拾われる奇跡
梅宮香緒里
奇跡
いざとなったとき、人は、その無力さを知るだろう。道具なしではなにもできないという真実を。
街の中心にある大きな公園の端の木立の中で私は何度空を見上げたことだろうか。
親が子を見捨てることは、本来許されることではない。だが、窮地に陥れば、育児を放棄する人間も少なくない。
私の両親もそうだった。ある朝、起きたとき家の中には自分以外の誰も消えていて、たった一枚の紙だけが私に現実を教えた。
『果歩へ
ごめんなさい、あなたはもう育てられない。お金がないの。わかってね。この家は残し ていくわ。』
家があるだけましという考えは甘かった。1週間後、私はその家から追い出された。借金の担保に入れられていたから仕方ないという説明は見たこともない男から受けた。
その男は私をジロジロと見回した挙句、車に連れ込んだ。私は無我夢中でその男の顔を殴り、そのまま逃げた。
ようやく落ち着いたのは夜になってから。家の近所の大きな公園の木立の中に逃げ込み、穴をほってそこで一晩を明かした。
その次の日から私はバイトを探した。持っているものは契約切れのスマホと、履き古したスニーカー、母親から誕生日に貰ったパーカー。そして自分の貯金3000円。身分証明証代わりの学生証も今となっては顔写真いりのメモ帳だ。
「なんで無理なんですか?!」
「いや、なんでって言われても身分証明できないんでしょ?だったらうちで雇うわけにはいかないなぁ、店員の安全とかもあるし。」
「これじゃダメなんですか。」
「中退した高校の学生証見せられても今なにしてるかわからない以上はねぇ・・・。」
「そうですか・・・。すみません。ありがとうございました。」
どこに行っても同じ言葉で門前払いされた。
「ねーねー、お母さん!なんであの人あんな服着てるのー?」
「働かないからお金がないの。だからお洋服も買えないの。祥ちゃんはあんな風になっちゃだめよ。さ、帰ったらお勉強頑張りましょ。」
「うん、わかったー!」
大声で聞こえよがしに飛ぶ親の発言。それを聞き流し、スマホでひたすら求人サイトを覗き、身分証明が必要でないものを探し続けた。
「そうだねぇ、少しならいいよ。」
「ありがとうございます!」
やっと見つけた工事現場のバイト。暑さの中で朝から晩まで働いても、生活の足しには到底ならなかった。
「果歩ちゃん、こっち頼むよ!」
「はい!」
「それが終わったら次こっちね。」
「わかりました!」
「若いのに大変だねぇ。」
「いえ、仕方のないことです。親の事情ですから・・・。」
昼休み、工事の人はみんな私の周りでご飯を食べていた。人付き合いが苦手だと言ったのにも関わらず彼らは遠慮なく話しかけてきた。そして、私はいつしか彼らに心を開くようになっていた。
「そっかそっか、これ、食べるか?俺これ食わねぇから。」
「え、でも前それ好物だって・・・。」
「今日はなんか食う気がないんだ。やるよ。」
「あ、ありがとうございます。」
家を追い出されてしばらくぶりに感じた、人の暖かさだった。
寝床に帰り、今日貰った分のお金を、地面の中の空間に隠す。
毎晩地道に掘ったおかげか空間には困っていなかった。
風呂代は、日給の中から出した。食事は可能な限り切り詰めた。だから、昼のまかないが出る工事現場のバイトはありがたかった。
「そろそろお風呂行く時間かな・・・。」
散らばった小銭の中から500円玉を取り出し、100均で買った入浴セットを手に持つと穴のなかの電気を消し、外を窺った。
「よし、誰もいない。今のうち。」
穴から出て、入り口を塞ぎ、歩き出そうとした瞬間後ろから声が飛んだ。
「ねぇ、おねーさん、なんでこんなとこで生活してるの?」
「えっ?」
振り返ると小学生くらいの男の子がこちらを見て立っていた。まるでその場に急に現れたかのように。
「そ、そんなのあなたには関係ないでしょ。」
「関係ないのかな。本当に。」
「何が言いたいの。」
「おねーさんさ、うちに来なよ。」
突然吹いた風とともに発せられた言葉。その言葉の意味がはっきりわかるまで、私はその場を動けなかった。いや、わかったとしても動けなかっただろう。それほど衝撃的な言葉だった。
「お母さんはいいって言ってるの?」
「お母さん?いないよ。とっくに死んだ。」
あまりにあっさりとした口調に私は恐怖すら覚えた。
「じゃあなんでそんな家に来いだなんて言うの?あんたのほうが誰かに引き取ってもらうべきじゃないの。」
「僕?僕は一人でも生きていける。それに僕は多分おねーさんより年上だよ。小学生みたいかもしれないけど。まぁ、そのあたりはあえて言わないでおくよ。」
私より年が上?この子は何を言ってるの?
