魔法研究所長さん、意味不明なのに愛おしい
小林素顔
侯爵グロッソさん、今日も今日とて魔法研究所長ネフィさんのところへ
ここは、王国の東方に位置する中メンデシアの山々に囲まれた魔法研究所。モンスターが薬品に漬け込まれて標本として保管されていたり、所員が精霊との会話を記録して新しい魔法を開発しています。
その研究所の所長であるネフィさんは、とても不思議な女性です。もともと占い師を生業としていたそうですが、いまいち他の人と会話が噛み合いません。
「所長、あの論文の査読は、どうなっておりますでしょうか?」
所員が申し訳なさそうに聞くと、ネフィはこう答えました。
「霧が晴れるとき、それは強く風が吹くとき。草木は日差しを受けて一斉に花を咲かせます」
そんなネフィの所長室にはぬいぐるみや人形が所狭しと並べられており、その一つ一つ――いや、ひとり一人に名前がついていました。
その所長室に、中メンデシアの領主である侯爵グロッソが、今日も訪ねてきました。グロッソは軍人の出で、身長も高く筋骨隆々として、たくさんの戦場を生き残ってきた勇壮かつ恐るべき戦士なのですが、ネフィの前では、どうにも一人の男のようでした。
「失礼しますよ、ネフィさん」
グロッソが部屋の中に入ると、ネフィは部屋を見回して、両手を広げました。
「ほら、みんなも、ごあいさつ」
ネフィが頭を下げるのに、グロッソは微笑んでお辞儀を「部屋の中のみんな」に返します。
「ごきげんよう、皆さん」
グロッソがネフィの所長室を訪ねるたびに行われる、一種の儀式のようなものでした。
所員が淹れた茶を飲みながら、グロッソとネフィは世間話に興じます。といっても、ネフィは世間知らずなうえに、どうにも人と話がかみ合わないのですが、グロッソはそこが良いと思っていまして、また、ネフィもそんな自分を良いと思ってくれているグロッソに、とても安心していました。
「ところで、最近の研究の成果はどんな感じですか?」
グロッソが訊くと、ネフィは「アンリ」と名付けた北方の狐をかたどったぬいぐるみを抱きながら、答えます。
「まるで宝石箱の用です」
「……つまり、たくさんの大成果が実っているわけですね」
「実る果実はいつか朽ち果てますが、その種は新たな木々となって、いずれ森になるでしょう」
「……たとえ魔法学の進歩によって成果が古びても、新たな研究につながるというわけですね」
「人の右足は過去へ、左足は未来へ向いています」
「……すみませんネフィさん、ちょっと分からないのでヒントをください」
グロッソが思わず首をかしげると、ネフィはぬいぐるみを抱きしめて、うつむき、ほほを赤く染めました。
「右足と左足は入れ替わっても、二人が背中を合わせれば、星々は空を回り続けます」
その言葉はグロッソにとって、まったく意味不明でしたが、ネフィの表情と仕草が、とても愛おしく、心の中で温かなものが沸き上がってくるのを感じました。
「ネフィさん……私の存在に、あなたが欠かせません。あなたにとって、私は、どんな存在ですか?」
思わず、あふれる思いが決壊して、グロッソは訊いてしまいました。ネフィは、ほほを赤らめたまま、答えました。
「ミートパイ」
「ミートパイ?」
「そう、ミートパイ」
ネフィは耳まで紅潮した顔のまま、しっかりとうなずいていました。グロッソは、その態度に、言葉の真意をくみ取りました。
「ありがとう」
グロッソは、深々と、ネフィに頭を下げました。
「……それでは、研究の詳細は所員に訊きますので、また今度。お忙しいところをどうもありがとう」
グロッソがそう言って席を立つと、ネフィはぬいぐるみの手を取って、左右に振りました。
「アンリが、バイバイ、って言ってます」
「バイバイ、アンリ。ネフィさんも」
ネフィと「アンリ」に手を振って、グロッソは所長室を出ました。そして、研究所の廊下を早足で歩き、一番大きな研究室に入って、精霊や機材に向かっている所員に向かって、叫びました。
「諸君、急ぎたまえ! 魔界の軍勢はすぐそこまで来ている! この研究所の成果が明日の中メンデシアの、王国の、いや、世界の命運を握っているのだ!」
(了)
魔法研究所長さん、意味不明なのに愛おしい 小林素顔 @sugakobaxxoo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます