにがわかる。上層でぬくぬくと満ち足りた生活を送ってきたあの女に、私のことが理解できるものか。

 結局、あの女の信じる正義というのもそれっぽちのものなのだ。

 あの女は社会を救うことを志していても、私を助けてくれることはついぞない。

 あの女は堕落した。

 私のことを救い上げてくれたとき……あの女はなによりも貴い人間だった。

 あの美しい精神のきらめき……それももう、張りぼての正義やらに穢されてしまった。

 あの女は、優しさを失ってしまった。

 今、あの女にとって正義とは、人々の喝采を得るための道具にすぎない。

 殺してしまえ。

 これ以上、あの女が堕落していく様を見たくない。

 隠れ家の場所は私が教える。結社の息がかかっている者も全て私が把握している。

 今すぐ行くぞ。さあ、立ち上がれ。


 ……なに? 報奨金?

 バカが。恥を知れ。この私が、いまさらそんなはした金のためにあの女を売ったと……。

 いや、もらおう。私はしょせん売人だ。

 最下層で育った私にとって、それは目もくらむような大金だ。なんとありがたいことか。

 はは、あはは。

 いいか、よく聞け。私は金のためにあの女を売ったのだ。金になることなら、私はなんだってする。

 ……私の名だと?

 そんなものはない。私は棄民だ。最下層の名もなき売人プッシャー。それが私だ。粗野で醜く恥知らず。それが私だ。

 だからお前たちもそう呼べ。私のことは売人プッシャーと、そう呼べ。

 

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西暦2084年の駆け込み訴え 弥田 朋克 @mita_tomokatu

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