クナトの王オオクナトヌシの宮殿は、ソミンたちの新居のある山からは目と鼻の先だった。

 王とはいってもこの国では、彼を王とは呼ばない。ちょうど邪馬台で女王を日の巫女と呼んでいたのと同じで、ここでは王はあくまでオオクナトヌシが称号で、もしくは漢風に国長とも呼ばれている。

 岩だけの神殿とが違って、宮殿はさすがに木造の高床式の建物だった。それを神奈備山がデンと見下ろしている。邪馬台やまとの宮殿と違うのは入り口が側面ではなく、三角の切妻の面だということだった。

 ソミンと、五十猛のうち供として連れて来た三人は、柵の入り口で甲冑姿の番兵に来意を告げた。兵は彼等を待たせたまま一度中へ入ったが、すぐに出てきて彼等を一棟に案内した。供を残して木靴を脱ぎ、ソミンは木の階を単身で登った。

 部屋は中央にも丸い柱があり、板張りだった。そこで座って待つように言われた。

 待たされること久しくして、やって来たのは三人の若者だった。三人とも白い衣を着ており、髪はみずらで、あきらかに倭種だ。若干色が黒い。邪馬台の下戸とはどこか違うところがあった。むしろ魏の国の国民と、相通ずるところがあるようだ。そのうちの誰もが王という風格ではなかった。ただそろって首に勾玉まがたまを掛けているのが、ソミンの目についた。

 ソミンと向かい合って座るや否や、中央の若者がいきなり口を開いた。

「おまんか。我々の国にいきなり侵略して来て、民衆を惑わせて懐柔し、居座って勢力を伸ばしちょうやつとは」

 意外な言葉に、ソミンは驚いて顔をあげた。

「滅相もござらぬ! 私は侵略者などではない。この国の将来について、重大な話があるゆえ、こうして参った者でござる。して、どの方がオオクナトヌシ様で?」

 三人は一斉に笑った。

「オオクナトヌシとは、俺たちの親父おやじだ」

「おう、それならぜひ、お父上にお目にかかり、お話したいことが…」

「えい、黙れ! 侵略の申し開きでもする気か! 親父は今、絶対に誰とも会わんのだ」

「なぜだ。なぜ会わせては頂けぬのか」

「会わん言うたら会わん! だいたいどこの馬の骨とも知れぬ得体の知れんやつを、親父に会わせるわけにはいかんが」

「私はあなた方の宿敵の、邪馬台のことをお知らせしたくて参ったのだが」

「ふん、邪馬台だと?」

 予想に反して、若者で鼻で笑っただけだった。

「邪馬台など、物の数ではなあわ」

「しかし今、あなた方は邪馬台と戦っておられるのでは?」

「ああ。最近はめっきり攻めて来んがな。それよりおまえはそげなふうに邪馬台の情報を提供するなどと言っちょうけど、その実は邪馬台の間者かんじゃじゃなあかね。でなければ、この国を乗っ取ろうとする侵略者だろう」

「俺は侵略者なんかじゃないと、何度も申し上げておる!」

 とうとうソミンも、語気を荒くした。

「邪馬台には魏の援助がついているんだ。この国との戦さの状況は、つぶさに魏の帯方郡に報告されているのですぞ。だから魏の皇帝は詔書と黄幢を、邪馬台に送ってよこした。黄色はかの国では皇帝の色。ですから黄幢を持つとは皇帝の軍であることを示すことになる。そればかりではなく邪馬台の女王である巫女みこは、すでに『親魏倭王』の金印までもらっている。それに軍吏として張政という者まで、魏から邪馬台に派遣もされているんだ」

 ソミンは、一気にまくしたてた。ところが目の前の三人は、だからといって顔色ひとつ変えるわけでもなかった。

「さっきから魏、魏と言っちょうけどな、魏が何するものぞ! 魏とかいう海の向こうの国に、何ができるっち言うかね」

「あなた方は魏という国をご存じない。その国土は邪馬台やこの国をも含めた島国であるこの倭の地の、さらに数百倍はある国だ。庶民でさえ、この宮居よりましな家に住んでいる。まして皇帝の宮殿たるや、門でさえ一山のごとく、屋根は天にそびえている程ですぞ」

 三人の若者はさすがにこれを聞いては、内心の動揺を隠せない様子を見せた。

「邪馬台が今一時的に攻めて来なくなったのも、女王の代が変わったということもあるだろう。しかしそればかりではなく、魏という後ろ盾があるから、クナトの国などいつでも攻められるという自信が邪馬台にはあるからだ」

