第3話 『第六実験炉、可動ヨシ』

「んで、どうだい。炉の準備は進んでいるかい?」


 宗谷所長が俺に問いかける。


「ああ。おかげさまで、今日、初運用だ」


 俺がオフィス棚を破壊してから三週間後。

 俺は所長と秘書の二人と共に、地下行きのエレベータに搭乗していた。


「いやぁ、驚いたよ。

 急に私の部屋に来たかと思ったら、『炉の使用許可をくれ』だなんて」


「あ、あのときは⋯⋯」


「わかっとる、わかっとる。面白いことを思いついたんだろ?」


「ま、まぁ⋯⋯」


「なら、しょーがない」


 宗谷所長は楽しそうに、そしてどこか寂しそうに微笑んだ。


「そうやって、新しいことに時間をたっぷり使えるのは、若者の特権だからな。

 私みたいに年ばっか食ってしまうと、後に待つのは⋯⋯、定年と老衰だけだ」


「⋯⋯⋯⋯」


「なーに、そう寂しそうな顔をするでない。私だって、まだ少しは時間があるのだから」


 宗谷所長を心配して、秘書が尋ねる。


「定年、あと少しなんですか?」


「ん、まぁ⋯⋯。そのうち、な」


 所長は話を切り替えようと、ゴホン、と大きく咳払いをする。


「とにかく、今日の実験は上手くいくよう祈ってるよ。

 立ち会えなくてすまんな」


「い、いえ⋯⋯。そ、その、所長もお仕事頑張って」


「ああ。西門くん、ありがとね」


 所長一人だけがエレベーターから降りると、再び扉が閉まる。


「さっきからなんで黙ってんです?」


「ん、ああ。ちょっとな」


 ──定年、か。


 仮に今、ここで研究人生が終わったら。俺は何をするんだろう。


 何か新しいことを見つけて、余生を過ごすのだろうか。


 それとも、何にも打ち込めず廃人みたいな人生を送るのだろうか。


「あのー、着きましたけど?」


 いつの間にか、秘書の西門がエレベーターの外で心配そうに俺のことを見つめていた。


「ん、ああ。今行く」


「寝不足ですかー? 体によくないですよー?」


「大丈夫だ。それより、炉の方は?」


「えーと、それなら、今最終検査が終わったところなのでもうすぐだそうです」


「りょーかい。んじゃ、行こう」


 降りると俺らは、管理区域とこちら側セーフ・ゾーンとを隔てる分厚い扉のさらに奥、『第六実験炉コントロールルーム』へと向かった。



 *



「お、来た来た」


 コントロールルームに入ると、作業服姿の男に声をかけられた。


「今、燃料を挿入しているところなので、もうしばらく待ってくださいなー」


 作業服の男が、何やら楽しげに操作パネルを弄る。

 すると、ずらりと並ぶモニターの一つがオンになった。


 モニターには現在の炉の状態──もちろん停止中だが、が表示されており、その脇には実験炉周辺の監視カメラの映像が映っている。


 その映像によると、現在、頼んでおいた例のを搬入している真っ最中のようだ。


「いやあ、アレ用意するの大変でしたよ。どうやったらあんな発想になるか、ぜひ後で聞かせてもらいたいもんですねえ?」


「⋯⋯だろうな。今世紀最大の大着想だと思うよ」


 そう苦笑いで答えると、西門が不思議そうに訊いてきた。


「その⋯⋯。『アレ』って、なんです?」


「アレだよ。あの画面端に見える、緑色のプレートみたいなやつ」


 西門がモニターをじっと見る。


「あ、あれですか」


「そ、あれ。ちなみに、原料はなんだと思うか?」


「うーん、なんでしょう?」


「緑光石だ」


「へー。⋯⋯って、今、なんと⁈」


「だから、緑光石で作った板なんだって、あれが」


「ほへー⋯⋯」


 宝石でも見るかのように、西門がモニターをまじまじと見る。


「もしかして⋯⋯、なんですけど。あのとき思いついたのって」


「ああ、これだ」


「ええと⋯⋯、飛び散ったガラスの片付けを私に押し付けといてまで所長に伝えたかったことって」


「ん、ああ。⋯⋯これのことだ」


「⋯⋯そうですか」


 ──なぜだろう。秘書の目が液体窒素なみに冷たい。


 液体中にそのまま漬け込んだら、パリンと割れてしまいそうなレベルで。


「あのー。話に割り込んですみませんが、もうそろそろ動かせますけど」


 作業服の男が、申し訳なさそうに頭を下げる。


「ん、いや。すぐに実験に入ろうと思っていたから助かる」


「そうでしたか。それじゃあ、あとはお任せしますかね」


 そう言うと、作業服の男は首から下げていたトランシーバーを手に取る。


 すると何やら無線でやり取りを始めた。


「⋯⋯ええ、はい、了解です⋯⋯。

 あ、ええと職員の退避が完了しましたので、いつでも運転できます」


 ──なるほど。職員の避難か。


「りょーかい。ありがとう」


「それじゃあ、私はこの辺で」


 作業服姿の男は、その場で一礼すると部屋をあとにした。


「⋯⋯さて、やるか」


 運転管理コンソールの席につくと、システムを起動する。


 >>Enter ID & Password;


「あー、すまない。パスワード」


「は、はいっ」


 秘書が後ろを向いたのを認めると、俺はキーボードを叩いた。


「ん、いいぞ」


「はい」


 >>System setting: 07% ..


