想いのカタワレを、ひとつに
まだ春本番には程遠い三月の夕暮れ時。
暖かった昼時とは異なる、肌寒い空の下。
過去の教訓から必要以上に高く作られたフェンスの上に、彼女はいた。
肩にかかるくらいの黒い髪の毛に、ぱっちりとした瞳。今と変わらない学校の制服に身を包み、足を交互に振りながら、俺たちを見下ろしていた。
「遅かったね、トモ」
タチアオイのように真っ直ぐ、長い影が屋上のコンクリートタイルに濃くはっきりと映っているのに対し、彼女の影があるはずのところには茜色のタイルがあるだけ。それだけで、彼女の存在の異質さを理解できた。
「沙理奈……なのか?」
信じられない、といった顔つきで、長澤さんは彼女の名前を呼んだ。
「他に誰があなたのことをトモって呼ぶの? ……あっ、もしかして。やっとそういう
悪戯っぽく笑いながら、彼女は三メートル以上あるフェンスから降りた。着地はとても軽やかで、まるで天使が降り立ったようだった。
「……そんなわけないだろ」
「んーだよね。あんなにヘタレだったんだし」
「……うるさい」
今度は怒ったように、長澤さんは顔を背けた。その顔は真っ赤で、ちょっとだけ震えていた。
……俺は退散したほうがいいな。
そう思って、踵を返そうとした時。
「あ、ちょっと待って」
沙理奈さんに、呼び止められた。
「君は確か、この前ここで告白されて、顔を真っ赤っかにしながら喜んでいた男の子だよね?」
「え」
そんなふうに言われ、顔が熱くなる。そこまで赤くなっていただろうか。
「ほら、今も!」
「うっ……」
「こらこら沙理奈。後輩を、からかうもんじゃないよ……」
そこで、長澤さんが割って入ってきた。夕日のせいか、目元まで赤くなっていた。
「からかってないもん。ただ私は、彼にもここにいて欲しかったから引き止めただけ」
悪びれる様子もなく、今度は彼女が踵を返した。
これが、長澤さんの幼馴染の沙理奈さん……。
なんというか、不思議な感じの人だと思った。最初の方は幻想的というか、非現実的な様相を醸し出していたのに、途中から思ったことをそのまま伝える素直な女の子、という印象になった。もしかしたら、しんみりした雰囲気にならないようにしているのかもしれないけど。
「一先ず、君にはありがとうと言っておきたいかな。ここにトモを連れて来てくれたこともそうだけど。私の気持ち、代弁してくれて」
「あっ、さっきの廊下での会話……」
聞かれていたのか……。っていうか、ここから⁉
「ふふん。霊はどこまでも非現実的なのよ」
心底驚愕した俺の表情に満足したのか、得意げに笑う沙理奈さん。その笑顔は無邪気で、今目の前にいる彼女の、見た年齢相応という感じだった。
「それにしても……随分老けたね、トモ」
「成長した、と言ってほしいんだけど」
「中身は、変わってないじゃんか」
苦笑いを浮かべる長澤さんに、歯に衣着せぬ物言い。でも、それは見かけだけだと、すぐにわかった。
「どこまでも人付き合いが苦手で、変に謙虚で、鈍感で、優しすぎてさ」
沙理奈さんは長澤さんから目を逸らし、言葉を続けた。ちょうど位置的には、俺と向き合う形。
「景色が綺麗な公園に行った時も、二人きりで河原で花火を見た時も、私の気持ちに気づいてくれないのにさ……それなのに、修学旅行の時は風邪を引いてまで付いて来てくれて……」
彼女の表情は、長めの髪に隠れて読み取れないけど、
「大人になってからも……誰から見ても良い人って印象止まりで。少しくらい我儘になればいいのに、我慢ばっかりしてて。かと思いきや、昔みたいに思い入れが激しく頑固なところもあって……。
早く忘れればいいのに……そんなに年取るまで、いつまでも想ってくれてて……」
それでも。かすれている声から、震えている肩から、空中で光り溶ける粒から。彼女が泣いているのが、わかった。
「そんなだから……私も結局、成仏できないんだよ……」
彼女自身も、目の前の現実を受け止めようと必死に、もがいていた。
「ごめん……」
彼女の肩越しに見える長澤さんも同じように俯きながら、口を開いた。
「あの日。君の遺品からチョコレートが出てきて、僕は初めて沙理奈の気持ちを知った。自分の鈍感さに、心底腹が立ったよ……」
彼の声色には、今までのような無機質さは微塵もなかった。
「ずっと、後悔していた。何度か、死のうと思ったこともあった」
悲しみの色が、濃く、鮮明に、含まれていた。
「……でも。沙理奈はそんなことをしても喜ばない。そう思ったら、どうしていいかわからなくなった……。前を向こうにも向けない。現実からも上手く逃げられない。そうこうしているうちに、十三年も経ってしまった……」
だけど、と長澤さんは続けた。
「このままじゃダメだって、思った。ちょっとでも前に進もうと思って……今日、ここに来たんだ」
そう言うと、長澤さんは彼女の名前を呼んだ。
沙理奈、と。
今までにないくらい、力強い声で。
「野々宮高校に来たのは、これをお供えしようと思ったからなんだ」
彼がカバンから取り出したのは、透明の小包装に包まれたクッキーだった。
「これ……」
振り返った沙理奈さんは、驚いたような声をあげた。
「前に沙理奈が美味しいと言って食べてくれた、僕のチョコクッキーだよ」
お世辞にも上手だとは言えないような、不格好なクッキー。多分、俺のクッキーと良い勝負ができそうなくらいの、酷い出来。
「……あの時から、僕は、君のことがずっと好きだったんだ」
でも。これ以上ないくらいの気持ちが、想いが、そこには詰まっていた。
「トモ……」
その愛のカタチは、生と死を越えて、
「ありがとう……っ」
彼女に、彼に――届いたようだった。
*
俺の通う高校には、バレンタイン・デーだけに起こる七不思議がある。
その名も――下駄箱のカタワレチョコ。
んなバカな。七不思議なんて、所詮は噂だろ。
多くの生徒がそう思っているだろうし、事実俺もそうだった。
あの日。俺と瑠香の絆を紡いでくれた、人たちに会うまでは。
黄昏時も過ぎ、とっぷりと日が暮れた住宅街の道にて。
「瑠香ー!」
愛しい人の後ろ姿に向かって、俺は声を飛ばす。
――蔵本くん、だっけ? 君も、より想いが詰まったプレゼントを、渡してあげてね。
別れ際に、沙理奈さんから言われた言葉を胸に抱いて。
「これ……遅くなったけど、ホワイト・デーのお返し」
「え? これ……裕也くんが……?」
「うん。その……不格好で申し訳ないけど、一応頑張って作ったから食べてもらえると……って、うわっ⁉」
愛しい人の温もりをその手に感じながら。
――僕みたいに後悔しないように。しっかりと、気持ちを伝えるんだよ。
想う気持ちを一心に、お菓子に込めて――俺は返した。
カタワレをさがして ~ Extra ~ 矢田川いつき @tatsuuu
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