「ごめんだけど私あんたの言ってることがわからないわ。お風呂行かなきゃ行けないしじゃあまたね。」
「それは残念。君には家に来てほしかったのになぁ。」
背中から聞こえた嫌味の含まれたような言葉。それを無視し、私は公園を出た。銭湯についても振り返るのが怖くて振り返らなかった。
彼はしつこいくらいに私に構ってきた。朝出るときも帰ってきたときも。いつも寝床の近くにいた。
「おねーさん髪の毛曲がってるよ、ほら。」
「ご飯、作ってみたんだ。どう?」
「おかえり、お疲れ様。」
1週間が経った頃、私は我慢ができなくなって彼に問いかけた。
「なんでそんなに私に構うの?あんたは誰?」
「僕が誰であるかは残念ながら言えない。でも、おねーさんに構う理由なら言えるよ。おねーさん、目がきれいだから。」
「そんなわけわかんない理由で?」
「うん、君には見えてなかったと思うけど僕はずっと君のことを見ていた。君の目はずっときれいだった。なにかを秘めたような目だった。僕はその目が大好きだった。」
昼間に降った雨のせいで濡れたベンチをタオルで拭くと、私はそこに座った。彼の分まで拭いてあげると彼は「あ、ありがとう!」と満面の笑顔で嬉しそうに言った。
私は彼の笑顔がまともに見れずに地面に目線を落とした。工事のバイトのせいか手はいつの間にか骨ばっていた。
「やっぱりあなたのことは信じられない。ごめんだけど私には構わないで。」
顔を上げると、彼の目を見て言った。やはり信じられない。誰かもわからない。そもそも何歳なのか。そんなよくわからない人の家になんて行けない。その思いを込めて、私は彼の目を見た。
彼は少し残念そうな顔をすると、軽くうなずき、そのまま消えた。
寝床が、久しぶりに静かに感じた。
とうとう、穴を掘って住んでいることが公園の管理人に見つかり、持ち物すべてを持って公園を追い出された。再び行き場を失った私は、道の端に座り込んだ。バイトに行く気もなれず、休みの連絡をし、空を眺めた。
「やっぱりあのままあの子の家に行けば良かったかなぁ・・・。」
誰にも聞こえない小さなつぶやきは、車の音に消された。
「はぁ・・・これから寝床どうしようかな・・・。」
幾度ついたか分からないため息をつくと、再び荷物を持って歩き始めた。切るタイミングをのがした長い髪を揺らす風は湿気を帯び始めていた。
秋が終わり始める頃になっても、家はなかった。なんとかやりくりしてもお金は浮かず、その日生きるのが精一杯だった。木枯らしの吹き荒れる道の端で、見つけて拾った毛布にくるまり、手に息を吹きかけた。
「冬はやっぱりコーンスープが一番美味しいと思うな。」
目の前に出された缶入りのコーンスープ。思わず受け取ってから、差し出した人の顔を見た。
「ねぇ、うちにおいでよ。」
彼の笑顔は、なにも変わっていなかった。私を覗き込んだその目は、真っ直ぐに私の姿を映していた。
私と彼の足元を風に煽られた木の葉が通過していった。
(50年に一回くらいこうやってホームレス拾って帰るけど、なんかホームレスの人たち見てると辛いよね。せめてこの人たちだけは幸せにしてあげよう)
拾われる奇跡 梅宮香緒里 @mmki_ume
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