エピローグ




「診断の結果を教えてやろう。今日から全治一週間だ馬鹿」

「はい」


第六礼拝堂。その中にある病室の一室で、ムラクモはイオから罵倒を受けていた。


全身から薬草の臭いを漂わせており、患者衣の隙間から覗く肌には白属性魔術が込められた護符が何枚も貼りつけられている。魔術による医療が発達したエクストラエデンでは、病人ならまだしも怪我人でこういう状態になるのは珍しいことだった。

それくらいの負傷を、ムラクモは負ったわけである。

全身の裂傷は可愛らしい方で、体の内側が特に酷いありさまだったとはイオの談。


「確かにあんなものを相手取って、今までのように無傷で済むとは思っていなかったが……それにしたってどういう体の動かし方をしたらこうなるんだ」

「ははは。それはまあ、男の子の勲章ってやつで」


【無敗殺し《ジャイアントキリング》】に反動があるというのは、あまり知られたくない。

いつもの軽口でごまかせば、イオは大きな溜息をついた。


「今回は私に非があるから追及はせんがな。今度似た怪我したらただですむと思うなよ」

「診察含めたら全治十日の怪我人にそんな脅迫することある?」

「うるさい。お前を診ている最中は寿命が縮む思いだったんだぞ、色んな意味で」

「え、何があったんだよ」

「絶対言わん」


きっぱりと言い切った後、盛大な溜息がイオの口から零れた。

これは詰め寄っても駄目だなと判断し、代わりに聞きたかったことを質問する。


「診察と言えば、キリエちゃんはどうなったんだよ」

「安心しろ、変な後遺症はない。蓄積されていた呪詛が消えたことで、月とのパスも切れてしまったようだしな。今後“月狂い”のようになることもないだろう」


手に持ったままのカルテに目を通しながら、彼の質問に答えた。


ムラクモが月のシステムを根本から破壊してしまったため、イオは彼の治療をしながらその後始末に追われることになった。

後始末には無論、十二番目の地獄ユダ・ゲヘナ――キリエの処遇や診察、調整も含まれている。それだけでも初めての案件だらけで、正直ムラクモの治療はイディス辺りに丸投げしておきたかったのが本音だ。しかし、イディスには自業自得だとノーを申し渡され、彼女からも物理的にちくちくと圧をかけられたのでそうもいかなかった。


忙殺されそうな三日間を過ごした結果、キリエの状態は安定していると判明。

それを神に伝えたところ、エデンの神は彼女を巫女として運用するのではなく、経過を見守りつつも保護せよ、という裁定を下した。

神の側近はその采配にやや不服そうだったが、神の決定は絶対である。ジャンを始めとする協力者の教徒にもその旨はきちんと周知しているので、キリエの安全が『教会』に脅かされることはないだろう。


「体質の方は?」

「あの日、落下するお前を助けるために制御を奪取したのが功を奏したんだろうな。ある程度コントロールがきくようになったらしく、接触だけでは呪いも移らんようになっている。圧縮された呪詛はそのままだが、まあ大丈夫だろう」

「そっか。よかった」


イオの言葉に、ムラクモは心底安堵の息をついた。

しかし、対するイオの顔は浮かない。


「別の問題が出てきているから、一概に良いとも言えないんだが……」

「別の問題?」

「コントロールできるようになったからか、天使こっちにも影響を出せるどころか接触しなくても……いやまあ、お前には直接関係がないことだな。気にするな」

「気になるんだが?」


今度は教えろとばかりにイオをジッと見つめるが、彼女は一向に口を割らない。しまいにはこれ以上呪われてたまるかと不可解なことを言いながら、椅子から立ち上がって病室を出て行こうとする。


