第37話「姉じゃなくても家族だから」

 あれからどれくらい、時間が経ったのだろう。

 僕が目覚めると、そこはもう見慣れた天井だった。僕の家の、僕の部屋だ。

 確か、翡翠荘ひすいそう女将おかみさんが……僕の祖母がシュウにさらわれ、救い出そうとして戦いになった。その過程で翠子スイコ姉様の正体と――


「ああ、そうだ。零号ゼロごう……君は、どうなったんだ? 大丈夫、だよね?」


 僕はベッドの上に身を起こす。

 すぐ側で、椅子に座った女性が僕に微笑ほほえんでいた。

 夏の暑い盛りに、和服をきちんと着こなした祖母、玉子タマコさんだ。

 彼女は僕のひたいにそっと手を当てる。


「もう熱はないようだねえ? まったく、三日三晩も眠りこけて……心配しちまったよ」

「す、すみません……おばあちゃん」

「おや、素直だね。それと、おばあちゃん呼ばわりもなかなかいいものさ。一気に孫娘が沢山できたしね。……みんなお前さんの姉、家族だ。大切にするんだよ」


 そう言って、祖母は立ち上がった。

 慌てて僕もベッドを降りたが、なにやらリビングの方が騒がしい。

 祖母はその横を素通りして、廊下を真っ直ぐ玄関へと向かった。

 慌てて僕は引き止める。


「あの、おばあちゃん」

「なんだい? こう見えても忙しいんでねえ。ひまでぶらぶらしてるとこを従業員に見せるのも、女将の仕事なのさ」


 下駄げたを履いた祖母は、最後に振り返って僕を見詰める。

 そして、僕の頭をわしわしでた。


「よし、いい顔になってきたねえ。またうちに、遊びにおいで。団体客割引してあげるからさ」

「お金、取るんですか……でも、絶対行きます。今度こそ、みんなで遊びに」

「うんうん、楽しみにしてるよ」


 背後でリビングのドアが開いて、小さな足音が駆けてくる。

 僕の横まで来て身を乗り出したのは、翠子姉様だ。

 今日も部屋着のジャージ姿だけど、真剣な表情でなにかを言いかけて、そして口をつぐむ。そんな姉様を見て、祖母はとても優しい笑みを浮かべた。


「お前さんが一番、翡美子ヒミコに似てるねえ。やっぱり、小さい頃のあの子にそっくりだよ」

「それは、その、おかあ――お祖母様ばあさま

「はいはい、お祖母様は帰りますよ。あの子たちを頼んだよ? お前さんが長姉なんだ、しっかりやんな。それで困ったら、いつでも連絡しといで」

「は、はいっ。ありがとうございます、お祖母様。また是非ぜひ

「そうだねえ、是が非でもってやつだね。じゃあ、よろしくやんなよ?」


 そう言って、祖母は帰っていった。

 どうやら、外に旅館の車を待たせてたみたいだ。

 それを見送る僕の手を、小さな翠子姉様の手が握ってきた。

 僕もしっかりと、握り返す。


「……麟児リンジ、行ってしまったわ。私、まだ本当のことを言えてないのに」

「大丈夫だよ、えっと……母さん」

「ええ。きっとまた会えるし、会いに行ける距離。そうよね」


 僕は深く頷いた。

 そして、傍らの小さな母親を見下ろす。

 そう、姉様にして母さん、新しい肉体に人格と記憶を移した、紛れもない僕の母親……御暁翡美子ゴギョウヒミコその人なのだ。

 母さんは初めて見せる慈母の笑みで、背伸びして僕の首に手を回す。


「大きくなったわね、麟児」

「はい、母さん」

「でも、今まで通り姉様よくてよ。そう、母様より姉様として、これから麟児と妹たちを支えていくことにしますわ」


 そう言って、ぶら下がるように僕を抱き締める翠子姉様。

 僕も、小さな小さな姉様を抱き返して、そして離れる。

 黄色い声が弾んで聴こえたのは、そんな時だった。


「あれー? おばあちゃん帰った? ってか、あーっ! 翠子っちが抜け駆けしとるーっ! おんどれー、姉だからってずーるーいー! あたしちゃんもりんりーとベタベタとベタつきたいー!」


