第4話 『忘れ物を拾いに』
江堂は、何やら忘れ物を取りに出てしまった。
そして、私が受けた指示はただ二つ。
一つ、スイッチ類には一切手を触れないこと。
そしてもう一つ、何か問題が発生したらすぐに中央コントロールに問い合わせること。
そう、その二つだけだ。
目の前のモニターには、たくさんの計器類と、実験炉の状態がわかるイラストが表示されている。
それらを見た感想は──。
うん、わからん。
何やら炉の心臓部に向けてエネルギーが供給されていること、それに別の建物から水が運ばれてきていること。
辛うじて分かるのが、そのレベルのことだけなのが悲しい。
ただ、何か異常があるとランプと音で警告してくれるらしく、計器類が読めないからといって問題はないとのことだ。
それに江堂の話によれば、実のところ次のチェックポイントまではこの部屋にいなくても大丈夫なんだそうだ。
というのも、この研究所にある炉の情報は全て、中央コントロールセンターへと共有される。
何か重大な問題が発生した場合、センターが操作権を
当然、その場合はやっていた実験が中断されてしまう。
それを阻止するためには、重大トラブルが発生する前にこの部屋から対処する必要があるというわけである。
ただ、今回は初めてなので最悪オーバーライドされても気にしないそうだ。
むしろ、少しでもトラブルがあった場合は介入してもらえるように頼んであるらしい。
そう考えると、ますます私がこの部屋にいる理由がなくなってしまった。
──ふああ、眠い。
運転開始時の緊張の疲れが、今になってどっと噴き出る。
ダメだとわかっていながらも、目をつぶればいつでも夢の中へと旅出せそうであった。
──早く、戻ってこないかな。
書類仕事が溜まっていれば眠る余裕さえもないのだが、生憎今日はそこまで仕事が溜まっている日でもなかった。
それにこの部屋、Wi-Fiが繋がらないのだ。
当然、携帯は圏外。
パソコンを持ってこようとも、クラウドに保存されている書類は引っ張ってこれない。メールだって送れやしない。
いじる相手さえ、いない。
──待つか。
眠い目を擦ると、再びモニターを見上げた。
*
一方その頃、俺は。
「⋯⋯ここか」
──中央コントロールセンター。
部屋の表札を確認すると、俺はそっとドアノブを捻る。
「失礼しまーす⋯⋯」
俺は、物音を立てないようにそっと入る。
広めの部屋には、制御用コンソールが六台。そのそれぞれに、スーツ姿の職員が二人ずつ座っていた。
部屋の奥には、SFよろしく近未来的なデザインのモニターがずらりと並んでいる。
そのそれぞれには、各実験炉の状態などを事細かに表示されていた。
「あ、江堂さん。どういったご用件で?」
「ん、ああ⋯⋯。何か忘れてたことあったかなって」
ふっ、と小さく息を漏らすと、俺はその場で伸びをするが──。
いや待て。お前誰だ。
すっと目線を向けると──。
「⋯⋯って、お前、今さっきの!」
──驚いた。
第六実験炉の稼働前に立ち会ってくれた、作業服の男だったのだ。
なるほど、どうりで俺の名前を知っているわけだ。
「ええ、今さっきぶりです」
男は苦笑すると、作業着の胸ポケットから名刺を取り出す。
「偶然ついでで、今さっき渡し忘れたもんで。
もし良かったら、今後ともよろしくお願いしますー」
「あ、ああ。どうも⋯⋯」
唐突な名刺交換に、俺は一瞬戸惑う。
だが、このままでは失礼にあたると思い直し、俺の名刺を差し出した。
