山の麓にはバケモノが棲んでいる

澤田慎梧

山の麓にはバケモノが棲んでいる

『山のふもとにはバケモノが住んでいる。見付かれば命はない』


 一族の子供達は皆、幼い頃からその話を幾度となく聞かされ、山を下りる事を禁じられていた。

 そもそも、集落は切り立った崖に囲まれていて、下りたくとも下りられない場所に位置している。わざわざ危険を冒して禁を破ろう等と考える者はいなかった――ソウタを除いては。


 ソウタは、他の者が疑問にも思わない「しきたり」や「言い伝え」に「何故?」を覚える子供だった。

 様々な決まり事を破っては、おさたちに叱られる――そんな子供だったのだ。

 だから、ソウタが麓への興味を諦められぬのは、自明の理と言えた。


(そもそも、誰も麓に行った事がないのなら、そこにバケモノがいるなんて分かるはずもない)


 そう考えたソウタは、長たちの目を盗みながら丹念に集落の周りを調べ続けた。そして、ようやく見付けたのだ――麓へと下りる抜け道を。


 そこは、小柄なソウタがようやく通り抜けられるような自然の洞窟だった。細く狭苦しい急な傾斜のついた洞窟が、崖の下まで通じていたのだ。

 ソウタは早速とばかりに洞窟を抜け、麓を目指した――。



(凄い! これが麓の風景……!)


 長い長い道のりを越えて山を下りた瞬間、ソウタの視界が開けた。

 そこに広がっていたのは、今までに見た事がない「草原」だった。山の上にも草原はあったが、それは木々の合間にこじんまりと広がるそれだ。見渡す限り草原しかないという光景を、ソウタは初めて目撃していた。

 美しい……とても美しい眺めだった。


(こんな奇麗な場所にバケモノなんているはずがない! やっぱり、言い伝えは嘘だったんだ!)


 たまらず、ソウタが歓喜の叫びをあげた――その時。


 ――ヒュッ!


 ソウタの耳元をそんな音がかすめ、近くの地面から「ドスッ」という鈍い音がした。

 何事かと音がした地面の方を見やると、そこには先程までは無かったが突き立っていた。棒の先端は地面にめり込んでおり、反対側には鳥の羽のようなものが付けられている。

 「どうやら、この棒はどこかから飛んで来て地面に刺さったらしい」とソウタが察したその瞬間、二本目の棒が飛来し、ソウタをかすめて地面に突き刺さった。

 もしソウタに当たっていれば……間違いなく死んでいる。


 ようやく事態を把握したソウタは、棒が飛んできた方を見やり――絶句した。

 そこには「バケモノ」と以外、表しようのないモノがいた。


 全身が毛に包まれているが、それは自身の毛ではない。何か他の動物から奪った毛皮を全身に身に着けているのだ。

 顔は浅黒くのっぺりとしていて、ソウタの仲間達とはまるで違う形相をしている。

 手には見たこともないような道具を手にして、それをソウタに向けていた。

 そして、次の瞬間――。


 ――ヒュッ!


 バケモノの構えた道具から、再び鋭い棒が飛来しソウタに迫った。

 死の恐怖から、ソウタはギュっと目をつぶったが……幸いにして棒はソウタまでは届かず、目の前の地面に突き立った。


(逃げなきゃ!)


 我に返ったソウタは、一目散にその場を後にした。

 その間も、バケモノは次々に棒を放ってくる。ある棒はソウタのすぐ真横に突き刺さり、またある棒はソウタの行く先すれすれをかすめていく。


 ソウタは走った。とにかく走った。

 走り続けて、気付けば例の抜け穴をも潜り抜け、いつしか集落に帰り着いていた。 いつの間にか日もとっぷりと暮れている。


(やっぱり、麓にはバケモノがいた! もう二度と山を下りるもんか!)


 仲間たちの元へ戻りながら、ソウタはそう決心するのだった――。



   ***


 ――ソウタが集落に帰り着いたのと同じ頃、に一人の猟師がその日の収穫を携え、舞い戻っていた。


「おう、吾作ごさくどんでねぇか! ほぉ~きじうさぎに、そっちはうまそうなキノコでねぇか! 大猟だのう!」

「今年は山の恵みが豊かでのぅ……じゃがな、与兵衛よへえどん。ちぃと気になる事があるんだわ」


 吾作と呼ばれた猟師は、出迎えた村人――与兵衛に渋い顔をしながら答えた。


「ほう、なんだっぺ? また暴れ猪でも出たんかね?」

「いんや……ましらよ。猿が出たんじゃわ」

「猿が……?」


 吾作の言葉に、与兵衛が顔を曇らせる。

 猟師である吾作と違い、与兵衛たち他の村人は農耕で身を立てている。だが数年前、山から猿たちが大挙して押し寄せ、作物を荒らしていくという事件があった。その被害は甚大で、危うく村全体が飢餓に陥る寸前となったのだ。


 猿たちは、吾作とその猟師仲間により山へ追い払われ、しばらく姿を見せていなかったのだが……もしまた現れるとしたら、大事である。


「今度は追い払うだけじゃ駄目だっぺな。本格的に山狩りして、数を減らさにゃ。……与兵衛どん、村長むらおさに話を通しておいてくんねぇか?」

「おうおう、分かっただ! そん時にゃ、オラも手伝うだよ! にっくき猿どもを根絶やしにしちゃるけんのぅ!」


 ――その数日後、村人たちによる山狩りが行われ、猿の群れは住処を追われたという。


(了)

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山の麓にはバケモノが棲んでいる 澤田慎梧 @sumigoro

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