「何をぬかす! 我われの力が強うけん、恐れをなして攻めて来ないのに決まっちょうが!」

 口ではそう言うものの、明らかに若者たちの威勢は衰えていた。

兄者あにじゃ!」

 外で元気な声がした。続いて一気に階を昇ってくる音がする。

「兄者。戻った。今日は猪一匹しかとれんじゃった」

 声とともに、部屋の入り口に姿を現わしたのは少年だった。三人の若者と同じように髪はみずらに結っているが、色が黒くて背も小さく、でっぷりと太っていた。

「こら! シコオ! 客人じゃ」

「おっ、あ! あなた様は!」

 若者に叱られてソミンを見た少年は、いきなり叫び声をあげた。

「あ、あなたはスサの王・ソミンソーラン様!」

「おや、なぜ俺のことを?」

「そりゃあもうこの国では、知らん人はああせんですが。太陽の神さんの弟さんですけん」

 ソミンが苦笑しているうちに、三人の若者は少年をにらみつけていた。

「こらっ! ガキはひっこんでろ!」

「この少年は?」

 ソミンは尋ねられて、若者は苦々しそうな顔でソミンに視線を戻した。

「弟だ。しかし母が違う。母は身分の低い山女で、お情けでおいてやっちょうやっかいもんじゃ」

「名は?」

「アシハラの醜男しこお

「違う!」

 少年は突然叫んだ。

「わしにはオオアナモチっていう、ちょんとした名前がああが」

「黙っとれい!」

 兄の怒号がまた飛ぶ。しかしそのようなことは、丸々太った少年は全く意にかけていないようだった。

「スサの王様。今日はどげしてここへ?」

「うん。お父上にお会いしたくて来たんだが、会わせてもらえないんだ」

「そりゃそうじゃ。お父上は病気で、意識もなあて寝たきりじゃけん」

「こらあっ!」

 少年の兄の一人が血相を変えて立ち上がり、彼等が醜男と呼ぶオオアナモチ少年に、飛びかかってねじ伏せた。

「そげな機密を、侵略者に簡単に漏らしやがって!」

 ソミンも立ち上がった。そして少年をねじ伏せる若者の腕を握った。

「ひどいじゃないか。自分の弟に」

「口出しするな」

 他の二人も、今にも飛びかかろうという感じで、ソミンに向かって構えていた。

「こいつは化けもんだ。いつかも島の国から海人をだまして逃亡して来た奴らが海人に殺されかけていたが、こいつは手をかざしただけでそいつらの傷を治して助けたなどと言いやがる。その後もこいつをしぼり上げてやろうとして、焼いた石をぶつけたり矢で射殺そうとしたけど、その度に生き返るんじゃ、こいつは」

 兄が吐き捨てるように言っている間に、少年はするりとその腕をすり抜けた。

「ふん、化けもんめ!」

「あの島の国からの逃亡者がいたのか」

 島の国といえば、邪馬台の属国だ。

「島の国の兔族よ!」

 弟に逃げられた兄は、悔しそうにつぶやきながら元の位置に戻った。


 結局オオクナトヌシには会えなかった。しかしそれが人事不省だというなら、しかたがない。

 諦めて宮殿を辞してきたソミンは、山へ帰る小径をとぼとぼ歩いていた。するとその前に現れたのは、さっきの少年だった。

「さっきはだんだん、だんだん。それより兄者たちは、あんたさんを殺そうとしちょうですだ」

「やはりな。無事で帰そうとするわけがない」

「この先の道で、兵に待ち伏せさせちょうです。さあ、こっちへ」

 少年に導かれるままソミンと三人の五十猛は山道を歩き、ぱっとソミンの住む山の登り口へ出た。

「おお、今度はこっちが礼を言う番だ」

「いいえ」

 ソミンは少年の、お世辞にも整っているとは言えない下ぶくれの顔を見た。ただ、その瞳だけは美しく輝いていた。

「立派なおとなになれよ。何事にも負けるなよ」

「はい!」

 オオクナトヌシが重病なら、そう長くはないかもしれない。そして次のオオクナトヌシを継ぐのは、もしかしたらこの少年ではないのかという予感が、ソミンにはあった。

 その時、彼の中で声がした。

 ――この少年は、その御霊みたまに「大炎おお国魂くにたまの神」の御神魂の分魂わけみたまを戴きたる子ぞ――

 ソミンはそその声に導かれるまま、少年の肩に手を置いた。

「この国を頼んだぞ」

 その予言めいたことばに、少年は首をかしげていた。


 オオクナトヌシは死んだ。本当はもっと前に死んでいたらしいが、秋風が吹く頃になってやっと公に発表された。

 この国では貴人が死んでも、邪馬台のように塚――墳墓は作らない。ただ篭に入れて、山中の木に吊すだけである。鳥が食するのに任せる鳥葬だ。三年たって白骨ははじめて、山中の杉の木の下に埋められる。

 遺族は葬儀には参列しない。ただ葬儀を見物に行ったソミンは、末弟のオオアナモチだけは荷物持ちとして、大きな袋を肩にかけて参列しているのを見た。


 東の方から山脈の南へ、入り海となって入り込む神路しんじの海は、まるで湖のような様相を呈していた。夕陽は刻一刻と、その色とあたりの景色をさえ変える。

 鏡のような海面が紅に染まるのを見ながら、ソミンはクシイナダ姫とともに岸を歩いていた。

 日が海の西の山に沈む。

「あの方角が邪馬台か」

 と、ほつんとソミンはつぶやいた。

「いつかまた、大きな戦争になあですかいねえ」

「うん。魏とて呉や蜀などと覇を競っているしな、いつ滅びるか分かったものではない。もし魏の後ろ盾が頼りにならなくなってきたりしたら、邪馬台は死にもの狂いでこのクナトの国、出雲を攻めてくるだろうな」

 ソミンは姫にそう語りながらも、大きな袋を肩にかけていた少年オオアナモチの姿を思い出していた。ソミンには、やがて邪馬台と雌雄を決する時のこの国の命運は、あの少年の双肩にかかっているという気がしてならなかった。

 太陽は今完全に、その姿を山に隠そうとしていた。空を紅と青に溶けあわせながら、水面も山も赤に溶かして、夕陽は静かに没していく。

 須佐之男命スサノオのみこと櫛名田比売クシナダヒメは、いつまでもそんな神路しんじの夕陽を見つめていた。


(出雲八重書おわり)

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出雲八重書 John B. Rabitan @Rabitan

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