終章
終章
「ナイトウエディング?」
「そう、良くない? ガーデンのキャンドルすごいキレイだよ」
「えーでも、夜だったら二次会どうする?」
「うーん二次会は無し……かなぁ。出席者に聞いてから考えるとか」
「そもそもさ、式やるのか? いまさらだし、お金もったいなくない? 前、やんなくてもいいって言ってなかった?」
タイシは太い眉を寄せる。あきらかに乗り気ではなさそうだ。
「駄目よ。こういうことはちゃんとしないと。あ、見て。ここフライングカーオプションあるよ。お色直しのときに空から登場だって」
ユリはパソコンを隣に座るタイシのほうへ向けた。
「やだよ、結婚式で事故ったらどうすんだよ」
「保守的だなあ。事故るわけないじゃん」
「うわっ値段もめっちゃ高いじゃん。三十万円? わずか五分の登場で? こんなオプションつけるくらいなら旅行で派手に使おうぜ」
「でも一生の思い出だし」
「いいお客さんだなあ」
「うるさい」
ユリはタイシの頬を引っ張った。
「いててっ」
「文句ばっかりだとこっちで全部決めちゃうからね。タイ君も考えて」
ユリは再びパソコンに向き合う。
「はいはい、わかりましたよ」
タイシはリビングを出ていった。少しして、自分のパソコンと一緒に戻ってくる。そしてユリの対面に座り、しぶしぶといった様子でパソコンを操作し始める。
しばらくの後、
「えっ」
タイシのその声は、なにかゆゆしい事態を認知したかのような低い響きだった。
ユリはタイシに目を移す。
「どうしたの?」
「シュリさん……自殺したって」
今度はユリが声をあげる番だった。
ユリは急いで対面に座るタイシのほうへ移動する。
タイシは記事を読み上げる。
「内乱罪で拘置されていた元リディル社リディル軍CBSU大佐シュリマヒメ死刑囚が、十九日、東京拘置所内で死亡しているのが見つかった。首には衣服が巻き付いており、警察は自殺の可能性が高いとみて捜査を進めている……」
ユリはなんと言っていいかわからず、ただじっとパソコンの画面を見つめた。
「シュリさん、気に病んでたからな……」
タイシは肩を落とした。
シュリはタイシの手術をした数週間後、内閣府に自首をした。マリーが言うには、自首の前にカガニウムや禍獣に関する一部の資料を処分したらしい。
情報統制がかかっているのか、本当のことを話していないのか、シュリが禍獣の元凶という報道はない。回収した禍獣を利用してテロを起こした人物、という扱いである。
そしてコロナオペルタのことも報道されていない。
シュリの事件を受けてリディル軍は解体、その機構はアースフォースが引き継ぐこととなった。
「これで禍獣が生まれることも、もうないな……」
ユリは複雑な思いだった。
二年前、シュリがヒヤマを禍獣にしなければ、大変なことにはならなかった。今頃三人で、楽しい時間を過ごしていたのだ。
しかしそれまで絶望的だったタイシの意識を、シュリが回復させたという事実もある。
そもそもシュリのせいでタイシが刺されたとも言えるが、その一方で、全てをシュリの責任にして片付けられるほど、ことはそう単純ではないこともわかっている。シュリがタイシの命の恩人であることに変わりはないのだ。
「ヒヤマも、どこかでこのニュース見てるかな……」
兄はカガミと戦った後、またどこかへ消えてしまった。
つまりユリはヤナセ宅を抜け出した日以来、兄には会っていない。
後日、ユリのインプレに『きっといつかまた会えるから心配するな』と連絡があった。
しかしユリは、これは別の人間が打ったメッセージだと直感した。
以前、兄が勝手に消えたときは怒ったが、このときのメッセージはとても悲しかった。
カガミの動機や、コロナオペルタのことなどはマリーとシュリから聞いた。
自分の心臓が原因で父を苦しめたとわかり、一時ユリは悲嘆にくれる日々を過ごした。そんなユリを悲しみの淵から救ったのは、やはりタイシの回復であった。
