第2話 『とりあえず投げてみよう』

 謎の緑色の石と格闘すること、実に一週間。

 その間に得られたヒントは──、ほぼゼロに等しかった。


 まず、最初の五日間は大量の論文の流し読みに当てられた。


 研究所のデータベースには、日本・アメリカの論文を中心に様々な国や地域の研究所が出した論文が収められている。


 国防の観点からか公開されてなかったり、重要な部分が黒塗りになっているものも多々あるが、無学な状態から入る俺にとってはどれも一級の資料だ。


 そしてその中から重要性を考えつつ選別し、必要な情報を拾い出す。その作業を今やっているのだが──、核心をつくようなものが一つもない。


 一応成果と呼べるものを挙げるとすれば、俺がここに来る前にも「緑光石のエネルギー源問題」が議論されていたという事実、そしてその頃の議論の過程を示すような資料が見つかったということだ。


 緑光石の特異性、永久熱源perpetual heat reservoir性が報告されたのが今からおよそ十年前。


 ちょうどそこから活発に議論が行われたものの、今日に至るまで全員の合意を得られるような説は、残念ながらまだ提唱されていない。


 例えば『エネルギー吸収仮説』。緑光石が周りの空間の熱を吸収してエネルギーを発しているのではないかという説だ。


 この説の根拠は加熱炉の周辺で温度が下がったことであるが、この実験はいかんせん再現性が悪い。


 加えて仮に観測されたとしても、緑光石が発したエネルギーに対して温度低下が極端に小さすぎるのだ。


 他には『ホール仮説』、『粒子分裂仮説』などの仮説が存在する。


 これ以上難しい解説を続けると、睡魔にやられる人が多そうだからやめておくとして、前者は『空間に穴が空いて、エネルギーが流入する仮説』、後者は『粒が勝手に分裂して増える仮説』と抑えてもらえれば十分である。


 もっと簡単に言うならば、『異世界から何か流れ込んでくる仮説』と『ポケットを叩くとビスケットが二つに増える仮説』といったところだろうか。


 ちなみにどちらも実証されていない。どちらかを示唆するような実験結果さえ、先人は得ることができなかったのだ。


 ──こりゃ、しんどいな。


 先人もある程度のところで見切りをつけたのか、三・四年前から論文数が極端に落ちている。


 恐らく、これをやるよりかは発電所の研究にシフトした方が稼げると判断したのだろう。


 とすると、俺は先人様さえ超えるような新たな発見をしなければならない──そういうことになる。


「そもそも新しいことって、どうやるんだったっけ」


「それ、私に聞きます?」


 気分を変えようと秘書の西門に言うと、心底面倒くさそうに聞き返してきた。

 少々気が立っていた俺は、ちょっとだけ揶揄うことにした。


「あー⋯⋯、うん、すまなかった。忘れてくれ」


「おいコラその返し方はなんじゃい、ビミョーに気を使われている感じが変に苛つくんですが」


 少し考えたフリをしてから言うと、馬鹿にされたと勘違いしてか言い返してきた。

 負けじと、俺も言い返す。


「⋯⋯絶妙だろ?」


 激怒する西門、そしてまたグサリと言い返される俺。


 そんな馬鹿みたいなやり取りをしていると、西門が少し気になることを口にした。


「誰もやったことなさそうなことを片っ端からやれば、とりあえず上手くいきそうな気がするんですけど」


 ──誰もやったことのないこと、ねェ。


 密度や硬度、結晶構造などなど、大抵のものは知られているし、動物実験で危険性についてもある程度調べられている。


 また、燃料として使われている以上、緑光石の塊をひたすら加熱するような実験はやり尽くされているのが現実だ。それ以外だと⋯⋯。


 特に何も思い浮かばないまま、俺は背もたれに向かって大きく仰反る。


 このまま本当に何も思いつかなかったら、いっそ舐めるか食べるかしてみようか。

 子供じみた考えだが、案外それくらいでないと新規性がないのしれない。


 子供がやりそうなことで、いい大人なら誰もやらなそうなこととなると⋯⋯。


 あ、あったわ。


「投げるか」


「⋯⋯はい?」


「だから、投げてみるかって」


「へっ?」


 秘書は目を丸くしながら聞き返す。


 しかし、俺が本気で言っているのだとわかると「ついに壊れたかぁ」と憐むように苦笑した。


「よーし、この部屋の反対側にこのクッションを置け。置いたらそこから距離を取れ」


「へっ⋯⋯、本気でやるんです?」


「俺はいつだって本気だ」


「⋯⋯⋯⋯」


 秘書が、渋々といった様子でクッションを設置し、距離を取る。

 そして何故か俺の後ろのデスクの方へまわると、その下へと潜っていった。


 ──いや、どうやったらそこまで飛ぶんだよ。


 ある意味そこまで飛んだらおかしいだろ、と心の中でツッコミを入れつつ、俺は狙いを定める。


 そして、思いっきりぶん投げた。


 俺が投げたボール、いや緑光石サンプルは、真っ直ぐにクッションの方へ──向かうはずが、あらぬ方へと飛んでいく。


 机の下から様子を伺う秘書に、弾道を見ながら唖然とする俺。


 緑光石は目標から二メートルほど離れたオフィス棚のガラス窓に直撃。


 ガシャーンという音と共に、ガラスは粉々に砕け散った。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 割れたガラスの前で無言になる大人ふたり。


「⋯⋯投げたのは、そっちですからね」


 責任を被りたくないためか、秘書が露骨に距離を取る。


「あー、それとホウキとチリトリは向こうのロッカーの中です。

 所長には⋯⋯、私から上手いように伝えておきますので」


「いや、片付けは俺がやるし、所長にも俺から伝えておくからいいんだが⋯⋯」


 俺は惨状を確認するため、飛び散ったガラス片に気をつけつつ近寄る。


 中に入っていた俺の専門書はガラス片を被っていたが、それ以外に目立った破損はなかった。


 また、投げた緑光石の方も若干傷が増えただけで特に変化は見られなかった。


「流石に投げたくらいじゃ、何も起こらないか」


「⋯⋯当然ですよ、ったく」


 文句を言う秘書を尻目に、俺はもう一度飛び散ったガラスを観察する。


 それにしても派手に割れたな、このガラス。


 ──ん? ガラス⋯⋯、板。


 そうか。そういやアレは誰もやってないんじゃないか?


 なるほど。やってみる価値はあるかもしれない──。


 興奮のあまり、全身が大きく震える。


 この実験が次に繋がるかどうかは分からないが、結果次第では何か分かるかもしれない。


「⋯⋯すまん、書類頼めるか?」


「えーと、破損届です?」


「いや、設備の使用許可だ」


 それだけ告げると、俺は研究室を飛び出す。


「ちょ、どこ行くんです」


「⋯⋯宗谷所長のところだ!」


 そう答えると俺は、宗谷所長の居室へと全力疾走した。

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