「えーと、
「あ、はい。好きなように呼んでいただけたらと」
「ん、了解。じゃあ白岸、よろしく頼む」
そう言って、俺は右手を差し出す。
少し戸惑っていたが、白岸はすぐに俺の意図を察してくれた。
「ええ、よろしくお願いします」
俺ら二人は、硬い握手を交わす。
思ったより白岸の手は、ゴツゴツだった。
*
「へー。となると、江堂さんは一ヶ月前にここに来たんですね」
「ま、そうなるな」
用事を済ませた俺らは、そのまま廊下をあてもなく歩いていた。
「ちなみにだが、白岸はどのタイミングでここに配属されたんだ?」
「あ、ええと今年の春ですね。いやぁ、あのときは驚きましたよ。
大橋重工で化学プラントの設計やっていたら、急にここに配属されたもんで」
「そりゃ、ご愁傷様だな」
ちなみに大橋重工といえば、機械一般から航空・宇宙まで、日本の物づくりを支える超一流企業だ。
きっと彼も、化学プラントの建設で重要な役割を担っていたのだろう。
それが、こんな
ご愁傷様としか言えない。
「あ、いえ。確かに不便ですけど、その分手当てが貰えるんで」
──前言撤回。
ご愁傷様でもなんでもなかった。ただ純粋に羨ましい。
「あ、それとなんだが。「さん」付けはしなくてもいいからな。俺だってこの通りだし」
「ああ、それですか」
白岸は、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「商売がら、どうしても敬語は抜けなくてですねー⋯⋯」
「あー⋯⋯」
色々と大変なようだ、俺とは違う方面で。
「ところで、江堂さんはこれからどちらに向かわれる予定ですか?」
「ん、ああ。そうだな⋯⋯」
ふと、待たせていた秘書のことが頭に浮かぶ。
ま、時間的にも余裕があるし、もうしばらく散歩していても問題はないか。
「オフィスに色々取りに戻ろうかと思ってたんだが⋯⋯。
ま、そんな重要なものでもないんで、気にすんな。それより、お前は?」
「あ、私ですか? これから第二試験炉の方に立ち寄ろうかと思って」
「ふーん、なるほど」
第二試験炉、か。
俺のように、研究員サイドから依頼でも受けたのだろうか。
「あ、もしよければ見ていきます?」
「見て行く⋯⋯って、大丈夫なのか?」
部外者に、商談なんか見せて大丈夫なのか?
その意も込めて、俺は慎重に聞き返す。
「たぶん、大丈夫だと思いますよー。
不安だったら上司に聞いてみますけど⋯⋯、どうします?」
「え、いや、上司に聞いてどうにかなる問題じゃなくない?」
「⋯⋯え?」
「いや、『え?』って聞き返されてもだな」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
二人して、顔にはてなマークを浮かべたまま黙り込む。
「えーと、何を勘違いされているのかわかりませんが⋯⋯。
第二試験炉はウチ、大橋重工が持っている試験炉なので、見学する分には大丈夫ですけどー⋯⋯」
「あ、ああ⋯⋯なるほど」
そうか、試験炉の見学か⋯⋯びっくりした。
第一、俺商売ごとなんてまっぴらだし。
「てっきり、商談に連れて行かれるのかと思った」
「⋯⋯ああ、なるほど」
ポン、と白岸は納得したように手を打った。
「そうじゃないなら、遠慮なく見させてもらうよ」
「ま、それもそうですね」
二人揃って、苦笑した。
*
正直──、拍子抜けした。
いやだって、こんなに早く許可取れるものか?