 華凛カリン姉さんだ。

 先日失った腕がくっついてるけど、骨折したときみたいに三角巾で首から吊ってる。

 でも、笑顔だ。

 顔の皮膚が剥がれて、機械の中身が見えてたけど、直ってる。

 ううん、治ってる……いつもの姉さんの笑顔だった。


「……ベタベタはしてないわ、これはそう、ぼ、母性?」

「翠子っち、なんで疑問形……あーあ、みんなーっ! 翠子っちが抜け駆けして、親子丼プレイしようとしてるっすよー!」

「ちょっと、華凛? 待ちなさい、ちょっと!」


 僕から離れるや、翠子姉様はリビングに猛ダッシュしていった。

 僕もそのあとを追って、そして姉たちと再会する。

 リビングにはみんなが勢揃いしていた。

 その中に、零号がいた。


「ああ、よかった……無事だったんだね、零号」


 零号は、楓夜フウヤお姉ちゃんと並んでテレビを見ていた。しかも、非常に真剣な表情である。白い肌に銀髪で、今は真っ白なワンピースを着ていた。

 漂白されたようで、似合ってる。

 それに、以前の殺気が全く感じられなかった。

 僕を見て彼女は、そっと立ち上がった。


「あ、麟児……えっと、この間はごめんなさい。あの……私も、姉、して、いい?」

勿論もちろんだよ、ええとでも……零号っていうのは。名前はどうしようか」


 すかさず、楓夜お姉ちゃんがガッシ! と零号と肩を組む。


「フフーン、麟ちゃん……この子はっ、です! 零号だから、レイ!」

「……それが、私の名前?」

「ちょっとちょっと、楓夜っち! レイちゃんが『こんな時、どんな顔したらいいかわからないの』って顔になってるじゃんかよー? なんかあたしちゃん、V-MAXブイマックス発動しそー!」


 すかさず華凛姉さんが茶々を入れたが、レイは嬉しそうにはにかんだ。

 千奈チナの姉貴も、季央キオねえも笑っている。

 そして僕は、三日間眠り続けていたと初めて知った。そして、愁のことも……愁は病院に搬送されたが、入院したその夜に忽然こつぜんと姿を消したそうだ。

 それ以来、僕たちに干渉してはこない。

 彼は今度こそ、父と向き合い、父と歩んだ自分に素直になってくれたらいいな。

 そんなことを思っていると「あら、そうだわ」と翠子姉様が手を叩く。


「麟児も目を覚ましたことだし、季央」

「ん? どしたの?」

「……ドイツから手紙が来たの。そう、貴女あなたはあの人の娘だったのね」

「えっ、それって! マ、ママのこと?」

「そうよ。ドイツには、今の私の肉体を造ってくれた人たちがいたわ。彼女もその一人……高定タカサダって、本当にそういうとこがあるのだわ。すぐにド直球で愛をはぐくみましてよ」

「じゃ、じゃあ」


 だが、翠子姉様は意外な言葉を放った。


「季央、貴女は


 意外な言葉だった。

 でも、嘘を言ってるようには思えない……姉様は嘘をつかない人だ。

 季央ねえは一瞬、呼吸も鼓動も固まったように動かなくなった。でも、見開いた目をしばたかせて、そしてへらりと笑ってみせた。


「いやあ、そっかあ。ボク、姉じゃないんだ。ん、わかった!」

「話は最後まで聞いて頂戴ちょうだい。みんなもいいかしら? 季央は――」


 そして僕は耳を疑う。

 突然やってきた姉と、平和な日常を脅かす脅威。そして、ドタバタの毎日。それらが一度落ち着いた今……本当に最後の真実が明かされた。


「季央・ツェントルム……いいえ、御暁季央・ツェントルム」

「は、はいっ! ……って、あれ? ボク、いいの? 今、姉じゃないって」

「私が妹を追い出すような女に見えて? 季央、貴女の誕生日は11月11日よ。記憶が一部欠落してるのは……こうならないようにするため。愁が遺産を狙って動くから、貴女の母親は戦いに巻き込まれないようにしたのだけど」


 ――兄が本当に心配で、麟児の記憶とその関連のものだけが残っちゃったのね。

 そう言って翠子姉様は笑う。

 あれ? 待てよ、僕の誕生日がもうすぐだから……8月8日だから?

 それって、つまり!?


「季央、貴女……


 そういうことなのだった。

 みんなが呆気あっけにとられていると、レイが鼻息も荒く季央ねえに抱きついた。


「季央、妹。よしよし、よしよし」

「ちょ、ちょっと、レイ!? あのね、ボクは」

「私のことは姉者と呼んでもいいんですよ。よしよし」

「頭をでるなーっ、もう……そっか、ボクは麟児クンの妹なんだ」


 それってつまり、家族じゃないか。

 そうか……季央ねえは姉じゃなくて、妹。

 季央いも? なんかいもっぽい呼び方で変だな。

 でも、僕は周囲の姉たちと一緒に新しい家族を祝福した。


「季央ねえ、じゃなくて、季央。これからもよろしくね。レイも」


 父さんはやっぱり、凄い遺産をのこしてくれた。

 それは世界征服よりも価値があって、超能力よりも強い力だ。

 だから、僕はこれからもみんなと生きていく。

 姉の誰かが姉じゃなくても、姉たち全部が家族だから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

姉の誰かが姉じゃない!? ながやん @nagamono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