 俺は、チカチカと点滅する画面を横目にため息をつく。


 ──こりゃ、長いな。


 事前に渡されていたマニュアルに手を伸ばすと、前もって印をつけておいたページを開く。


 ふと秘書の方を一瞥すると、西門は俺の二歩後ろから俺の手元のスクリーンをじっと見ていた。


「どうした、そんなに気になるのか?」


「い、いえ⋯⋯別に」


 俺が聞くと、西門は殊更にモニターから目を逸らす。


「そう、ならいいんだけど」


 再び俺は取説を開く。

 ⋯⋯が、隣から凝視されているせいで集中できない。


 流石にムシャクシャしてくる。正直に言えって。


「えーと、暇か?」


「え、はい、そうですが」


「だったら、そこら辺の椅子一個もってこい」


「⋯⋯へ?」


「いや、だからそんなとこで立っててもしょうがないだろ。ほら、椅子」


 そう言って、俺はモニターが見やすいように俺の席の位置をずらす。

 すると西門は俺の意図を察したようで、


「は、はいっ!」


 子供のように元気に返事。──どうやら当たりだったようだ。


 西門は、鼻歌まじりでキャスター付きの椅子を俺の脇に引っ張ってくると、それに腰掛ける。


 すると西門は、父がパソコンで作業するのを横から見物する子供のように、楽しそうに画面をモニターしていた。


 昔の俺を見ているかの光景に微笑ましく思うも、同時に俺は少し羨ましくも感じた。


「別に見ていて楽しいものもないぞ」


「⋯⋯分かってますって」


「そうか?」


「そんなことより、もうそろそろ終わりますよ」


 西門は、まだかまだかと俺を急かす。


「⋯⋯本当に分かってんだか」


 呟きつつ俺は画面に目を移す。


 >>System setting: 92%..


「もうちょっとかかるぞ」


「はーい」


 >>System setting: Complete


「あ、終わった」


 西門が真っ先に口に出す。


 >>Heating system: OK

 >>Circulator: Connected

 >>Water level: Full


 ここまで表示されると、画面が一度真っさらになる。


 そして、一瞬だけ画面が青く反転すると、すぐに元の画面に戻った。


 >>Welcome my master, M. Edo!


「ようこそ、マスター。⋯⋯だってさ」


 誰がこんな表示をさせるようにプログラムしたんだろう。


 悪趣味だと思いつつ、入力を続ける。


 >>Use preset or Manual setting (p/m);


 ──手動でいちいち設定する気はない。


 というわけで、迷わず ”p” と入力してエンターを叩く。


 >p

 >>Enter Preset No.;

 >k-14

 >>Check following setting. Press “Start” and Pull control handle when ready:


 画面に、予め設定されていた内容が一覧で表示される。


 その数、なんと十数行。


「さて、起動するか」


 深呼吸すると、コンソール備え付けのマイクをオンにする。


「こちら第六実験炉コントロールルーム、担当研究員の江堂だ。


 第六実験炉周辺にいる全職員並びに研究員に連絡、ただちに退避せよ。

 担当の者は、全職員の退避を確認のち当該管理区域を閉鎖せよ」


 モニター越しに、炉の退避区域区域の照明が赤色灯に切り替わるのを確認する。


 二人しかいないコントロールルームにも、緊張感が漂う。


「繰り返す──。

 第六実験炉周辺にいる全職員並びに研究員に連絡、ただちに退避せよ。

 担当の者は、全職員の退避を確認のち当該管理区域を閉鎖せよ!」


 放送を入れるとすぐに、モニターに一個、扉の閉鎖完了を告げるランプが光る。


 それに続くように、第二・三のランプが灯り、たった今、最後のランプが灯った──。


「全四ヶ所、閉鎖確認よし。水量満タン、警告灯クリア」


 すう、と俺は大きく息を吸い込む。


 そしてそれらの空気を、俺はゆっくりと吐き出した。


「第六実験炉、運転開始!」


 スタートボタンを押しながら、俺はハンドルを強く引っ張った。


 炉の稼働を告げるサイレンが鳴り響く。

 部屋の中は、赤色灯の灯で真っ赤に染まった。


「⋯⋯⋯⋯っ」


 炉の内部の温度と圧力を示す計器の針が、ゆっくりと動き出す。


 冷却水の給・排水を示すメーターが、一定値を指し示して止まる。

 炉の中の水は、問題なく循環されているようだ。


 そして、短いようで長い一分間が経過すると、赤色灯が止まる。


 全ての計器の異常がないことを確認して、俺は椅子にもたれかかった。


「正常稼働を確認。⋯⋯お疲れさま」


 俺は西門と目を合わせると、二人そろって安堵の笑みを浮かべる。


 そして俺ら二人は、自然と拍手していた。


「次のチェックポイントは二時間後、ないし温度が 373Kケルビンに達したとき。それまでは休憩だ。


 それじゃ、俺はちょっと物を取りに上まで戻る。帰ってくるまで、スイッチ類には触れないでくれ。それと、何かあったら中央コントロールセンターへ回してくれ」


「は、はいっ」


 伏せたままのマニュアルを持つと、俺は実験室へと戻ることにした。

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