そしてカガミは行方不明であったが、後に東京湾で遺体があがる。なぜ海で死んだのか、理由はわかっていない。
見つめていたニュースのタブがタイシによって閉じられる。
「これからのこと、考えよう」
代わってブラウザに映し出されたのは、式場の写真である。
「なんとなくだけど……」
タイシがつぶやく。
「ヒヤマ、結婚式に来るんじゃないかな」
タイシの言葉は特別強い口調でもなかったが、揺るぎない自信に満ちていた。
「……うん」
ユリは、兄がもうこの世にはいないと感じつつも、タイシの言葉に安らいだ。
八ヶ月後。
結婚式当日。親族への挨拶も一通り終わり、ユリはほっと一息入れようというところだった。
控室にノックがある。
タイシが「はーい」と言ってドアを開けると、見慣れない長身の女性が入室してきた。
輝くような美しいブロンドがまず目につく。
厚みのある唇が特徴的で、パールグロスがその存在を艶やかに演出している。
着ているパンツスーツは上品な光沢のあるグレー、つつましくも洒落た雰囲気。そしてつま先に蝶をあしらった黒いヒールがエレガントさを際立たせている。
手に提げたハイブランドバッグがまるで厭味に感じない。そのままスクリーンに映しても様になるであろう美人。
溢れ出るオーラに、おそらくこの部屋にいる全員が魅了されたことだろう。親族や式場スタッフ、タイシ、ユリ、皆ただ、目を奪われていたはずだ。
「ユリ、結婚おめでとう」
ユリは美人の口から自分の名前が出てきたことに驚いた。そして彼女の正体がわからず、返事に窮する。
「あれ……ひょっとしてマリーさんですか?」
先に出たタイシの言葉に、ユリは雷にうたれたような衝撃を受けた。
「ええー! マリーさん!?」
「なんだいあたしの顔忘れたのかい?」
マリーはあきれたような顔をした。
「全っ然昔と雰囲気違うじゃないですか!」
「そうかい? まあ、ちょっとダイエットしたけど」
「ユリ、顔を忘れるなんて失礼じゃないか」
タイシが諌める。
ユリは慌てて立ち上がり、
「マリーさん、本日は私達のためにお越しいただきありがとうございます」
マリーは手をひらひらと振る。
「あーかたっくるしい挨拶は抜きにしよう。似合ってるじゃないか、ドレス。とても綺麗だよ。着崩れるから座りな」
「ありがとうございます」
ユリはお辞儀して座った。続けざまに、
「マリーさんのほうこそめっちゃいい! どこのモデルさんかと思った! どんなダイエットしたんですか? 教えて欲しい!」
「あんたは十分細いんだからダイエットの必要ないよ」
「えーでも横腹とか足とか気になるー」
「いらんいらん。それ以上痩せたら健康に悪いぞ」
「そうだぞユリ。痩せすぎは良くない」
「タイ君はタキシードギリギリだったんだから少し痩せなよ。油断してたらこのまま中年太り一直線だよ」
「うっ」
苦い顔をするタイシ。
「なんだ。あんた太ったのかい」
「え、ええ。リディルを辞めて運動不足で……でも少し、ですよ」
タイシは親指と人差し指の隙間で『少し』の部分をつくる。
「ふーん……確かに昔と比べてなんかふっくらしてるな」
「む、昔はバリバリ鍛えてましたし……」
「マリーさんに鍛えなおしてもらったら?」
「やるかい? 死ぬほどきついけど」
「お断りします」
タイシは胸の前で腕をクロスさせ、バツ印を作る。
「仕事は今なにしてるんだい?」
「公務員です。都庁で働いています」
「へえ、それはいいね。将来安泰だ」
「マリーさんは?」
「あたしはいま、ライブハウスを経営しているよ」
「ライブハウスですか」
タイシは意外そうな声を出した。
「ああ、たまにあたしも歌うから今度二人で聴きにきてくれ」
「わーマリーさんの歌、聴いてみたい!」
「ありがとう」
マリーは微笑んだ。
「絶対行くから、そのときは教えて下さい!」