「……しかしまさか、月に蓄積された呪詛の方を殺してしまうとはな」


引き戸に手をかける直前、イオは呆れと感嘆が入り混じった呟きを零した。

首だけで振り返りながら、声音と同じ表情を浮かべた顔を向ける。そんなイオの眼差しを受けて、ムラクモは軽く肩をすくめてみせた。


「そもそも、月が重さに耐えきれなくて墜落するのがまずいんだろ?なら、そっちを空っぽにするのが手っ取り早いと思ったんだよ」

「それが容易にできないからこそ、巫女というシステムができたわけなんだが……ふはっ」


堪えきれないとばかりに、小さな笑い声を噴き出す。そこには、隠しきれない痛快な響きがあった。


つられるように笑みを零してから、もう一度肩をすくめた。


「ま、今回のことでなんか困ったことが起きたら言ってくれ。ダチのためなら、力になるぜ」

「覚えておくよ」


そう言って、イオは今度こそ病室を去った。


『ひとまず横になっては?安静第一ですよ』


しばらくしてから、壁に立てかけられていたトツカがそう声かけた。

鞘は壊れたため、漆黒の刀身には厚手の白い布が幾重も巻かれている。退院したら新しいのを見繕わないといけないなと思いつつ、その提案に頷いた。


「そうすっか。やることもないし」


そう言って、シーツを持ち上げて横になりかけたところで。

こんこん、と。控えめなノックが響いた。


「はーい?」

「き、キリエですっ。入っても大丈夫ですか……?」


間延びした声をかければ、外からそんな言葉が返る。

思わず頬を緩めてから、軽く居住まいを正した。


「どーぞ。キリエちゃんならそりゃもうウェルカムよ」

「で、では……」


軽口で入室を許可すれば、おずおずとした返事とともにゆっくりと扉が開く。

スライド式の扉の隙間から、白い髪とアメジストのような目の少女が顔を覗かせた。ムラクモと同じ患者衣を着たキリエは、室内をちらりと見渡してから病室に足を踏み入れる。


そのまま扉の前で足を止めようとしたので、手招きで呼び寄せる。それに従って近づいてくる少女に笑みを深めながら、ベッドの縁に座るように促した。

正面から顔を見られないが、距離は椅子に比べればだいぶ近い。

横顔を見て満足げに頷いた後、口を開いた。


「どうしたんだいキリエちゃん」


第六礼拝堂に担ぎ込まれたばかりのころのキリエは、泣きじゃくりながら何度もムラクモに謝罪していた。自身を二の次にして落ち着かせた甲斐あって、彼女の精神は容態と同じく安定している。


ムラクモとしては理由なしで会いに来てくれても一向に構わないのだが、キリエの方がムラクモの体を気遣って、起床と就寝以外では顔を出さない。

だからこそ、不意の訪問は意図が読めなかった。

わざわざ足を運んだのだから、相応の理由があることだけはわかるが。


「……あ、あの。私、ムラクモさんに言わなきゃいけないことがあって」


ムラクモの問いかけに、キリエは視線をさまよわせながらそう返す。

首を傾げつつ、変に焦らせないよう黙って続きを待つ。しばらくした後、色白の頬を赤らめたキリエはようやく意を決したように口を開いた。


「――ムラクモさんっ、好きですっ」

「、は」

「抱いてくださいっ!」

「…………………………………………」


予想していなかった言葉を畳みかけられ、ムラクモの思考が完全にフリーズした。


「……………………せ、説明プリーズ!」


しばらく凍りついた後、右手を額に、左の手のひらをキリエに突きつけて説明を求める。

そんなムラクモに、爆弾を落とした少女は体をもじもじさせながら話をした。


「ムラクモさん、これが一番嬉しいって言ってたから……」

「あっ、うん。そんなことも言ったね俺」


三日前の言動を振り返り、冷や汗をかきながらトツカを引っ掴む。


(助けてトツカさん!どうすればいい!)

(主、冷静になってください。世間知らずなところがあるキリエさんのことです。抱いてくださいを性的交渉の婉曲的表現ではなく、言葉通りの意味でとった可能性が高いですよ)

(あっ、そうかあ!それはそれでちょっと残念だけどな!)


頼れる相棒の言葉に、動揺が一気に治まる。

こほん、と小さく咳払い。次いでキリッと紳士的な表情を浮かべながら、トツカをベッドの上に置いて両腕を広げてみせた。


「うん、すごく嬉しいよ。じゃあ早速ハグを――」

「あの……。どういう意味かくらいは、さすがに……っ」

「…………………………………………」


置いたばかりのトツカをもう一度引っ掴んだ。


(助けてトツカさん!!)