「お、江堂さん。似合ってますよー、そのヘルメット」
「あ、いや。⋯⋯ありがと」
いや、それになんで俺、ヘルメット被らされているし。
見学と聞いてたから、てっきり俺はコントロールルームに入れてもらうのかと思ってた。
だが──、違った。
「なんというか⋯⋯、でっけぇな」
「でしょでしょー!」
妙にハイテンションな白岸と一緒に見下ろすのは──、第二試験炉の実物だった。
「実はですね、試験炉というのは実験炉と違いまして。
試験炉の方は、実際の魔力発電所の炉の内部を再現したつくりになっているんです!」
「へー⋯⋯」
第二試験炉の上方を渡すようにかけられた通路の欄干にもたれかかりながら、白岸のノリノリの説明を聞く。
となると、実際の発電所もあんな形なのか。
滅多に見れるものでもないし、この際目に焼き付けて帰ろう。
「ところでなんだが、あのクレーンで運ばれているのはなんだ?」
「ん、えーと⋯⋯、燃料を取り出しているところですね」
「ほー、燃料か」
目を凝らしながら燃料を観察する。
どうやら、棒状の緑光石が束のようになったものを、クレーンで運び上げているようだった。
「棒状、か」
「⋯⋯見慣れない形でしょ?」
俺の心の中を読んだかのように、白岸が聞いてくる。
「ああ。いろんな文献を読んだが⋯⋯。
発電用だと、どれも球状のものだったな」
研究用だと、棒状のものもたしかあったはずだ。
「ちなみに、棒状にすると利点があるのか?」
「そうですね⋯⋯。一本単位で運べるので、運搬には楽ですね。ただ⋯⋯」
「⋯⋯ただ?」
白岸は、大きくため息をついた。
燃料を吊したクレーンが、試験炉の上空で少し旋回したあと、俺らのいる通路の目の前を通過する。
「ほら、あそこ」
白岸は、その燃料棒を指差した。
「あんな感じで、燃料棒同士が固着してしまうんです」
「えーと、どれどれ⋯⋯」
目を凝らしてよく見ると⋯⋯、本当だ。
遠くからでは見にくいが、確かに燃料棒同士が緑色の石が付着してくっついてしまっている。
「あのせいで、実は取り出すときは全部一気に取り出すしかないんです」
「⋯⋯なるほど」
棒状にして容易に取り扱おうとした結果がこれだ、と白岸は少し悔しそうだった。
「折角なので、ちょっとだけ近くで見てもいいか?」
「大丈夫ですよー。エレベーターまで案内しますね」
*
「あー⋯⋯。確かに、くっついているな」
下に降りて、実際の燃料棒を確認する。
確かに、これは取れそうにない。
「これ、ちなみに、くっついたらどうするんだ?」
「それは⋯⋯。どうしても分離するなら、重機で削り取るしか」
「そりゃ、しんどいな」
うーん。思わず首を捻ってしまう。
「⋯⋯って、あれ?」
「どうかしましたか? 江堂さん?」
「ん、ちょっとだけ写真撮ってもいいか?」
「え、はい、大丈夫ですけど」
スマホを取り出すと、俺はピンボケしないレベルで望遠にして撮影する。
「⋯⋯やっぱりだ」
撮れた写真を見て、思わず呟いた。
「どうしたんです?」
「ほら、ココ」
白岸が、身を乗り出すようにして俺のスマホを覗き込む。
「この部分だけ、覆いの外側のみに付着している」
「⋯⋯と、言いますと?」
「緑光石ってさ、仮にこんな感じで膨張していたとする」
パン生地が膨らむようなイメージを、ジェスチャーで伝える。
「とするとだな、当然膨張するためには、どこからら漏れ出る必要があるはずなんだ」
「⋯⋯確かに」
「それに対して⋯⋯、この部分は覆いの部分の上のみに乗っかるようにくっついている。
この覆いが破損している可能性も否定できないが、そうでなければこいつは漏れ出さないはずだ。となると⋯⋯、色々と不思議じゃないか?」
「た、確かに!」
白岸は、大きく頷いた。
「もし差し支えなければなんだが⋯⋯。
あの部分だけ、どうにか分解するなり何なりして、俺の研究室に送ってくれないか?ダメなら写真でもいいんだが⋯⋯」
俺は両手を合わせて、白岸に頼み込む。
「⋯⋯分かりました。上司に掛け合ってみます」
「よろしく頼む。⋯⋯っと、もうそろそろ失礼しないとな」
腕時計によれば、既に一時間半近く経っていた。
オフィスに私物を取りに戻るなら、ちょうどいい時間だ。
「それじゃあ、帰るわ。お疲れ様」
「あ、はい。お疲れ様です!」
目を輝かせながら、白岸は手を振ってくれる。
本当に炉のことが好きなんだな。俺は思わず苦笑した。
アイオーンの虚像 ゆーの @yu_no
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