「ユリは優しいな……さて、時間もあんまりないだろうしそろそろお暇するよ」
「はい。また後で」
「写真、いっぱい撮っておくから」
そう言ってマリーは部屋を出ていった。
「昔は特殊部隊にいたなんて誰も信じないだろうな」
「……そうだね」
またノックの音がある。ユリは淡い期待を抱いて扉が開くのを見た。
入ってきたのは式場スタッフだった。
「では、式の開始時間が近づいてまいりましたので、新婦様、新郎様、チャペル近くの控室へご移動お願いします」
「はい、わかりました」
タイシが返事をした。
「ユリ、行こうか」
タイシの呼びかけにユリはすぐに答えなかった。
「ユリ?」
「……うん」
「どうした? なにか気になることでもあった?」
「ううん、なんにも。タイ君、動き間違えないようにね」
「わかってるよ」
タイシは口をとがらせた。
ガラス張りのチャペルに夕陽が射し込み、空間は柔らかな黄金色に抱かれている。
その中を二人はゆっくりと歩いていく。歩みを揃えて。一歩一歩と。
すでにユリは涙をこらえていた。
ヴァージンロードは人生を表している、そう聞いたことがある。
父親と歩いたその先に新郎が待っていて、これからは新郎と共に歩むという比喩的な表現なのだと。
自分の人生は、決して楽しい人生とは言えなかった。
ことの多くは、自分の心臓病から始まっている。心臓さえ悪くなければ、おそらく父も母も兄もここにいるのだ。
もし心臓が治らずに自分が死んでいたら、今ここで挙式しているのは兄とその彼女だったかもしれない。
自分なんていなくなればいい、何度もそう思った。
そんな自分の人生で、タイシという最愛の人物に出会えたことは、唯一の幸せだ。
自分に近づく怪しい輩はかたっぱしから投げ飛ばしてきた厳しい兄が、初めて家に連れてきた男性。
おそらく兄は、タイシなら自分のことを任せられると思ったのだろう。
結果その通りになったのだから、今にして思えば兄の眼識は大したものだった。
本来父親と歩むはずの道をそのタイシと歩いている。
それはいくつも枝分かれした道だったはずだ。ほんのちょっとのことで違った道になっていた。今こうして歩いている道は両親と兄の道でもある。母が産み、父が育て、兄が守ってくれた道。
――決して間違った道なんかじゃない。
ユリは、タイシの腕を強く掴む。
ふと、そこで違和感を抱いた。それと同時に、なぜだか胸が少し高鳴った。
ヴァージンロードを歩ききったところでは、タイシが目配せをしてくる。
ユリにはそれはなんの合図かわからなかった。
そして讃美歌、誓いの言葉が終わり、いよいよ指輪の交換である。
タイシからユリへ指輪をはめる。タイシは少しだけ震えていたが、指輪はしっかりとユリの左手薬指におさまった。
その際にタイシがユリにだけ聞こえる小さな声で、「やっぱり来てる」そう言った。
今度はユリからタイシに指輪をはめる番である。ユリがタイシの手を持ったとき、さっきの高鳴りがなんなのか、はっきりした。
タイシの手が金属のように、硬くなっているのだ。
さらに指輪をはめる一瞬だけ、左手薬指が黒く変色した。
それは本当に一瞬で、すぐに元に戻る。
手の硬さも、指輪をはめた後はなくなった。
「お兄ちゃん……」
ユリはつぶやいた。
そしてユリは、同時にいくつかのことを理解したのだった。
なぜタイシの体が一瞬禍獣の皮膚になったのかということ。
どうやってシュリと兄がタイシを助けたのかということ。
やはり兄はこの世にはもういないということ。
だけどタイシの言うとおり、兄は結婚式に来てくれたこと。
二人は、ヒヤマの前で誓いのキスをした。
了
ハイドロカーボン・E・コロナオペルタ 積地蜂 密(つみちばちみつ) @Tsunekichiland
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