(いやあ、はい。こうなればありがたくいただけばよいのでは?主だって経験はあるんですから、そんな童貞みたいな反応をしなくても)

(ガチ惚れした子が相手なのは初めてだよ!)

「……あ、あのっ!」


傍から見ると黙って百面相しているようにしか見えないムラクモに、キリエは少し大きくした声で呼びかける。

視線を向ければ、頬の朱色が引き、代わりに消沈した少女の姿が目に留まった。

申し訳なさそうに目を逸らしながら、打って変わった弱々しい声を零す。


「……やっぱり、私なんかじゃ駄目ですよね」

「――――」

「ごめんなさいっ、私、失礼しま――きゃっ!」

「待って」


ベッドの縁から立ち上がろうとしたキリエの腕を引き、そのまま背後から抱きしめた。

急な抱擁に目を白黒させているキリエを、落ち着かせるように優しく撫でる。ひと月の間ですっかり指通りがよくなった髪の感触を心地よく思いながら、ムラクモは深く息をついた。


「駄目とかそういうのは、全然ないから」

「むらく、も、さ」


声をどぎまぎさせるキリエの体を自分の方に向けて、そっと顎を持ち上げる。

何をされるかわかったのだろう。キリエはぎゅっと目を閉じ、アメジストを瞼の下に隠す。小さな肩は小刻みに震えているが、それが恐れではなく期待なのは簡単にわかった。


もう一度息をついてから、ムラクモは覚悟を決めた。


(女の子にここまで言わせて何もしなかったら、男がすたる)


そう思いながら、掴んだままのトツカを脇に置く。


「あっ」

「あ」


ずるっと。

その瞬間、手をついたシーツが滑った。




「ムラクモーっ!見舞いにきたぞ!」


快活な大声とともに、勢いよく引き戸が開かれた。


「団長、もう少しお静かに……」


壊れそうな音を立てた扉を見て冷や汗をかきながら、犯人イディスの後ろに立っていたサイアは諌めるような声をかける。

普段なら、すぐに屈託ない謝罪が返るはずだった。

しかし、なぜかイディスは無反応。正装のサイアと対照的に軽装を着た騎士団長は、扉を開けた体勢のまま、石化の魔術でも受けたかのように突っ立っている。


「?」


怪訝に思い、首を傾げながらそっと室内を窺う。

そして、イディスと同じようにサイアもぴしりと固まった。


「…………よ、よお」


中には病室の仮主になっているムラクモと、療養中の少女キリエがいた。


そこまではいい。

問題は、ムラクモがキリエを押し倒していることだった。


「…………」

「…………」

「あ、あのな。これは決して故意ではなくただの事故で」

「ムラクモ=クサナギぃぃぃぃぃ!!」

「サイアちゃんたんまたんまさすがに抜刀はまず……うおっ!?」


イディスが反応するより早く、サイアが腰に下げていた聖剣を抜いた。


慌ててトツカを引っ掴み、斬りかかってくるサイアを押し留める。激情に駆られた女騎士はそれでは止まってくれず、仕方なくベッドから下りて鍔迫り合いに応じることになった。


先にサイアが暴れだしたため、冷静になったイディスはそこに参加しない。

しかし仲裁にも入らず、堪えきれないとばかりに大声で笑っていた。


「……」


一気に騒がしくなった病室の中、喧騒から取り残されたキリエは唖然となる。

しばらくすると、込み上げてくるのは無念さと恨めしさ、そして羞恥。赤くなっていく顔を隠すように薬臭いシーツをたぐり寄せ、その中に隠れた。


ムラクモの匂いがかすかに混じった薄闇が広がり、残ったぬくもりが体を包む。

心安らぐ空間の外から聞こえる騒がしさは、地続きの日常を感じさせた。それは三日前、キリエがムラクモのために手放そうと決め、ムラクモによって再び握らされたものだ。


「……ふふ」


思わずといった風に、キリエは笑みを零す。

それはムラクモ=クサナギが何よりも守りたかったもの。

ごくありきたりな、少女の微笑みだった。

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ジャイアントキリング~最弱勇者の番狂わせ~ 毒原春生 @dokuhara_haruo

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