応援コメント

62 帰蝶の提案」への応援コメント


  • 編集済

    そういえば、もともと織田と松平は今川を抜きにしても敵同士でしたね。
    歴史ファンにとって斎藤義龍は憎まれ役みたいなものですが、実際に存命中は美濃は堅固でしたからねえ。

    あと、途中で誤字らしきものとして「凋落」(調略?)という表記がありました。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    義龍といえば、父道三と戦になり、死なせてしまったことが心に残りますね。この戦自体、道三側にも問題があり、一概に義龍を一方的に責めるのは理にあいません。
    義龍は近江の浅井とは戦になりましたが、尾張とは調略戦で、武力を持って攻撃した事例は見当たらないですね。
    死因はなんだったのでしょうか。正直分かりません。

  • これから話題の中心は元康に移っていきそうですね。
    あまり歴史に詳しくないので分かりませんが、元康の部下に反織田勢力はどのくらいいるのでしょうか?

    (下のほう「何が起きるるか」?)

    作者からの返信

    コメント有難うございます。
    反信長勢力は、西三河に「梅ケ坪城」「伊保城」「八草城」「拳母城」の四城があったようです。父信秀時代から西三河とは争いが絶えませんでした。織田家に敵対心をもっていても 当然です。信長は、桶狭間の翌年四月から五月にかけて、この四城を攻撃しています。
    実は桶狭間の戦いを練る時に一番頭を悩ませたのは、この事実ですね。三河と尾張が憎しみ合っていたら、家康との共同作戦は描けませんから。
    ただ一つ希望の事実がありました。家康はこれらの戦いを静観していたのです。それから、この戦いにおいて多くの犠牲者がでませんでした。
    何故でしょう。面白いですね。